そんな一日



「おい、松山」
「んー?」
 いささか覇気のない松山の返事に、日向は軽く眉を顰める。
「お前、調子悪いんじゃないのか?」
「は?」
 日向の言葉に、漸く先を歩いていた松山が振り返る。
「オレが?」
「お前に言ってるんだから他にあるか」
「や、まあ確かにそうだけど。別に?」
 キョトン、という擬音がピッタリの表情でそう答える松山に、日向は眉を顰める。
 確かに。朝練にもきちんと参加して、その上ミニゲームでは若島津からゴールまで奪っていたが。
 授業にもきちんと参加して、4時限目の体育でも元気よく駆け回っていたらしいが(残念ながらクラスは別なので、その情報は松山と同じクラスの反町から得た)。
 更に昼食を終えた昼休みには、クラスの人間と何故かバスケの3on3で盛り上がっていたらしいが(昼食後、日直だった日向はその用事で振り回されていたので、これまた昼休み終了間際に反町から得た情報だったりする)。
 それでも、だ。
 どうにも顔色が優れない気がするのは、本当に自分の気のせいか?
 そう気を揉んでいる日向とは対照的に、松山はやはりキョトンとして日向を見返している。
「……遅刻、するぜ?」
 何か続きの言葉が返ってくるのかと待っていた松山は、恐い顔をして自分を睨んでいる(勿論日向にそんなつもりはない)彼に、そう告げて。答えを待たずに再び歩き出す。
 何とも納得のいきがたい心情のまま、それでも日向はその後ろ姿を追う。


 それを後悔したのは、練習終了直後。
 前触れもなくいきなりぶっ倒れた松山を、その腕の中に抱きとめた時、だった。
「だから言ったんだ、バカ」
 低く唸って呟いた言葉に、けれどいつもの様な怒鳴り声が返ってくる事は、勿論なかったのだった。


「日向さーん、松山、どうですか?」
 控えめなノックの後に、そう言いながら顔を覗かせたのは反町。その手の中には、何やら色々詰め込まれたコンビニの袋。
「………起きる気配なしって所ですか」
 その後ろから部屋に入って来た若島津の言葉に、ムッツリとしたまま、それでも日向は頷く。
 倒れた松山は、即行で医務室に担ぎ込まれた。校医の診断後、最寄の病院の医師が駆けつけ、注射1本と風邪薬その他諸々が処方され、それから漸く松山は寮の自室へと戻って来た。
 のだが、倒れてからこっち、一向に目を覚ます気配がない。
 診断によると風邪だと言われたのだが。しかし、元々平熱の低い松山が、現在37度後半の熱を出しているともなれば、はっきり言って一大事だ。
「とりあえず、ミネラルウォーターとポカリ買って来ました。あと、お茶も。それからヨーグルトとプリン、桃缶とバナナ。おかゆも念の為買って来てます」
「ああ、サンキュ」
 はい、と差し出されたコンビニ袋を受け取って短くそう返すと、反町はその横を擦り抜け松山の顔を覗き込む。
「昼間、あんなに元気だったのになー……。観察力、足りないなあオレ。日向さん、朝からずうっと気にしてたんですよね。オレももう少し気をつけておけば良かったなあ。すみません、日向さん」
「お前が謝る事じゃないだろう」
 反町の謝罪に、日向はそう答え苦笑する。
「んー、でもやっぱり反省。松山ってばとことん無理するタイプだって事、すっかり忘れてましたもん、オレ」
「それも本人無自覚に、ね」
 付け加えられた若島津の言葉に、日向は益々苦笑した。
 まさしく、その通りなのだから、全くもってタチが悪い。
 本人無自覚に無理をしていて、またその無理の仕方が周囲にはそれと悟られないってんだから、厄介だ。
「まあ、とにかく。暫くは安静にって事なんですから、眠ってるならそのまま眠らせておいてやるのが良いんでしょう」
「まあ、なあ」
「あ、日向さん。オレ、看てますから、夕飯行って来て下さい。まだでしょう?」
「あー……いや、いい」
「……そう言うと思ってましたよ。はい、これどうぞ」
 そう言って若島津が差し出したのは、コンビニ弁当。
「何かあったら呼んで下さい」
「サンキュ」
 若島津の言葉にそう言いながら弁当の入った袋を受け取って。二人を見送ると、再びベッドの上の松山に目を戻す。
 ………頼むから。早く目を開けてくれ。
 そんな風に思いながら……。


 と、その願いが通じるのは意外に早かった。
 日向がコンビニ弁当に箸をつけてからそう経たない内に、松山は目を覚ました。
「……アレ?」
 その呟き声に、日向は慌ててベッド脇に駆け寄る。
「やっと起きやがったか」
「……日向?……何で、部屋……?」
 きれいさっぱり倒れた時から記憶の飛んでいるらしい松山の台詞に、日向は思わず溜息を零す。
「……熱でぶっ倒れたんだよ」
「倒れた?オレが?」
「そうだよ。覚えてないのか?」
「んー………何か地面がグラグラするなあって思ったのは覚えてるんだけど……」
 ……そりゃあグラグラもするだろうよ、38度近くも熱があればよ。
 思わず胸中でそう唸り、それから盛大な溜息を一つ。
「……んだよ」
 その溜息に、松山が小さく眉を顰める。
「ったく、だから俺は朝、訊いたんだ」
「へ?」
「調子悪いのかって」
「……知るかよ。だって朝は本当に何ともなかったんだから仕方ねえだろ」
 そう言ってから、松山はそれよりも、と鼻をクンクンとさせて室内を見渡す。
「何食ってんのお前」
「…………お前、飯の匂いで目が覚めたのか?」
「え?別に?……でも、少し腹減ってるかも」
 松山の答えに、日向はがっくりと項垂れる。
 これだから、こいつの行動パターンは読めやしねえ……。
「日向?」
「……何でもねえ。コンビニ弁当だけど、食うか?」
 これくらいでいちいち振り回されてちゃあ、松山の相手は勤まらない、と気を取り直しそう言うと、日向は机の上にある弁当を取り上げた。
 と、途端に松山が眉を顰める。
「………要らねえ…………」
「松山?」
「…………匂い、気持ち悪い……」
 確かに脂っこいコンビニ弁当は、病人には向かないだろう。そう判断し、日向は弁当をベッドから一番遠い自分の机の更に一番奥の方に置き、それからさっき反町が買ってきてくれたヨーグルトに手を伸ばす。
「これなら食えるか?プリンもあるみたいだが。あと桃缶とか」
「う、ん。それなら欲しいかも」
「どれにする?」
「桃」
「分かった」
 松山の返事にそう答え、桃缶を開けて皿に移し変えると、ヨーグルトと共に持っていく。
 それを視界に捕らえたのか起き上がろうとする松山を、日向は慌てて止めた。
「バッカ、お前、38度もある人間がそんな急に起き上がろうとするなッ」
 その言葉通り、起き上がろうとして眩暈に襲われたのか、自力で体を起こそうとした松山は、再びベッドへと倒れ込む。
「うー……」
 くらくらする自分にそう唸り、松山は不本意そうにベッド脇の日向を見上げる。
「お前、少しは自覚しろよ……」
「うっせ……。……38度?」
 呆れた様な声に不貞腐れた声で返した後、漸く先の日向の言葉に頭が追いつく。
 ……38度??
「……今、オレ?」
「他に誰が居るんだ。ったく。ホラ、起こすぞ」
 そう言いながら日向は松山の上体をゆっくりと抱き起こし、それからその背に枕やらクッションやらを挟み込んでやる。
「うー……」
 まだクラクラするのか、松山が小さくそう唸る。
「ホラ」
 その声に傍らをみやると。
 フォークに刺した状態の桃が、目の前に、いや正確には口の前に差し出されていた。
「へ?」
「へ、じゃねえよ。ホラ」
 更に差し出された桃に。松山が、口をカパッと開く。
 うっわ……。
 予想外の松山の反応に、日向は内心でそう声を上げた。
 日向としては、差し出したフォークを松山が取るものだと思っていた。勿論食べさせてやりたいとの思いはあったが、松山の性格からしてそれは絶対撥ね退けられると思っていたのだ。
 ……こいつ、自分の行動把握してるのか?
 そう思いながらも、その口に桃を入れてやると、モグモグと美味そうに口を動かし。それから再び、パカッと口が開く。
 ……絶対、自分が何してるか解ってないぞ、こいつ……。
 雛鳥よろしく口を開けている松山に、日向はそう判断を下す。
 参った……。
 内心でそう思いながら、それでも日向は求められるままに松山の口に桃を運んでやる。
「……まだ、要るか?」
 持って来ていた桃を全部平らげた松山にそう訊いてみると、コクンと頷く。
 いつにない子供じみたその反応に、日向の方が眩暈を起こしそうだった。
 かっ、可愛い……。
「ひゅーが?」
 皿を持って立ち上がったまま固まってしまった状態の日向に、松山が不思議そうにそう名前を呼んでくる。その声に、我に返った日向は、気まずさを払うように短く咳払いをして、『何でもない』と答え桃を移し変えると、ベッド脇に戻る。
「ホラ」
 そう言って差し出した桃に、再びカパッと松山の口が開く。
 ああああくそう、可愛いぜッ。
 などという日向の内心の葛藤に勿論松山が気付くはずもなく、松山は上機嫌で桃を食べている。
「……も、いい」
 暫くして松山はそう言うと、小さく頭を振る。
「いいのか?」
「うん。ごちそーさま」
 熱の所為か幾分舌足らずにそう答える松山に、笑みを誘われたりしながら、日向は立ち上がる。
「ひゅーが?」
「薬、持って来るから、飲んで寝ろ」
「何で?」
「何でじゃねーだろお前ッ」
 こいつ熱出してる自覚、本当にあるのか?!
「熱!下げなきゃならねえんだから当たり前だろうッ!さっさと飲んで、大人しく寝てろ!」
「でも明日、英文法のレポート提出日」
「んなの関係あるかッ!だいたいにして、それだけ熱があって明日授業に出れるわけねえだろうッ!」
 松山の言葉に思わずそう怒鳴り返し、日向は深々と溜息を零す。
 何考えてるんだ、こいつ……。
「だって…」
「だってじゃねえ。とにかく大人しく薬飲め。な?」
「うー……」
「唸っても無駄。そんなじゃ授業出れねえし、練習にも出れねえだろ」
「えーッ」
「えーッじゃねえってだから。お前本当に、今の状態把握してるのか?」
「……………8度」
「平熱は?」
「……6度」
「も、ねえだろ。何回も言わせるな。薬飲んで大人しく寝ろ」
「………チェッ」
「……お前、本当に解ってるのか?」
「……薬、嫌い」
「ガキかお前は」
「不味いじゃん」
「そりゃあ美味くはねえだろうな。で?熱が下がらなくてサッカー出来ねえのと、どっちが良いんだ?」
「……飲む」
「最初から素直にそう言え」
 何だか妙に病人の扱いに慣れてる……と松山が思い至ったのは後日の事、だが。それも道理。子供の頃から幼い弟妹の世話を焼いてきた、これでも長男なのだ、彼は。
 病人の扱いや世話に慣れているのも当然だ。
 その上相手が今現在、いや多分、いやいや多分どころか絶対確実に、未来永劫日向にとって一番大事で大切な存在だと彼が思った相手、なのだからして。
 日向が甲斐甲斐しくも熱心に、松山の世話を焼くのも無理はない。
 薬を飲ませ、汗を拭き、氷枕を作り直し……等など。普段の彼を知っている者ならば、恐らく誰もが唖然とする勢いだ。
 現に、今まさにその所業を受けている松山自身がそうだった。
 しかし、唖然とする一方で、嬉しいのも事実だったりするのが厄介だ、と松山は胸中で呟く。恥ずかしい様な、くすぐったい様な。なんとも複雑な心境で。それでも、彼のそんな姿を見れるのは、きっと自分だけなのだと思うと、世間様には申し訳ないけれど、優越感に浸ったりしてしまう。
 大事に思われているのは十分理解していたけれど。こんな時でもなければ、気付けない事も、きっとある。
 日向には悪いけど……役得だったかもな。
 とかなんとか、グラグラする頭の中、それでもそんな風に考えて。
 絶不調な体調とは裏腹に、胸の真ん中辺りにほんわかとした幸福感を抱きながら。松山は、ゆっくりと眠りの中に落ちて行った。
 その横で、一晩中日向があたふたと世話を焼いていた、なんて事実を、まったくもって知る由もないままに……(笑)


                                      04/04/19 UP


■ってな事で。
  謎な松小次『病気ネタ』話でございます。
■このお話、入り口にも書いておりますが、
  恐れ多くもあの、素敵話書き!明日香さまへ贈呈させて頂いた話です…;;
  明日香さんとのメールのやり取りの中、己が明日香さんの話が欲しいが為に、
  無謀にも!お話の交換をさせて頂き。
  喜び勇んでいただいた話をUPさせて頂いておきながら、
  己の話は闇に葬り去ろうとしやがりました、この女(爆)
  しかし流石にそれではお叱りを受けるので、
  今回ようようUPでゴザイマス。
  あまりのヘタレっぷりに、本人穴があったら入りたい……。
■そんな話ですが、少しでも楽しんでいただけると、と思います。
  ………無理かなー……ぐは。