5years ago



 覚えているのは優しい笑顔。
 その頃から人一倍好奇心旺盛で、ママ曰く独立心も旺盛だったあたしが、初めて一人で家を抜け出て……そして恥ずかしい事に、初めての大失態を曝した日に見た笑顔。
 小さな頃の記憶って曖昧で。ちゃんと覚えてる事の方が絶対的に少ないけど。
 その笑顔だけはよく覚えてるの。
 今目の前にある笑顔より、ほんの少しだけ幼くて(なんて、あたしが言っても説得力ないけど)でも同じ様に温かい笑顔。
 お兄ちゃんってきっとこんな感じ。そう思ったのも覚えてる。
 一人っ子のあたしはずっとお兄ちゃんかお姉ちゃんが欲しくって。でもそれは今更どうにもならないお願い事で。
 だからこそ余計に。その笑顔はずっとずっと忘れられない、大事な宝物。誰にも内緒の、宝物、だった。
 その宝物は、きっとこれからもずっと宝物のまま変わらない。
 新しく増えた、宝物と一緒に。


「うん。覚えてるよ」
 コトン、とアヴェロンの前に紅茶の入ったコップを置きながら、エルタナは答える。
 ナスターシャの花壇の世話をアレクが手伝っている間、彼よりも先にエルタナの家を訪れて、一足早い午後のお茶の時間。何だか習慣付いてしまっていたその時間に、何気なく話題に登った『初対面』の話への返事が、先の一言。
「えっ?」
 予想外のエルタナの言葉に、アヴェロンは目を丸くする。
「…本当に?」
「うん。村長様のお家の裏の小高い丘、でしょ?あの大きな木」
 そう答えながら、今度は山盛りのマフィンが乗った皿をテーブルに置いて。それからようやく彼女も席につく。
「……そう、なんだけど。……よく覚えてるな。5年前っていったらエルタナは」
「3歳、だね」
「……だよな。何?術だけじゃなくって記憶力も抜群なのか?エルタナは」
「う〜ん。だったら良かったんだけど。覚えるの、苦手だよ。だから先生に教えて貰った術だと覚え切れなくて、それで覚え易いようにってしてたら短くなったの」
「そりゃあ、また……」
 普通じゃない事を。との言葉は寸での所で飲み込んだ。
「小さい頃の事なんて、そんなに覚えてないよ」
 今でも十分に幼い彼女の言葉に、アヴェロンは小さく苦笑する。
「でもねー、その事はどうしてだか覚えてるの」
「あの時はなあ……」
 その時の事を思い出し、アヴェロンはクスクスと笑みを零した。
「あ、イヤな笑い方」
 ぷくうッと頬を膨らませるエルタナに、アヴェロンは笑いを押し殺しながら、ごめんごめんと謝る。
「でもあの時は本当に驚いたよ。まだちっちゃな女の子が木の上に居るなんて思ってなかったからね」
「あああもう。思い出させないでよーッ。意地悪だよねアヴェロンって!」
 その時の事を思い出したのか、エルタナは顔を真っ赤にしながらそう抗議して。正面でのんびりお茶をすすっているアヴェロンを睨みつけた。
「いやいやいや。でも本当に。あれは誰でも驚くよ。よく一人で登りきったよな」
「……上だけを見てたら着いてたの」
 複雑な心境で呟くと、アヴェロンは我慢の限界、とでも云う様に大笑いをし始めて。ますます小さな術者の機嫌を損ねるのだった。


 その日、アヴェロンは村を立ち去る前の挨拶に、村長の家に向かっていた。
 村の外れに位置するその家に向かっていた時。何気なく丘を見上げた彼は、不意に懐かしさの訪問を受け、急遽予定変更、丘を登り始めた。
 丘の上にある大木は、幼い頃かっこうの遊び場だった。ラギシオとよく競い合うようにして登ったものだ。そんな事を思い起こしながら頂上付近まで登ってきたアヴェロンは。
 次の瞬間『はて?』と首を傾げた。
「……泣き声?」
 微かに聞こえて来た子供の泣き声に、アヴェロンは歩調を速める。
 辿り付いた丘の頂上付近の広場に、人影は無い。あるのは中央にデンッといった風情で地に根を張っている、件の大木のみ。大空に向かって差し伸べるように広がる枝は、数年前よりも益々立派に見える。
「……でも、聞こえるんだよなあ。泣き声」
 アヴェロンはそう呟き、耳を澄ます。
 確かに聞こえる泣き声の、その発信源を注意深く探ってみると……。
「おいおいおい」
 漸く見つけた泣き声の主に、アヴェロンは思わずそう声を零す。
「何だってあんな小さな子が、よりにもよってあの大木に木登りなわけ?迷子の子猫じゃあるまいし……」
 脱力しかけながらそう呟いたアヴェロンの後ろから、不意に小さな足音。
「やっぱり居たわね」
 その声に振り向くと、立っていたのはナスターシャだった。幼馴染で腐れ縁、そんな親友ラギシオの目下の所は婚約者である彼女の登場に、アヴェロンは目を丸くした。
「あれ?ナスターシャ?」
「あれ?じゃないわよ、もう。村長様の所にいるのかと思ってたら、なに寄り道なんかしてるのよ」
「ああ、ごめん。ちょっと懐かしさに負けて登っちゃったんだよな。……それよりもナスターシャ。あの子、知ってる?」
「え?」
 アヴェロンの言葉に、ようやく彼女も子供の泣き声に気がついたらしく。アヴェロンが指差した方向を注視して、それから目を丸くした。
「あらヤダ。エルタナ?」
「……どう思う?」
「どうって?」
「や、単に登ったものの降りられなくなっただけなのか、それとも親御さんが何かのお仕置き変わりに登らせたのか」
「とんでもないわ。そんな事するご夫婦じゃないもの」
「って事はやっぱり純粋に降りて来れないわけか。了解。……ところで、あの子何歳?」
「3歳になった所よ」
「……何だってそんなお子様が、こんな所で木登りなんかしてるんだか……。ってか、よく登ったよな一人で」
「……確かにそうね」
 アヴェロンの言葉にナスターシャは頷いて。それから思い出した様に木へと駆け寄る。その後をアヴェロンも追った。
「エルタナ!」
 その呼び声に大泣きしていたエルタナは、未だ泣きじゃくったまま、それでもこちらを向く。と、高さを再認識したのか、再び顔を上げるとしっかりと木にしがみついて泣き始めてしまう。
「困ったわねえ」
「……人見知り、する子?」
「いいえ、どちらかと言えば人懐っこい子よ」
「じゃあ大丈夫かな」
「登るの?」
「放っておけないしね。梯子とか取りに行くよりも手っ取り早いし、早くしないと危ないだろ?あの様子じゃあ随分と長い間、あそこに居るみたいだし」
 そう答えて、アヴェロンは手近な枝に飛びついて、心配そうに見守るナスターシャをよそにスルスルと登り始める。木の枝の様子を注意深く判断しながら、エルタナまであと数メートルの位置、という所まで辿り着くと、驚かせないよう慎重に呼びかけた。
「エルタナ」
 それまで泣く事にばかり気を取られていた様子のエルタナは、不意に至近距離で聞こえた声に、小さく肩を跳ね上がらせた。それから、恐る恐るといった風に、顔を向ける。
「もう大丈夫だよ。すぐに行くから、だからもう泣くんじゃないよ?いいかい?」
 アヴェロンの言葉に、エルタナは泣き腫らした目で、それでも小さく頷いた。
「良い子だね。もう少しの我慢だから、それまで頑張って木に掴まってるんだよ」
 再びコクンと頷いたエルタナに向かってアヴェロンは笑って見せると、更に慎重に登り始める。不用意に揺らしたりすれば、きっと再び恐がらせてしまうだろう。そうすれば、折角泣き止んで落ち着き始めたのに、また泣かせてしまう事になる。
「ほーら、もう大丈夫だ。ゆっくり手をこっちに伸ばして。出来る?」
 そう言いながら手を差し出してみたが、未だ恐怖から抜け出せていないのか、エルタナはプルプルと小さく頭を振って逆に木にしがみついていた腕に力を込めてしまう。
 参ったな。
 アヴェロンは内心で呟いた。
 エルタナの居る木の枝は、他の部分よりも若干細い物で。あまり重さを掛けると折れてしまいそうで心配で、その枝に手を掛けるのは躊躇われる。
 アヴェロンはすぐ隣りの枝の強度を確認すると、もう少しだけエルタナに近づく。
 ジッとその様子を見ていたエルタナは、少し近くなった事で恐怖感が和らいだのか、アヴェロンが言うよりも早く、その小さな手を伸ばしてきた。
「よーし良い子だ」
 アヴェロンは笑みを浮かべながらそう言って、その小さな手を取り、それから一気に抱き寄せた。途端に木の枝がバサバサと派手な音を立て、その音に驚いたのか直後エルタナは抱き止めてくれるアヴェロンにしがみついて再び泣き始めてしまった。
「ああ!ごめんごめん!恐かったね?」
 危うく崩しそうになったバランスは、幹に片手をつく事で何とか堪え、しっかりと首に抱きついて泣き始めてしまったエルタナに、アヴェロンは慌ててそう声を上げた。
「もう大丈夫だから!な?」
 それでもなかなか泣き止まないエルタナを必死で宥める事十数分。ようやく落ちついたエルタナを片手でしっかりと抱きかかえ、不安定な姿勢に四苦八苦しながらもアヴェロンは地面に降り立った。
「はい到着」
 そう言ってアヴェロンは地面にエルタナを降ろそうとした、が。
「エルタナ?」
 降ろされる事を拒否するかの様に彼女は大きく頭を振って、しっかとアヴェロンの首筋にしがみつく。
「あらまあ」
 はらはらと二人が降りてくるのを見守っていたナスターシャが、その様子を見てそう零し、それからクスクスと笑い始める。
「随分と懐いちゃったみたいね」
「懐いたって……」
「人懐っこい子ではあるけど、聞き分けのある子でもあるのよエルタナは。それが嫌だって駄々をこねるんですもの。懐いた以外の何ものでもないわ」
「……そう云うモン?」
「そうよ。仕方ないわね、とりあえずエルタナも連れて村長様の所に行きましょう?それからエルタナの家まで送って行ってあげましょうよ」
「そりゃあまあ良いけど」
「良かったわね、エルタナ。一緒に居てくれるって」
 ナスターシャのその言葉に、エルタナは漸く弾けんばかりの笑顔を浮かべるのだった。


「あ、でも実はその事で、ナスターシャにお礼を言われたよ、私」
「お礼?ナスターシャに?」
「うん。あたしがアヴェロンに懐いちゃって村を出るの遅らせたんでしょう?それは覚えてないんだけど。そのお陰で、アヴェロンが結婚式に参列してってくれたって言ってたよ」
「……ああ、その事」
 その当時の事を思い出し、アヴェロンは苦笑した。
「でも何で?結婚式の日、知ってたんでしょう?なのに何で参列しないで行っちゃおうとしたの?ラギシオって幼馴染のお友達なんでしょう?」
「そうなんだけどなー……」
「どうして?」
「……結婚式に参列したくないって訳じゃあなかったんだよ。それは断じてない」
「でも参列しないで行こうとしたんじゃない。変だよ」
「いや、だからさ。その後が問題でね」
「その後って?」
「………お節介焼きのおばさん達がわんさかいるからね」
「……お節介?」
「そう」
 と答えてそれ以上言おうとしないアヴェロンに、小さく首を傾げて考えていたエルタナは。暫くして辿り付いた考えに、ああと納得した。
「アヴェロンにも苦手な事あるんだねー」
「ありますとも、それは。山の様にね」
 クスクスと笑いながらのエルタナの言葉に、アヴェロンはそう返しながら苦笑する。
「しっかしエルタナと話してるとなー」
「何?」
「いや、8歳の子と話してるとは思えないよなー」
「……精神年齢、おばさんなんだって、あたし」
「……誰が言ったんだ、そんな事」
「ママとパパ。それから先生も。……時々あたしも自分でそう思う」
 エルタナのその言葉に。
 アヴェロンが大爆笑したのは、言うまでもない……。


                                           03/03/10 UP



■と、言う事で。『ロード』の番外編……です。
  キリ222ゲット、碧沢らい様からのリクエスト話ようようUPでございます。
  お題は『アヴェロンとエルタナでほのぼの話』でございます。
  ……ほのぼのかコレ?
■※ロード本編を知っている方への注釈※
  時期的に言えば、アレクとアヴェロンがエルタナ達の村に来てから2〜3日後、かと思います。
  とりあえずアヴェロンとエルタナの二人にホノボノして貰うには、今後の展開を考えると、
  今の所この時期にしかホノボノさせれませんでした(笑)
  だからこそ案外早くの完成なのです(爆)
■※ロード本編を知らない方への注釈※
  またしてもオフライン作品の番外話で申し訳ございません。
  さくさくっと無視してください(爆)
  とりあえず『ロード』と言うお話の番外編です。
  ちなみに本編の主人公は出てきていません(笑) 名前のみ登場です。
■あああ何だかもっと一杯言い訳したい事がある筈なのですが、
  いざ書こうとすると浮かばない……;;
  こんなお話ですが謹んで碧沢らい様に捧げますvv
  リクエストありがとうでしたvvらいしゃんvv