一秒と一年
以前、小学校の国語の教科書を見ることがありました。「一秒が一年をこわす」(伊藤和明)という表題の文章です。
一秒が一年をこわす、とはどういうことか疑問に思いましたが読んで納得が行きました。その部分を引用してみましょう。
《…四十六億年という地球の長い歴史に対して、人類の生きてきた時間は、わずか三百五十万年から四百万年ほどにしかすぎない。
仮に、地球の歴史である四十六億年を、一年にたとえてみよう。
地球が一月一日午前0時に生まれ、今がまるまる一年たった大みそかの夜中の十二時だとしたら、人類が誕生したのはいつごろになるだろうか。
答えはなんと、十二月三十一日の牛後5時ごろなのである。
つまり、地球の歴史を一年にたとえるなら、人類は生まれてからわずか7時間ほどしかたっていないことになる。…(中略)…
(その7時間の中で)人類がさかんな活動の結果としてさまざまな環境の問題を引き起こすようになったのは、(最近の)わずか二百年ぐらいのことだから、地球の一年に対して一秒とちょっとの時間に過ぎない。
たった一秒間、地球の上で活動したために、人類は地球が一年かかって築き上げてきた環境をこわしてしまい、地球に対して取り返しのつかないことをしようとしている。》
地球の四十六億年は、仏教でいう一劫ぐらいかな、と思ったりもします。となると、『一秒が一年をこわす』は言い換えれば、大量生産で大量消費の社会となり、人間がすごしやすくなったこの二百年が、一劫をこわす、ということです。
仏教は、いわば永遠の時間の流れを見つめていたに違いありません。禅で強調される即今、つまり今現在の自分のあり方をどうするか、という間題を提示すると同時に、永還の時間を見つめる事を忘れてはならないのを、「劫」は教えてくれているように感じます。
「一秒が一年を壊す」であり「ここ二百年が一劫を壊す」のはわかったが、だからどうすればよいのだ、という疑問が当然わいてきます。
どうすれば良いのでしょう。皆で一緒に一考えて行くしかありません。ただ我々はその問題を目の前につきっけられているんだぞ、と強調させていただきましょう。小学5年の教科書にしても、最大の意図はそこにあるのですから。