雪見酒





 珍しく、ノイエ・オサカシティーに雪が積もったある冬の日のことだった。

 翡翠は渋滞する交通機関を見限り、徒歩で家路についていた。革靴の中は冷たい水が染み込んできて、もう爪先の感覚がない。それでも、じりとも動かない車の中よりはマシだ------翡翠はコートのポケットに突っ込んでいる手をぎゅっと握り締めた。
 雲の隙間から覗いた白い月が、空の高みから下界を、地上に這いずり回るものを、嘲笑っている。
 いやな月だ。
 ・・・いや、イヤなのは、元々何の意味も無い月にまで人格をつけて攻撃しようとする自分の心だ。
 雪を踏みしめて息を吐く。
 白く曇った吐息が散っていく。
「・・・あれ」
 官舎の建物の中の自分の部屋の窓が、ぼんやりと明るくなっていた。また、家を出るときに消し忘れたのだろう。つい先週も明かりを消し忘れたばかりだというのに。たった一部屋のこととはいえ、無駄には違いない。気をつけなければいけないな、と素直に反省した。

 ひとりの生活は、気楽で良い。誰にも、何にも気兼ねなく過ごせる。だが、こんな寒い日、冷たい夜には、それが淋しくも感じられる。それでも、どんな時でも、世界は変わりなく動き続ける。翡翠の想いなど、最初から存在しないかのように------
「なー翡翠、お前コレ見たー?」
 どさり、と音を立ててカバンが床に落ちた。だが、翡翠はカバンがどうなろうと、そして、落下音が響いて階下の住人に迷惑をかけたかもしれないことなど、知ったことではなかった。
 翡翠の想いなど、存在しないかのように振舞う存在、孔雀がゲラゲラ笑いながら映画のビデオを見ていた。
「・・・なんで君がココにいるんだー!」
「雪が降ったって聞いたからよー」
「雪が降ったらどうして君が僕の家でテレビ見て寛いでるんだ!」
「だってアルファ・ゾーンじゃ雪ってなかなか積もんないからさ」
 孔雀はなおも言い募ろうとした翡翠の口を封じるかのように、バスタオルを投げて寄越した。
「いーから騒いでねーで風呂入って来いよ。どうせ外は交通網マヒしてて、歩いてココまで帰ってきたんだろ?」
「そうだけど・・・」
「昔からオサカは雪に弱かったもんなあ」
 タオルを持って立ちつくしている翡翠に眼をやると、孔雀は呆れたように言った。
「何ぼんやりしてんだよ。体冷えてんだろ、さっさと風呂入って暖めて来いよ」
「あ、ああ・・・」
「一名様ごあんなーい!」
 孔雀のペースのままに風呂場に押し込まれてしまい、本来取るべきだった行動を翡翠が思い出したのは、湯船に浸かった足のつま先の痺れが取れてきた頃だった。
「・・・何で風呂が沸いてるんだ」
 丁度良い加減に沸かされている湯、少し冷えてきてはいたが、ある程度暖められていた洗い場。ただ単に「風呂を沸かしておいてやろう」と思っただけではないはずだ。
 食事だけかと思えば、風呂までもか。
「君、ぬるいお風呂が好きなんだね」
「単に冷めただけだろ」
 やっぱり。翡翠は風呂上がりの髪を拭いながら溜息を吐いた。
「僕ん家でお風呂まで入るの止めてくれないかな」
「なんで」
 いいじゃん、ケチ、などという科白を全て適当に聞き流し、翡翠はまた溜息を吐いた。
 確かに、帰宅してすぐに温かい風呂に入ることが出来たのはありがたかったけれど。
 確かに、誰もいない家にのっそり一人で帰る侘びしさは、何とも言い難いものではあるけれど。
「・・・自分の家なのに二番風呂はイヤだ・・・」
「贅沢言うな!」
 贅沢。
 翡翠は硬直して全ての動きを止めてしまった。
 そう、そもそも、これは「贅沢は敵だ」などと言って攻撃されたり、たしなめられたりする類のものなのだろうか。自分の家で一番最初に風呂に入りたいと思うことは、贅沢なことだったのだろうか。
「だんだん、自分の中で言葉が壊れていく気がするよ・・・」
「いつまで拗ねてんだよ、文句の多い奴だな。それより早く上着着ろよ」
「え、どうして?」
「良いから」
 首を傾げている翡翠にガウンを無理矢理着せると、孔雀は立ち上がり、明かりを消してしまった。そして、からりとベランダへ出る扉を開ける音。
「・・・凄い」
「綺麗だろ?」
 街灯と、月の明かりを浴びてうっすらと輝いている雪。
 明日の朝になってしまえば、交通機関がほぼ半日麻痺してしまったことなど、まるで夢の中の出来事であったかのように溶けて消えてしまう雪。ベランダに積もった雪が、小さな雪だるまになっているのは孔雀の仕業だろう。
「雪の夜の月って、とても冷たいと思っていたけれど・・・」
「何で?綺麗じゃん」
 ことり、と静かに置かれたガラスの銚子と猪口。
 少し空気は冷たいけれど、風呂とこたつで暖まった体には・・・そして、酒を味わうには丁度良いくらいなのかもしれない。
「これって、やっぱり雪見酒っていうのかな?」
「雪見と月見で一杯、かな」
 でも雪見酒はやっぱり温泉が良いよな、という孔雀に、翡翠は微笑んで言った。
「贅沢言わないの」
「ちぇ」




<終>





■とうい事で!!!!!!
  神伊様の『ガーディアン』シリーズ、
  孔雀と翡翠のお話を頂いてしまいましたーーーーーッ(>_<)
  ぎゃーーーーーうちのサイトに孔雀がいるううううううううッ!!!!!!
  はい、汐さん、ただの孔雀スキーと化しております(笑)
  私、すごい好きなのですよ、孔雀がーvv
■『ガーディアン』シリーズは1話完結で、毎回色々な登場人物が出てきて、
  それがまたみんなすごい個性的で素敵な人物ばかりなのですが。
  私は、この二人(孔雀と翡翠)のコンビ(?)が大好きで。
  そして更に輪をかけて、孔雀が大好きなのです!!!!!!
  こんな素敵なお話がたっぷりと拝読できる神伊様のサイトへ、
  さあ貴方も今すぐGO!だッ!!!!!!!
■その神伊様のサイトでなかなかキリを踏めなくて泣きが入ってたときに。
  サイトのTOPでお題リクを受け付けてるんですよ、と、ご本人様から直に伺い。
  『え?ホンマにしていいの?』と衝撃を受けつつ、だったらお題リクすんでー!!!と(笑)
  そして冬の時分である事から、『雪見酒』をリクしたのでした。
  したらば、この素敵お話!!!!!!!ぎゃあもう至福ーーーーーー。
■神伊さんッ!素敵お話をありがとうございました!
  そしてUP許可もありがとうございました!