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住職法話集

『ゴミなんてない』

京都にある花園大学の元学長・森永宗興(もりながそうこう)老師(故人)についてのお話をします。

大学の学長先生と言うと、ネクタイにスーツの人、を想像するかも知れませんが花園大学の学長先生はお坊さん、それも何年も修行を積んだ高僧ばかりです。


裏の桃の花

いまから約60年前、森永老師は、元妙心寺派管長・後藤瑞巌(ごとうずいがん)老師に弟子入りしました。そのときのことです。

弟子入りの挨拶が終わったあと、師匠と新入りの弟子・森永青年の二人で、庭の掃き掃除をすることになりました。落ち葉を小山のように掃き集めた時、森永青年は後藤老師に向かって「老師、ゴミをどこに捨ててきましょうか?」そう尋ねました。

すると老師は
「バカモン、ゴミなんてどこにも無いぞ。いいから早く物置小屋にいって、中身のあいた炭俵(すみだわら)を持ってこい」
彼は『あんなにごみがたまってるのに…』と不審に思いながら、炭俵を取って来て、せっせと落ち葉をその中に詰め込みました。老師は、「それは風呂のたきものにするから、持っていって来なさい。」

宗興青年が、たきもの小屋に炭俵を置いて戻ってきてみると、老師は今度は、落ち葉をとった残りの小さな山から、手で小石を拾い集めています。そしてその小石を屋根の軒下の、雨のしずくが落ちる所に、ひとつひとつ並べ始めました。そうすれば、その小石は、雨だれ受けにもなり、あまだれで土にあいた穴ふさぎにもなり、その上、庭の見栄えもよくなるという、まさに一石三丁です。

青年は内心舌を巻いたものの、心の奥底で『まだ苔(こけ)のくずや土くれが残っている。あれは捨てないとどうしようもない。あれだけはゴミに違いない』そう思いながらじっと見ていると、老師は、残っている苔のくずと土くれを、きれいに手ですくって、腰をかがめて庭をすかすように見ています。 老師は、平らな庭の中で、少し低くなっている場所を確かめて、そこに苔のくずと土くれを置いて、トントン足で踏み固めてしまいました。見事に後にはなにも残らず、青年がゴミとばかり思っていたものはすべて生かされて、立派にそれぞれ役割を果たしています。

「どうだ、元来ごみなんて無いんじゃぞ」
新しいお師匠様にそう言われて、そのことが心のそこまで納得できた森永青年は、それまでは「自分には何も信じられるものがない、自分は本当にだめな人間」とすっかり自信をなくしていたのが、大いに勇気が出て、ご修行に励まれた、ということです。

すべてのものには、そして誰にでも生かされるべきいのちがあります。このことに深く思いを馳せて、日常の生活に、それこそ、生かしていきたいものですね。