CherryBlossom
「いらっしゃい、宏ちゃん」 そう言って迎え入れてくれた笑顔に、普段なら絶対怒り出す呼び方なのに、越野は普段絶対目に出来ないだろう笑顔で、答える。 だからって、不機嫌になるなんて事が出来る筈もない。 「久しぶりー、ばあちゃん」 そんな返事を聞かされちゃあ、さ。 「花見?」 「そう。とっておきの場所があるんだ」 ちらほらと桜の花が咲き始めた頃。 珍しく上機嫌な笑顔で、越野はそう言った。 無理矢理と言った方が正しい勢いで連れ込んだ俺の部屋の、更に連れ込んだベッドの中。久々のセックスの後。暫く俺の腕の中でうとうとしていた越野が、目を覚ましてした提案は、花見、だった。 いつもなら、行為の後になんて、絶対越野は俺の顔を見てはくれないし、更に話なんてしてくれない。 なのに一体何事だ? そう思いながらも、俺は越野の顔を覗き込んだ。 「とっておきの場所?」 「そう。花見の喧騒とは無縁の、とっておきに綺麗な桜が見れる場所」 そう言って、それはそれは嬉しそうに笑う越野に、ノーと言える筈もないし、言うつもりも勿論ありはしない。 「いいね。見てみたいよ。越野のとっておきの、桜」 そう答えた俺に、越野はこれまた極上の笑みで頷いた。 桜なんかより、そんな越野の笑顔の方が俺にはとっておきに大事で。 大事に大事に越野を腕の中に閉じ込めて、極上の気分で夢の中に落ちていったのは1週間前、だった。 そして本日。俺と越野は電車に揺られ、そこに辿り着いた。 テクテクと歩く越野は、あの夜以上に上機嫌で。そんな些細な事が、酷く嬉しい。 越野の笑顔が今の俺にとっては何よりも大事だし、そんな風に彼を上機嫌にしてしまう『とっておきの場所』に、連れて行ってくれるのだと思うと、それだけで幸福な気持ちに包まれる。 辿り着いたのは、一軒の小ぢんまりとした二階建ての日本家屋。 塀囲いの途中にある入口の呼び鈴を、越野の指が押す。暫くの沈黙の後、カラカラと奥の扉を開く音がして、それから目の前の入口が開かれる。 現れたのは小柄な老女。スッキリと着物を着こなした、綺麗な人だった。 そして冒頭の第1声。 「まあまあ、わざわざこんな遠い所までご苦労様だったわねえ」 越野の返事に笑顔で頷いて、彼女─越野のお祖母さんはそう言って俺を見上げてくる。満面の笑み。 「いえ、こちらこそ面識もないのに突然お邪魔しちゃって」 「突然も何も、宏ちゃんの我侭に付き合わされちゃったんでしょう?」 「ばあちゃん!別に我侭じゃないよッ」 「はいはい、そうですか。ええと、仙道君だったかしら?」 「あ、はい」 「見たとおり古い家で申し訳ないけれど、どうぞゆっくりして行って頂戴ね」 「あ、はい。有難うございます」 彼女の言葉にそう頷くと、さあどうぞ、と家の中に招かれる。更に越野にも促され、俺はその後に従った。 「それにしても宏ちゃんが来てくれたのも久しぶりねえ」 「うん、ゴメン」 「あら嫌だ。叱ってるつもりじゃないのよ?」 「うん、知ってるけど」 先を歩く二人の会話に、何だか笑みを誘われた。 「さあさ、どうぞ。今、何か飲み物を持って来ますからね」 辿り着いた一室の襖を開けてそう言うと、彼女はその場を立ち去って行く。 「仙道」 その促しの声に、俺は廊下から室内へと入ろうとして、思わず足を止める。 「……な?凄いだろ?」 言葉もなく立ち尽くす俺に、傍らの越野が自慢げにそう言った。でも、それも道理だ。 襖の向こう。縁側の更に向こうの庭に、咲き誇る一本の大木。 「……仙道?」 返事もせずに立ち尽くす俺に、越野がもう一度そう名前を呼んでくる。 「………凄いね」 漸く、俺はそう口にした。 「言ったろ?とっておきの場所だって。ホラ、いつまでも突っ立ってないで中、入れよ」 「ああ、うん」 再びの促しに、俺はそう言って、漸く室内に足を踏み入れる。 それに続いて室内に入った越野が、グイグイと俺の背中を押して縁側へと出された。 「……本当に凄いね。これ、樹齢どのくらいなの?」 「うーん、オレも正確には知らないんだけど、ばあちゃんが此処に嫁いだ時には既に立派な大木だったって言ってた。50年はいってるんじゃないかな」 「うっわー……半世紀……」 「そういう言い方されると、なんか凄いな」 「宏ちゃん、宏ちゃん、ちょっと良いかしらー」 「何ー?」 襖の向こうからの声に越野はそう言いながら部屋を出て行く。その後ろ姿を見送って、それから俺は再びその桜の木を見上げる。 枝一杯に咲き誇る桜の花。 「仙道、仙道」 「あ、ごめん、何?」 「わりィ、オレちょっと買出し行って来るから」 「へ?ああ、じゃあ俺も」 「すぐに終わるから良いよ。その代わりさ、ちょっとばあちゃん手伝っててよ」 「へ?」 「ばあちゃん特製のちらし寿司。寿司飯混ぜるの、手伝ってて。こっち」 「ちょ、越野?」 手招きする越野を慌てて追う。部屋を出て玄関よりに少し戻った所が台所だった。 「ばあちゃん、仙道が手伝ってくれるって」 「あらまあ、でも宏ちゃん、お客様に手伝って貰うわけにはいかないわ」 「でもだからって、ここらの辺の事知らない仙道に買出し頼むわけにも行かないし。ソレ、結構大変だろ。大丈夫、仙道、力持ちだから」 などと俺の返事を聞く前に、越野はそんな事を言う。 「でもねえ」 「ああ、良いですよ、気にしないで下さい。これくらいお安い御用です」 それでも俺はそう返事をして、腕まくりをすると彼女の隣りへと移る。 「でもねえ」 「ばあちゃん、早くしないとご飯、べたつく」 「それはそうなんだけれど……じゃあ、お願いしても良いかしら?」 「どうぞどうぞ」 「じゃあ、行って来る。仙道、頼むな」 「オッケーオッケー」 越野の声にそう返し、俺は未だ躊躇いの残る彼女を促して、早速寿司飯を混ぜ始める。 「ごめんなさいねえ。お客様に手伝って貰っちゃって。本当は貴方達が着く前に作り終えてるつもりだったんだけれど、急に町内会の用事が入ってしまって、間に合わなかったのよ。でも、どうしても作ってあげたかったのよねえ」 「ちらし寿司を、ですか?」 「そう。宏ちゃんの大好物なのよ。だから来てくれた時には必ず作るの。今日は久しぶりだし、宏ちゃんがお友達を連れて来てくれるなんて初めてだから、絶対に外せないと思って気合を入れてたのにねえ」 「……初めて?」 彼女の言葉に俺は思わずそう聞き返した。 「そう、初めて。お友達を連れて来ても良いのよって今まで何度も言ったんだけど、それに宏ちゃんも分かったって何度も言ってたんだけど、本当に誰かを家に連れてきたのは仙道君が初めてよ。だから先週宏ちゃんから電話を貰って嬉しくてねえ。仙道君は、宏ちゃんの特別、なのね」 「特別……」 「だから嬉しくって。特別なお友達に会わせて貰えるなんて、思ってもいなかったから」 そう言って、ふふふ、と上品な声を漏らす彼女は、とても嬉しそうだ。 「宏ちゃんは小さい頃からあの桜の木が大好きで、毎年お花見の時期になると来てくれるの。高校生になって部活が忙しいって聞いていたから、今年は無理かしらと思っていたんだけれど。来てくれただけじゃなくって、こんな嬉しいオマケつきで、本当に長生きはするものねえ……」 「えーと、ですね」 「何かしら?」 「……お名前、聞いてもいいでしょうか」 「名前?」 「はい。お呼びするのに」 「あらまあ。お祖母ちゃんで良いのよ?」 「いや、それは流石に失礼かと」 「そおう?……美津恵と申します」 そう言って深々と頭を下げる彼女―美津恵さんに俺は思わず慌てる。 「ええーと、じゃあ美津恵さんと呼ばせていただいて構いませんか?」 「あらまあ、いやだ。そんな風に殿方に呼んで貰えるなんて何年振りかしら」 美津恵さんは笑いながらそう言って。 「仙道君の好きに呼んでちょうだいな。ああ、もうそろそろ良い具合ね。ありがとう、とても助かったわ」 「そうですか?他に何かお手伝いする事は?」 「いいえ、もう十分よ。宏ちゃんが戻ってくるまで、ゆっくりとしていてちょうだい。今、お茶を入れますから。……ああ、そうだわ。待っている間に、良い物を見せてあげるわ。手伝ってくれた御礼」 そう言いながら美津恵さんは、さっきの部屋に俺を急かす。 何だ? そう思いながら従った俺に座布団を勧めた後、部屋にあった棚の中を何やらゴソゴソと探していた美津恵さんが、あったあったと差し出してくれたのは。 アルバム。 「可愛いのよ〜宏ちゃんが。私の宝物」 へ?……写真?越野の? 「亡くなった主人の趣味が写真だったの。宏ちゃんの事をそれはもう可愛がっていた人だから、宏ちゃんが遊びに来てくれるともう大変。こっちが呆れる程撮りまくって。でもお陰で良い思い出なのだけれど。……宏ちゃんが居る時には出せないから、今のうちにどうぞ」 と、悪戯めいた口ぶりで美津恵さんはアルバムを俺の手の中に押しやると、部屋を出て行った。 ……そりゃあ越野がこの場に居たら絶対見せては貰えないだろうけれど、しかし、だ。越野が嫌がるだろう事を承知で出してくれる美津恵さんも、ある意味大物だ。 勿論、この展開に対して異を唱えるつもりが俺にある筈もない。喜んでお礼を頂くに決まってる。 「………うっわー……」 アルバムを開き、俺は思わずそう声を零す。 赤ちゃんの頃から始まって徐々に大きくなっていく越野の写真。 正直、とてつもなく、可愛い。許されるなら、このアルバム、盗んで帰りたいくらいだ。 桜の木を背景に、そりゃあもう天使さながらの笑顔を浮かべている、俺の知らない頃の越野。 でも、その瞳だけは、今と何も変わらない。キラキラと輝く、俺の大好きな越野の瞳は、彼が小さい頃から少しも変わっていない。 「……あああッ!!!!!お前何見てるんだよッ?!」 うっわ、吃驚した。 いきなり背後に上がった悲鳴にも似た怒鳴り声に、俺は驚いて振り向く。 いつの間に帰って来ていたのか、お茶を載せた盆を片手に越野が立っている。 「お前、人の家を勝手に漁るなッ」 「漁るって失礼な。そんな事してないよ」 「じゃあ何でそれ……ばあちゃん?!」 誰の仕業か思い至った越野が、そう声を張り上げて振り返る。 「あらあら宏ちゃん、大きな声で……」 何やら色々な料理を盛った皿を運んできていた美津恵さんが、笑いながらそう言って越野を見る。 「そうじゃなくって、ばあちゃん!!!」 「あらだって手伝って貰ったんですもの。お礼をと思って」 「だからって何でコレッ?!」 「あらだって可愛いんですもの」 「……ばあちゃん………」 「そんな顔していないで、さあお花見にしましょう。宏ちゃんの大好きなちらし寿司もあるのよ。ね?」 「あああもう本当に。ばあちゃん最強なんだもんなあ……」 「お褒めいただき光栄よ。お食事済んだら、記念撮影しましょうね」 「りょーかい……」 美津恵さんの言葉にそう答える越野に、思わず吹き出してしまった俺が、直後その拳に頭を殴られたのは言うまでも、ない。 「じゃあね、ばあちゃん」 「気をつけて帰るのよ」 「うん」 「仙道君も、今日はありがとうね。また宏ちゃんと一緒に遊びに来てちょうだいね」 「ありがとうございます」 美津恵さんの言葉に、俺はそう言って頭を下げる。 食事を頂き、それから美津恵さん秘蔵の越野の写真をたんまりと拝ませて貰い(越野は大いに嫌がっていたが、美津恵さんには勝てないらしい…笑)、本当に言葉だけじゃ言い表せないくらいだ。 「ああ、そうだわ。写真出来上がったら連絡するから、二人で取りにいらっしゃいな。つつじの頃にでも」 「そうそう、つつじも綺麗なんだぜ、仙道」 「へえ。じゃあ是非その頃に」 「それで記念撮影して、また夏に取り来て貰ってちょうだいね。年寄りにはそれくらいの楽しみがないとねえ。せめて宏ちゃんが成人して、この家を相続出来るようになるまでは長生きしなくちゃ」 「ばあちゃん。まだ言ってるの?」 「そうよ。この家は、誰が何と言おうと、宏ちゃんに継いで貰うんだから」 「継ぐとか継がないじゃなくって、そんなん気にする必要ないくらい長生きしてくれなきゃ嫌だって言ってんのオレは!」 「はいはい解ってますよ。でもね、簡単に長生きっていってもね。何か楽しみがないと大変よ?その点今回はバッチリね。宏ちゃんと仙道君が遊びに来てくれるんですもの。張りがあるってモノよ?ああ今度来る時は仙道君の好物を教えてちょうだいね。作っておくから」 美津恵さんはニコヤカにそう言って、俺達を家の外まで出て見送ってくれた。 そんな彼女に、また必ず遊びに来ると約束をして、二人並んで駅へと歩く。 「越野は本当に美津恵さんにとって自慢の孫なんだな」 「……へ?」 「大事にされてるね」 「……うん」 「あの桜、小さい頃からのお気に入りなんだって?」 「ばあちゃんが言ったのか?」 「うん。小さい頃から大好きだったって。だから絶対、あの桜は越野にあげるんだって」 「……じいちゃんが死んでから、ばあちゃんの口癖。確かにオレ、あの桜すっげえ好きだけど。でもそれよりもばあちゃんが長生きしてくれる方がいい……」 「越野……」 「って、いつも言うんだけどさあ。毎回あの調子なんだもんなあ、ばあちゃん」 「越野」 無理矢理に苦笑を浮かべて言った越野の手を、そっと握る。いつもなら周囲の目を気にする越野が、一瞬俺を見上げて。それから繋いだ手に力がこもる。 「大丈夫だよ。美津恵さんもちゃんと解ってる」 「………うん」 「だからさ、つつじの頃、絶対遊びに行こう。それで写真とって、夏にまた行こう。それから秋にも行って冬にも行って。それからまた桜を見に行こう。毎年毎年、越野の大好きな桜と美津恵さんに、一緒に会いに行こう?」 「………うん」 キュッと握った手に力を込めて。越野が俺を真っ直ぐに見上げてくる。 「毎年だからな、忘れるなよ」 「毎年、ね」 応えた俺に、越野の顔に弾けるように笑みが浮かぶ。 常には約束を欲しがらない君だから。だからこそ、この願いが切なるものだと解るから。 たとえ卒業をして二人の離れる時が来たとしても、この約束は絶対だから。毎年、毎年。 そして彼女とも一緒に、新しい思い出を、思い出の写真を増やして行こう。 それは、二人の約束だから。 その日撮った三人の記念写真は。 美津恵さんの選んだお揃いのフォトフレームに入れられて。それぞれの部屋に、大事そうに飾られている。 桜の花と共に刻まれた、俺達の大事な約束と共に──。 |
■仙越企画にまたしても参加させて頂きました。
参加話、です。
今回の企画のお題は『入学・卒業式』だったのですが。書けませんでした…(爆)
んでオマケ企画が『お花見』で。
よっしゃ桜!!!!!とか息巻いて書いたら、こんな謎な話になりました……;;
こんなん仙越と言って許されるんでしょうか……;;
■とりあえず、真っ先に浮かんだのが、美津恵さんの台詞。
『誰が何と言おうとこの家は宏チャンに継いでもらうんだかから』でした。
………なんて脈絡のないとっかかり(笑)
■企画のBBSでは、こんな謎風味(笑)の話にもかかわらず、
皆さんからお優しい言葉を頂いてしまって、感涙ものでした。
あああオンライン活動始めて本当に良かった……vv