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住職法話集

福の神を祈るなら・・・

 江戸時代、博多の名刹・聖福寺(しょうふくじ)の住職であった仙厓(せんがい)禅師は、白隠(はくいん)禅師と並びしょうされるほどの高徳の禅僧でありましたが、庶民にとても親しまれた方であり、そして私も大好きなお一人です。

仙厓禅師をとても有名にしている逸話のひとつに、禅師が臨終の時、枕元に駆け付けた人々に「何か一言」といわれ、「死にともない」といわれた、という話があります。

 多くの有名な禅僧の最後では、火が燃えさかる中で座禅しながら死んでいったとか、旅姿をととのえて立ったままなくなったとか、どちらかといえばカッコイイ最後の姿が伝えられている中で、仙厓さんの最後は特に異彩を放っているという気がします。「死にともない」といわれた、のは仙厓さんが修行が全然できていなかった、ということではなくその反対に仙厓の心境が並外れて素晴らしかったからこそ出てきた、と感じます。何とも言い様がありませんが、禅僧を超えた禅僧、とでも表現するべきか。このことはまた他の機会があればそれに譲ると致しまして…。

 そんな仙厓さんが残された歌にこんなものがあります。


福の神を祈るなら 博多ごまの糸わたり 

手元を下げればこちらへ参る 手元をあげれば向こうへ去る

口上あり難し難し
             (一部改)

仙厓さんが、寄席にでも行ったのでしょうか。そこで、独楽(こま)が回りながら細い糸の上を行ったりきたりする芸を見ています。芸人が手を下げたりあげたりすると独楽が近くにきたり離れたり…、仙厓さんは心の持ち方一つで福の神がきたり離れたり、本当に難しいものだとおっしゃっています。一番のポイントは、焦って福の神を呼び寄せようと手を上げると離れていって、福はどうでもいいやと手を下げると近付いてくる、というところでしょうか。