Graduation 2  

「ここ、ですか?」
「そう」
 井沢の問いかけに短く答えると、若林はさっさと目的の店に入ってしまう。一瞬その場に取り残された井沢を、店内から若林の声が呼ぶ。
 慌ててその後を追うと、若林は店員に言って目的の物を取り出させている所だった。
「どっちがいいと思う?」
「え?」
「これと、これ」
 若林の指差す先にあるのは……ロレックス。
「個人的には、こっちかなと思うんだが」
「……そうですか?でも、どっちも若林さんのイメージじゃない気が……」
「そりゃあそうだろう。俺のを選んでるわけじゃないからな」
 その返事に、井沢は『まさか』と青冷める。
「あ、あの、若林さん?」
「ん?他のがいいなら言っていいぞ?」
「いえ、そうじゃなくって」
「希望がないなら勝手に決めるぞ」
「いえ、だからそうじゃなくって!」
 慌てる井沢を余所に、若林はさっさと購入物を決定したらしく、店員に言って包装をさせて清算に入ってしまう。
「若林さんッ!」
「どうした?」
「どうしたじゃなくって!……どういう事ですか、もうッ」
「どうもこうも。卒業祝いと入団祝い」
 ケロッとした表情で返された答えに『ああやっぱりッ』と井沢は内心で悲鳴を上げた。
「駄目ですよそんなのッ」
「何が」
「俺、貰えませんからね!」
「それは困るな。何せもう支払いは済んじまったし」
 そう言いながら若林は井沢の手に包装済みのソレが入った袋を渡す。
「駄目ですってば!」
 そう慌てた声を上げる井沢を残し、若林はさっさと店の外へと向かってしまう。
 無理矢理手渡された態のソレを店内に置いて出るわけにも行かず、とりあえず手にしたまま店を出て若林の後を追う。
「若林さんッ!」
「喉が渇いたな。一度戻るか」
「ちょっ…若林さん!俺の言ってる事聞こえてます?!」
「聞こえてるよ。とにかく少し休憩しよう。こっちだ」
 そう言って再びタクシーを捕まえてしまう若林に、仕方なく井沢は従うのだった。


「……ご実家に戻るんじゃなかったんですか?」
「ん?……ああ言ってなかったか。一応、ホテルに泊まってるんだよ。実家だと色々煩くてゆっくり出来ないからな」
 そう言って若林はさっさとホテルの中に入って行く。こんな所で取り残されても困るので、井沢も慌ててその後を追う。
 エレベーターが最上階に辿り着くと、扉が開くと同時に若林の手が井沢の手を取る。
「わ、若林さんッ」
「誰も居ないから大丈夫だろう」
「そんなの判りませんッ」
「良いから良いから」
 井沢の抗議の声をあっさりと無視し、手を繋いだ状態のまま若林は宿泊中の部屋まで歩く。振り払おうにも繋がれた手の強さと、そして温もりに逆らえず。結局最後まで手を繋いだまま、井沢は部屋の中に誘われた。
「何がいい?」
 名残惜しげに繋いだ手を離し、ルームサービスのメニューを手渡すと若林はそう尋ねてくる。
「要りません。それよりも!俺、受け取れませんからコレッ!」
「コーヒーでいいか?腹は減ってないか?」
「だから要りませんってば!若林さん!ちゃんと聞いて下さいってばッ」
「ルームサービス頼んでからな」
 そう言って若林は受話器を取り上げて、何やら色々と注文を始めてしまう。
「若林さんッ」
 受話器を置いた途端のその声に、若林は苦笑する。
「さっきから怒鳴ってばっかりだな」
「誰の所為だと思ってるんですか」
「さて?」
「さて、じゃないです。とにかく、貰えませんから」
「それは困ったな。お前にと思って買った物だからな。受け取って貰えないなら、捨てるしかなくなるんだが」
「なっ」
 若林の物騒な一言に、井沢は目を丸くした。
「す、捨てるって」
 やりかねない、そう思う。この人ならやりかねない、と。
 だからと言って、はいそうですか、と受け取る訳にもいかない。
「普段から身に付けて貰える物って言ったら時計くらいだしな。ちゃんと祝いたかったんだよ。もうずっと祝い事を一緒に過ごして祝ってやれた事がないだろう」
「そ、そんなの俺だって一緒です」
「良いんだよ」
「良くないです」
「じゃあ仕方ない」
 そう言ったかと思うと若林は井沢の手の中から袋を取り上げ、いとも簡単にゴミ箱の中に落とし入れる。
「ちょっ若林さん!」
「言ってるだろ?お前の為に買ったんだ。貰ってくれないなら捨てるだけだ」
「そんなの無茶です!」
「……だから、受け取ってくれなきゃな?」
「…………ずるいです」
「そうだよ。今更だろう?」
 そう言って微笑むと、若林は井沢を抱き寄せる。
「そうでもしなきゃ、俺の頑固な恋人は受け取ってくれないんだからさ?」
 耳元でそう囁くと、途端に井沢の頬が真っ赤に染まる。
「卒業、おめでとう」
「………ありがとうございます」
 真っ赤に頬を染めたまま、それでもそう返してきた井沢の頬に軽く口付けた直後、ノックの音が響く。大慌てで若林から離れようとする井沢とは正反対に、若林はのんびりとした口調でノックに答える。
「わっ若林さんッ」
「はいはい」
 小声で、それでも非難がましく名前を呼ばれ、若林は漸く抱き寄せていた腕の力を緩め、そしてドアへと向かう。
 その後ろ姿を仄かに赤く染まった目元でもって睨みつけ。井沢は火照った頬を冷まそうとでもするかのように、ペチペチと叩く。
 いつもの事ながら彼と過ごしていると、彼のペースに振り回される事この上ない。毎回どうにか自分のペースを保とうと努力をしているのだが、悉く失敗に終わっている辺り大問題だ。
 それでも、それすらが共に過ごしている証なのだと思うと、井沢はその事実に対して何とも複雑な心境に陥ってしまうのだった。
「井沢?」
 と、一人混乱した思考に嵌まりかけていた井沢は、間近で聞こえたその呼び声に我に返る。
「どうした?」
「あ、いえ何でもないです、すみません」
 慌てて答えに、そうか?と幾分怪訝そうな表情で若林が返すのに、井沢は大きく頷いた。その様子に若林はそれ以上尋ねる事はせず、座るようにと井沢を促す。
「あんまり時間もないからな。とりあえず軽く済ませて、それから行こう。外をウロウロするよりも、その方がゆっくり出来るしな」
「そう、ですね」
 と。頷いた井沢の前に、若林自らがサーバした紅茶が置かれ、井沢は瞬間目を丸くした。
「好きだったろ?セイロン」
「あ、はい」
 専らコーヒー党の若林とは逆に、井沢はあまりコーヒーを飲まなかった。必然的に一緒に出掛けた先でのオーダーもコーヒーと紅茶に分かれる事になるのだが、紅茶の種類が選べる店では井沢は好んでセイロンを頼んでいた。更に種類が選べる店では何やら若林には聞き覚えもない物を選んでいるのだが、とにかく彼がセイロンティーとやらを一番好んでいるのだ、との認識だけは、紅茶にはとんと詳しくない若林にでも出来ていたので。ホテルに着いて一番初めに確認したのがルームサービスの紅茶の種類だった何て事は、勿論秘密だが。
 井沢にしてみれば、コーヒー党の若林が自ら紅茶を淹れてくれた事も驚きだったが、更にそれがセイロンだった事の方が驚きだった。
「知ってたんですか?」
 なので、思わずそう零してしまったのだが、途端に若林の眉根が寄せられて、井沢を慌てさせる。
「………わ、若林さん?」
 眉根を寄せて沈黙してしまった若林に、井沢は恐る恐るといった風に声をかける。
「井沢………」
「は、い」
「………幾ら俺でも、惚れた相手の好んでいる物くらいは把握しようと努力しているんだがな」
「あ、いえ、別に俺、そういうつもりじゃッ」
「………そうなんだろけどな」
 そう苦笑しながら答えると、そのまま井沢の隣りに腰掛けて。井沢が口をつけるよりも前に、紅茶を口にする。
「………他の種類はさすがに区別がつかないが、コレだけは判別つくくらいには俺もなってるんだけどな」
「…………すみません」
 一口飲んだ後、しみじみといった風に言われた言葉に、井沢は俯いてそう返す。
「って、冗談だよ。別に責めてるわけじゃないんだ、そんな顔するなよ参ったな」
「だって……」
「ちょっと困らせてみたかっただけだよ、悪かった、ごめん」
 今度は逆に若林が慌てる番だった。
「頼むよ、そんな顔しないでくれ」
 そう言って胸元に井沢を抱き寄せる。素直にそれに従った井沢に安堵の息を吐く。
「……ごめん。久しぶりにお前に会えて、何て言うか……浮かれすぎてるな」
「え?」
 予想外の若林の呟きに、井沢は目を丸くしてその顔を見上げた。
 浮かれてる?
 彼に、その表現はあまり似つかわしくないように思えて。どっちかって言うと、それは自分にこそピッタリの表現じゃ……。
 そんな風に多少混乱し始めた井沢に、若林は小さく笑う。
「何もそんな意外そうな顔しなくてもいいだろう……傷つくな。俺だって人並みに浮かれもするさ。惚れた相手との久々の逢瀬なんだから」
「な…に言ってるんですか、もうッ!」
 冗談とも本気ともつかない若林の言葉に、井沢は再び頬を染め上げて、若林の腕の中から逃れると、目の前に置かれていたカップに手を伸ばす。
「せっかく淹れて貰ったんですから、覚めない内に頂きます」
「はいはい、どうぞ。味の保障はしかねるけどな」
「大丈夫ですよ。だって若林さんが淹れてくれたんですから」
 いとも簡単に言いのけた井沢に、若林はこっそり苦笑する。
 これだから井沢には敵わないんだ、と。本人無意識に、殺し文句だもんな……と。
「……若林さん?」
「何でもないよ」
 いきなり沈黙した若林に、キョトンとした表情でそう名前を呼んできた井沢に、若林は短くそう答え。チュッとわざと音を立てたキスを、その頬に贈るのだった。



 その不意打ちの口付けに、井沢が慌てて紅茶を零してしまって。二人が、パーティーに遅刻したのは、後日談(笑)


03/07/29 UP  



■………おかしいなあ。こんな話になる筈では……;;
  もっと、こうなんというか。それらしい(?)話になる予定だったんですが…。
  キスしかしてないですよ……それも頬にしか……。
  所詮私の書く話、ってことですかね………(爆)
■この後彼らは若林邸でのパーティーに行ってる筈です。
  んで、井沢は腕時計にやたらと周囲から質問攻めにされます(笑)
  ああ、この腕時計の詳しい事は聞かないで下さい……;;
  私、ブランド物には盛大に疎い、ので……皆さんのご想像にお任せします。
  いっその事、井沢なら、このデザイン!!!!!とかあれば教えて頂きたいですー。
■後日、更にこの後のお話、も書きたいと思います(笑)
  今度こそ、それらしい(?)話を!とか目論んでます。
  しかし、恥ずかしいので(爆)、きっと入口隠したりするんですよ……厄介ですね(笑)