春の囁き
夜半過ぎ、誰かがこっそり自分の部屋の前に来た気配にミロは目を覚ました。
(誰だろう?)
ミロはベッドから身を起こした。その主はすぐに立ち去った。しかし再びミロの部屋のドアの前にやって来た。そしてまた立ち去った。
ミロは思わず身を固くした。
そのわけの分からない気配は、じっと小宇宙を押し殺しそっと来てはすっと去っていく動作を繰り返している。
ミロも聖闘士である。ドアを開けてその何かに向かって行こうと何度も思った。しかしその息を潜めるような初めての小宇宙はミロに圧力をかけ、出てくるなと無言の脅しをかけているように思えて仕方なかった。
ミロは「彼」が来るたび激しく抵抗の小宇宙を放った。だが「彼」は怯まずやって来る。
ミロの無言の行は続いた。ミロは神経を尖らせ小宇宙を発し続けた。そしてとうとう辺りが明るくなり、白々と夜が明けた。
「ミロ!」
いきなりカミュの声が飛んでドアが勢いよく叩かれた。ミロは縮み上がった。が、何とか体勢を立て直してドアへ向かい、おそるおそる顔を覗かせた。
そこにはあたり一面に紅色のチューリップが籠に詰まってぎっしり置かれており、爽やかな香りが満ちている。そしてその真ん中にはカミュの嬉しそうな笑顔があった。
沢山のチューリップとカミュ…。自分は夢を見ているのではないか…?ミロの頭が混乱し始めた。
「――おい!」
ぐらりと傾いたミロの体をカミュが急いで抱きとめた。
「大丈夫か?」
ミロは顔を上げた。
「お前だったのか…?」
カミュは笑って、
「ああ。お前が小宇宙をずっと出してくるんで面白かった」
「何でまた…」
ミロは腑に落ちなかった。カミュはふふと含み笑いをして、
「チョコレートのお返しさ」
ああ!もうそんな季節か!
ミロはこの廊下を埋めているチューリップとカミュの目を見つめた。が、すぐに胸が一杯になって俯いてしまった。
「ありがとう…。嬉しい…」
ミロは顔を赤らめながらも素直に言った。カミュは満足そうに微笑んで、ミロの肩を支え直すと、
「一睡もできなかったんだろう?横になれ」
「そうだな」
ミロも頷いて、そして自分のベッドに戻るとクッションとタオルケットを抱えてまた出て来た。それから一番大きなチューリップ籠の横にクッションを置き、そこにもたれてタオルケットに身をうずめると、カミュに優しく微笑んで、
「オヤスミ」
と言って瞳を閉じた。やがてミロは軽い寝息を立て始めた。カミュはクスッと笑って、ミロの寝顔を眺めていたがやがて小さな欠伸を漏らすと、
「俺も寝るか」
そう呟いて、ミロの側にそっと腰を下ろした。やわらかい春の光が二人を優しく包んでいた――。
|