『pierced earring』




「そう云や、珍しいよな」
「───何が?」
 大仰に飾り立てられた己の髪の毛を、悪戦苦闘しながら元に戻していたアレクは、不意の言葉に一拍の間を置いてそう返した。
「耳元のソレ」
「へ? ああ、これ?」
 言いながら。アレクは耳元で小さく光を反射させるソレにそっと触れる。
 小さな石の連なった、ピアス。黒瑪瑙のそれは、普段は彼自身の黒髪に溶け込んでいるかのように目立つ事はない。
「基本、装飾品嫌がるくせに、それだけは常にしてるよなあと思ってさ」
「そりゃあ、お守りだから」
「お守り?」
「そう。あと、形見?」
「え?」
「リューの、ね」
「ああ、そうなのか。いや、悪い。変な事訊いた」
「やだなあ。そんな気にしないで良いよ」
 そう言いながら屈託なく笑うアレクに、アヴェロンはそれでも困った様に頬を掻く。
 そんな空気を払拭する為に、と云うわけでもないけれど。アレクは、耳元で揺れるピアスの事を口にする。
「小さい頃、リューの耳元で揺れてるのが目に入るたびに手を伸ばして、まるで猫みたいだったって、大きくなってからいつもリューに言われてた。オレもそれには覚えがあるんだ。抱き上げて貰ってるとさ、丁度目につく場所にあるわけだろ?目の前でキラキラ光って揺れてるのがすごく気になって、手を伸ばすたびにダメだよって叱られて……。コレが欲しかったからなのか、リューに構って欲しかったからなのか、どっちだったのかなあ、とは思うけど」
「両方だったんじゃないのか?そりゃ」
「うん、オレも本当はそう思う」
 言いながらアレクは笑う。
「だから今コレが目の前にないのが、本当は変な感じがする」
 鏡に映る自分の耳元にそれが揺れている。その光景に、本当は未だに慣れる事が出来ないでいる。もう、何年もその光景と共に過ごしている筈なのに。それが未だ自分の内側に残る弱さ、いや甘えなのかもしれないとは重々承知してはいるのだけれど。
「でも、何だな。すぐに想像出来ちまうな」
「何が?」
「猫みたく、そのピアスに一生懸命まとわりついてる、小さい頃のお前の姿」
 クックッと押し殺した笑い声を零しながらの、その言葉に。アレクも小さく笑う。
「そうかもね」
 だって、自分自身でも容易に想像がつくのだから、と。



「きらきらー」
 そう言いながら。
 自分の耳元にその小さな手を伸ばしてくるアレクの姿は。ほぼ日課となりつつある光景だった。
 目の前で光を受けて揺れるソレに興味を持つなと云う方が無理な話だろう、とリューは内心で思いながらも、その手を掴む。
「ダメだよ、アレク」
 仕方のない事だとは思うけれど。でも、だ。迂闊に引っ張られでもしたら、正直堪らない。
「だめー?」
「そう」
「リューが、いたいから?」
「そう」
 一度止めるのが間に合わず、痛い目にあったのだ。痛がったリューの姿を見たアレクが、驚いてすでに手を離してくれたので、大事になる程ではなく、瞬間的な出来事で終わってくれたのだけれど。
「それに、もし取れたり壊れたりしたら、アレクも怪我をしてしまうかもしれないからね」
「いたい?」
「そう、私もアレクも痛いから、ダメだよ?いいね?」
「でも、キラキラ、きれー」
「うん、そうだね」
 言いながら、リューは微笑む。
 キラキラ綺麗、ボクもそんなの欲しい、と。おねだりの表情で続いた言葉に、リューは暫く思案して。
「………そうだね、大きくなったら、これはアレクの物になるかもしれないね」
「おおきくなったら?」
「そう。もっとずーっと先の事になるだろうけどね」
 と、小さくアレクが頭を振るのに、リューは目を丸くする。
「要らないのかい?」
「だって、それ、リューの宝物だもん」
 だから、要らない。
 その言葉に、リューは笑みを深くした。
 形見、等という事柄を、幼いアレクが知る筈もない。……もっとも、そんな事を前提にした話など、しないに越した事も無いのだけれど。
 けれど、いつか。このピアスは、彼の物になるだろう。それは確信に近い思いだったし、そして同時に願いでもあった。
 願わくは、それが悲しみを伴うものでないと良い。結果として自分は形見として受け継いだけれど、そんな形にならないでくれると良い。
 届く願いなのか、それは今の自分には分からないけれど。それでも、願わずにはいられないのだ。
 自分の運命を握る、子供。
 近い未来なのか、それともずっと遠い未来なのか。けれど、必ず訪れるその瞬間に。どうか、この子が強くあれますように。
 そう願いながら。
「じゃあ、代わりに」
 そう思いついて口にした提案に。
 腕の中のアレクの顔に、弾けんばかりの笑みが浮かぶ。
 その笑みが。今の自分への、何よりの喜びであり、幸福であり、慰めでもあるのだ、と。
 いつか訪れるだろう、その瞬間を待ちながら。今は、その安寧の時を享受しても許されるだろうか。
 この笑みと、共に。



「あれ?もしかして、ソレ左右の長さ、違うのか?」
「え?ああ、うん。よく気が付いたね」
 アレクはそう言って。ようやく終わった髪型の復元に、1つ溜息をつく。
「目立たないだろ?」
「ああ。石1つ分、くらいか?」
「うん、そう」
「なんで?」
「1つだけ外して、別な物に加工したんだ」
「加工?なんでまだ、そんな事」
「ピアスは持たせられないから、首飾りの形にして、子供だったオレのお守りにしてくれたんだ」
「へえ?」
「凄く嬉しかったの覚えてる。子供のオレには宝物だったから、実際は殆どつけなかったんだけどね」
「つけなかったって、何でまた」
「だって失くしたり、疵付けたりしたら嫌だろ?」
「ああ、まあそりゃあ確かにそうだよな。お前の事だから木登りとか盛大にしてそうだし、森の中とか駈けずり回ってそうだもんなあ」
「否定しないけどね」
 言いながら、アレクは笑う。
「で、そのお守り、今は?着けてるトコ、見たことないよな?俺」
「今は、持ってないよ」
「え?」
「コレの代わりに、置いてきたんだ。今は、リューと一緒に眠ってる」
「…………………そうか。いや、悪い。変な事訊いた」
 聞いた覚えのある言葉を再度口にしたアヴェロンに、アレクは苦笑する。払拭しようとした空気が結局戻ってきてしまった。
「いいよ、別に」
 そう言いながら、アレクは小首を傾げて意味深に笑ってみせる。
「………何だよ」
 その、笑みに。アヴェロンが怪訝そうに眉を顰める。
「久しぶりに、困った顔見れたから」
「あのなあ」
 その言葉に、それでも楽しそうに笑うアレクの様子に。
 まあ、いいか、と。アヴェロンは、内心でそう呟いた。
 一度も会った事のない、アレクの『保護者』。その人の事を口にしても、こうして笑っていられるようになったのなら。
 ああ、確かに。
 耳元で揺れる、小さなその飾りは。それでも、それは確かに彼にとっての大事な護符なのだ、と。
 そんな風に思いながら。

 だったら今度、ソレに似合う髪飾りでも探してこなきゃなあ、等と。
 アレクにとっては有難くもなんともない、そんな考えがアヴェロンの脳裏に浮かんだなんて事は、勿論アレクの知る由もない事だった。




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