ひまわりの道標


 ふと気がつくと、周りが何故か黄色に溢れていた。
 何だ?
 浮かんできた疑問符に対する答えは、すぐに出て来てはくれない。
 少しずつ、目がその色の洪水に慣れて来て。ようやく彼は、目の前に広がり、視界を埋め尽くしている物の正体に気がついた。
 それは、明るい太陽の日差しの下、色鮮やかに咲き誇る大輪の向日葵、だった。
 どうして自分がそこにいるのか、解らなくて。彼は再び疑問符に囲まれる。
 ここはどこだ?
 しかし、そう思ってみた所で答えが返ってくるでもなく。
 彼は周囲を見渡した。本当に一面の向日葵。
 さてどうしたものか。
 のほほんとした口調でそう呟いてみる。けれど、実際はそれどころでは、なかった。わけもなく不安で仕方ない。
 自分の居る場所の把握も、そしてこれから何処に向かって行けばいいのかも判らない。進むべき道が見つからない。
 こんな事は、今までなかった筈だ。
 いつだって進むべき道は自分の前に開けていた。放っておいても、道はいつまでも自分の前にあると思っていたし、実際そうだった。
 なのに。今になって自分は唐突に進むべき道を見失ってしまっている。
 前触れのない喪失。どうすればいいのか判らない。
 彼は益々混乱していた。
 こんなにも明るい太陽の下、なのに何故道が見つからないのだろうか。
 と、不意に風が吹き抜けた。
 涼しい風に髪がなびき、初めてそこがうだるような暑さの中だという事に気がついた。
 暫くの間、彼は大人しく吹き抜けて行く風に身を委ねる。
 懐かしい匂いがする。それが何の香りかは判らないけれど、それは心地よい感覚だった。いつの間にかそんな精神的余裕すら、もしかしたら自分は失っていたのかもしれない。ふとそう思った。
 そして、ゆっくりと風はその場を後にして。去って行く風に幾ばくかの寂しさを覚えつつ、彼は再び周囲を見渡した。
 と。彼は驚きで目を丸くした。
 それまで何一つ。彼と大量の向日葵達以外に姿のなかったその空間に、佇む人影が、あった。
 その見覚えのある人影に、彼は酷く安心して。それまで強ばっていた(自覚はなかったのだが、そうだったらしい)顔に、笑みを浮かべる。
 その表情が見えたのか、人影もゆっくりと笑みを浮かべた。
 大輪の向日葵に囲まれて、しかしそれらに劣る事なく、それどころかいっそ鮮やかなまでの、その笑顔。
「    」
 人影が何かを告げた。けれど、それは再び吹き始めた風によって遮られ、彼の耳にまでは、届かない。
「           」
 再び何かを告げる。けれど、その声も遮られ、届かない。
 と、ゆっくりと人影の腕が上げられる。そして。
 指し示されたその先にあるもの。
 それを確かめようとした瞬間。辺りは激しい風に包まれて。彼は思わず目を閉じる。
 ゆっくりと風の止む気配に、目を開ける。それはたった数秒の事だった。
 けれど。その時には既に人影はなく。
 彼の前に示された物は………。


「あ、あれ?」
 不意に切り替わった視界に、仙道はそう声を漏らした。
 そして、それが夢であったのだと、理解した。
 ベッドの中、幾度か瞬きを繰り返し、それから不意に感じた重みに、視線を動かす。
「こ、こしの?」
 目に映ったその人影に仙道は思わずそう声を漏らす。そしてその後、慌てて口元を押さえた。
 越野は、ペタン、と床に腰を降ろし。丁度横になっている仙道の右肘辺りで、両腕の中に顔を埋め、小さな寝息をたてていた。
 仙道は暫くの間、夢の中と同様に頭を悩ませる。
 どうして越野がここに居るんだろう。いや、それ以前に、一体いつの間に自分は眠っていたのだろうか。
 浮かんでくる疑問符に、けれど答えは見つからず。仙道は眠っている越野を起こさないよう注意しながら、ゆっくりと上体を起こした。
 ポトン、と何かがベッドの上に滑り落ちる。見ると、恐らくそれは仙道の額の上に置かれていたのだろう、濡れたタオルだった。
 どうしてこんな物が。そう思った瞬間、ああそうだった、と納得する。
 この夏真っ盛りの日に、自分は熱を出してダウンしたのだ。それも練習が終わるのに後15分、という所で。
 何とか練習中は耐えようと努力していたのだが。後少しという所で、気が緩んだのか何なのか。急に体に力が入らなくなって、そのまま崩れ込んでしまったのだ。
 情けなくみっともなかった、と思う。どんな醜態を越野に見せたのかと思うと、想像するだに恐ろしい。最悪だ。たとえ他の人間に見られても、越野にだけは見られたくない、そういう所を、自分はいともあっけなく晒してしまった事になるのだ。
「参ったな……」
 小さく呟いたその声に、小さく越野が身じろいだ気配がして。仙道は再び慌てて両手で口を覆った。が、既に遅かった様で、越野はゆっくりと目を覚まし、両腕の中から顔を上げた。
「……何だ起きちゃったのか」
 仙道と目が合うと、まだ幾分眠たそうな表情で越野はそう言って、小さく伸びをすると、立ち上がる。
「お前が起きる前に何か食べる物作っておこうと思ってたのにな。お前が辛そうなのに仏心を出したのが失敗だったか」
「辛そうだった?俺が?」
「そう。ウンウン唸っててさ。オレの手が冷たくて気持ち良いとか何とか言って、握ったまま寝ちまうから、お前が。動けなくて困ってる内に一緒になって寝ちまってたみたいだな、オレも」
「……そう」
「何だよ、その顔」
「え?何が」
「何がじゃねえよ」
 越野はそう言って、眉をしかめる。
「すっげえ不本意そうな顔、してる。……何が不満なんだよ」
「別にそんなつもりはなかったんだけど……」
「鏡見て言いやがれ」
「……越野?」
「今水持って来てやるから薬飲んで寝ろよ」
「え、ああうん」
 越野の言葉に仙道はそう頷く。頷きながら、それでも越野が酷く不満そうなのに、仙道は困惑する。
 自分なんかよりも、越野の方が、もっとずっと不満そうで不本意そうな顔をしていたので。
 自分が越野の言う『不本意』そうで『不満』な顔をしているのは、何の事はない。情けない所を越野に見られてしまったという事が、頭を離れないからだ。
 けれど。越野がそんな顔をする理由は、今の所ないように思えるのに。
「ホラ、さっさと飲めよ」
「うん、それは飲むけど……越野、何で怒ってるの?俺何か越野にした?」
「………してねえよ」
「でも、じゃあどうして越野怒ってるの?怒ってるよね?」
「別に怒ってなんかねえよ」
「嘘。怒ってるよ。判るもん、俺。越野の事なら、判るよちゃんと」
「……どこが。判ってなんかないじゃねえか」
 越野はそう言い放ち、全然判ってねえよお前、ともう一度呟く。消え入りそうな小さな声で。その声が益々仙道を困惑させた。
「越野?」
「判ってねえっつってんだよ。あーっもうっ。いいからさっさと薬飲めこの病人っ」
 越野はそう乱暴に言い捨てて、手近に転がっていたクッションを仙道に向かって投げ付ける。それがいつもの越野らしくなくて、仙道は手にしていたコップをサイドテーブルの上に置き、ベッドから降りる。
 と、その意図を察したのか、越野は仙道に背を向けて部屋を出て行こうとする。その後ろ姿を、仙道は慌てて捕まえて、そのまま抱き締めた。
 一瞬越野の肩が小さく跳ねる。二人がそういう関係になってもう随分たつというのに、それでも未だに越野はこういった事に慣れてはいないのだ。そんな越野がやはり愛しくて、仙道は宥めるように越野に向かって口を開く。
「判ってないなんてどうしてそう思うの?俺はいつだって越野の事判りたいって思って、努力してるよ?いつも言ってるだろ。俺にとって越野が何より大事で大切な人だよ。だからちゃんと越野の事判りたい。なのにさ、判ってなんかないって言われると辛いよ。辛いけど、それが本当なら、教えてよ越野。俺、何を間違えてるの?」
「お前……いつも言ってるよな。オレの側が一番落ち着くって。安心出来るって」
「そうだよ。越野が側にいてくれるの、凄く好きだよ。凄く落ち着くし、安心出来る」
「じゃあ。だったらどうして何も言ってくれないんだよ」
「え?」
「お前、いつだって何も言わないじゃないか。辛い事とか苦しい事とか、何も言ってくれないじゃないか。オレ、お前の何?オレじゃお前を助けること出来ないのか?そんなに頼りないのかよっ」
「こっ越野?」
「だってそうだろう。お前、ずっと調子悪そうなのに何も言わないし、訊いても何ともないって言うし、ずっと何か悩んでるみたいなのに相談もしてくれないしっ。オレはお前に守られていたいわけじゃねえんだよっ。大事に大事にされてるだけなんて嫌なんだよ。オレはこんなにお前の側にいるのに、助ける事出来ないのかよ。なのに安心出来るだとか言われて信じられるかよっ」
「越野……。違うんだ、別に信用してないとか、そんな事ないんだよ、ただ」
「ただ何だよっ」
「……ただ越野に情けない所とか格好悪い所見られたくなかったんだ」
「……どうして」
「うーん。どうしてって……それでさ越野に愛想尽かされたら嫌だから」
 その言葉に、越野はムッとした顔で仙道を振り返る。
「何だよそれ」
「俺はさ、別にそんなたいした奴じゃないんだよ。格好よくもなければ凄くもないんだよ、本当は。ただバスケが普通よりは出来るだけで、他は皆と同じ普通の高校生なんだよ。だからさ、越野に愛想尽かされる要因なんて幾らでも持ってるから。そう思ったら、少しでもそういう所、見られたくないじゃない?」
 仙道はそう言って小さく笑う。と、越野の手が唐突に仙道に向かって伸ばされる。何だろう、と思う仙道の困惑など気にせずに、その手が次の瞬間取った行動は。
「っ痛、痛い痛いっ痛いよ越野っ」
 仙道は突然の越野の行動−いきなり頬を抓りあげられたのだ−に、そう抗議の声を上げた。けれど越野はその力を緩めもせずに、仙道の顔を睨みつける。
「馬鹿じゃねえのお前。そんなのとっくの昔に知ってるよ」
「へ?」
「バスケが人並み以上に出来る以外は別に他の奴らと変わらないなんて、そんなの昔っから知ってるさ。それどころか、練習には遅れるしサボるしで時間にはルーズだし。それを今更格好悪いだとか情けないだとか言われたって、そんなの今までに山の様に見て来てるんだよ。知らなかったのか?」
 そう言われて仙道は、抓り上げられた頬の痛みも忘れ、思わずまじまじと越野の顔をのぞき込む。
「それなのに今更それぐらいで愛想尽かしたりするかよバーカ」
 越野はそう言って笑う。
 ああ、あの笑顔だ。不意に仙道はそう思い出す。
 向日葵に囲まれた、あの笑顔。
「……全国の事だってさ、お前だけのせいじゃないんだから」
 と、唐突に呟かれた言葉に、仙道は驚きで目を見張る。気がつくと、仙道の頬にあった越野の手はいつのまにか離されていて、今は仙道の腕を掴んでいた。
「皆頑張ったんだよ。お前だって必死だっただろう、知ってる。だからさ、お前のせいじゃない」
「越野……」
 知ってたの?
 その言葉はしかし声にはならなかった。
 無意識の内に己の内にたまっていた、自責の念。本人ですら気がついたのはここ最近のその事に、彼は、越野は一体いつから気がついてくれていたのだろうか。
「お前が何か言ってくれたら、オレだってお前の辛さをどうにかしてやれるかもしれないんだ。でも何も言ってくれなかったら、どうしてやる事も出来ないじゃないか。……それが、嫌なんだよ。辛いよ、すっげえ辛い」
 越野はそう言って、俯いてしまう。
 ごめん、と。
 自然とその言葉が口をついて出ていた。考えるよりも先に。
 自分の下手な見栄で知らない内に越野を傷つけていた。そんな事にすら気がついていなかった。
 自分のいる場所を、進む道を見つけるのに必死で、すぐ側にいてそして、誰よりもはっきりとその行く先を、幾つもの選択肢のある筈の道を指し示してくれている人に気づけなかった。
 立ち止まって周りを見る、たったそれだけの事をするゆとりを、最近の自分……いや、きっと昔から自分は持っていなかったのだろう。見えない何かに追い立てられて、与えられた道を走り続けて。
 だから。見失ったら最後、どうしていいのか判らなくなってしまった。
 夢の中の様に。
 けれど、自分は一人ではないのだ。
 側にいてくれる人がいる。見てくれている人がいる。それは何て心強い事だろう。
 見栄も虚勢もいらない。自然のままの自分を受け入れてくれる越野。
 ああ、だから。
「俺は越野が好きなんだ」
 前触れもなく突然呟かれた言葉に、越野は驚いた様に顔を上げる。
「いきなり何言ってるんだお前はっ」
「事実」
「って、何だよそれ説明じゃねえよっ」
「いいんだよ。越野が好き、それだけで十分なんだから俺には」
「おっ、お前はよくても俺には何が何だか判らねえんだよ、全然よくない!」
「うん、ごめんね越野。俺が馬鹿だったんだ。それだけだよ」
「ますます判んねえよそれじゃあっ」
「いいんだそれで。それでも越野は俺を見ていてくれるだろう? それが俺の支えだよ。俺がどれだけ情けなくて格好悪くて、馬鹿で仕方なくても。越野がちゃんと俺の事判ってくれてさえいればそれだけで十分なんだ」
 そういう越野が好きなんだ。
 更に続けられた言葉に、越野は急激に頬を真っ赤に染め上げた。頬どころか顔全体、耳迄も赤く。
 その隙に、仙道はそっと越野の頬に口づける。
 突然の不意打ちに越野は怒るタイミングを失って、そのまま更に顔を赤く染め上げる。
「大好きだよ、越野」
 今までに何度となく繰り返されて来たその言葉。
 けれど今までとは違う響の加わった言葉に、越野は笑みを浮かべた。
 初めて彼の本当の言葉を聞いた様な気がして。
 いつだって仙道は自分を装っていたと思うのだ。他の連中といる時も、そして自分といる時でさえも。それが越野には哀しかった。ずっと。
 好きだと言って貰っても、それが心のどこかに引っ掛かっていて。好きだと思ってくれているのは判っていたけれど、素直にそれを信じ切れなかった。
 だけど今は違う、と。そう思った。
 そうして、ようやく近づけたのかもしれない、とも。
 同じ距離に今ようやく自分達は辿り着けたのかも、と。それはたまらなく嬉しい事だった。
 と。そう思っていた時に−油断をついたように、仙道の唇が越野のそれに重ねられ。
 いつもなら間違いなく怒り狂うだろうその行動に、けれど越野は逆らわなかった。
 そして。
「バーカ。オレだってお前に負けないくらい好きだよ」
 そう言い放つのだった。


 夢の中、仙道の前に指し示された物は。
 溢れんばかりの向日葵に隠されていた、けれど初めからそこに示されていた、幾筋もの道、だった。
 上辺に惑わされ見失っていた、道。
 何本もの、道。決して最初から定まっているのではない。自分で、自分自身で選び歩いて行く道。
 越野はそれを教えてくれる、いつだって。
 越野のイメージそのままの向日葵。その中で笑みを称えて、ある筈の道を指し示してくれる。
 道標。いつだって、そうだ。
 彼は自分にとってかけがえのない支え。
 改めて知らしめされたその事実に、仙道は心の底から感謝していた。
 一人では決してないのだ、と。


 向日葵の道標。
 越野は自分にとってそういう存在だ、と。


 改めて認識した、夏の日、だった。


                                     03/02/03 UP

■と言う事で。またしても姑息な手段でのUPです(笑)
  いやはや。夏の暑い盛りに書いた話なので、頭の中腐ってたんですかね私(爆)
  とりあえず『夏』『高校生』はクリア出来てるんですが……どこが『ラブラブvv』?
  とか思わず己で突っ込み。いやまあ、ラブラブっちゃあラブラブなのか?
  相思相愛で越野が自ら仙道に『好き』って言ってるし(笑)
■このお話は、タイトルから作っていったお話です。
  仕事帰りの車の中で聞いてたラジオでたまたま聞いた曲のタイトルが何だか凄く気に入って。
  『あ、越野だ』って思ったのです。
  しかしタイトルだけがやけに印象的で、曲自体についての記憶は皆無(笑)
  アーティスト名とか、正しいタイトル表記とか全く不明なのです……(汗)
  もし原曲にお心当たりのある方、いらっしゃっても怒らないで下さいねー(>_<)

 
もー本当に『ひまわりのみちしるべ』という言葉のイメージのみで書いたお話ですので……。