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住職法話集

五十・六十鼻たれ小僧

仏教に『五十・六十鼻たれ小僧』という言葉があります。
ほかの分野の仕事では、油が乗り切り、働き盛りでもある五十六十代も、僧侶としては、まだほんの駈け出しに過ぎないと言う意味です。

以前は、『やはり坊さんの仕事はより経験がものを言う特別な世界だからそんなことを言うのかなあ』とぼんやり思っていましたが、最近になってあることに気づかされました。

御存じのように、私には持病があり身体的には七十・八十才代の老僧と言ってよいでしょう。
実際には僧侶としての経験も浅い五十三才。そのアンバランスに苦しむことも少なくない日常ですが、ともかく、以前からまともには歩けないし、最近あまり声が出なくなって来たのにはほとほと参ってしまいます。

葬儀や法事で、もし声が出なかったらどうしようかと思います。こんなことは、好きなだけ大きな声が出た以前には考えも悩みもしなかったことです。そこでハッと気がつきました。

『五十・六十鼻たれ小僧』という言葉には、僧侶には豊富な経験が必要だというだけでなく、思うように声が出ない、体が動かない、というような悩み・苦しみを経ることが必要だ、という意味が込められているのではないでしょうか。それではじめて人の気持ちがわかる一人前の僧侶になれるのかもしれません。

まだ今は目と耳は大丈夫ですが、これから先、耳が聞こえない、目がよく見えない、益々体が動かないという経験を経て、やっと僧侶として一人前になれる日がやってくるのでしょう。
それはいつなのでしょうか、ヤレヤレ。

(久昌91号・2008年お盆号より)