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住職法話集

『いただきます』と『ごちそうさま』

食事をするということは、動物や魚、そして野菜や果物の命を『いただく』大事な儀式です。動物や魚に『命』があることはすぐわかります。しかし野菜や果物には命がない、などと錯覚している人がいますがそうではありません。野菜や果物にも勿論いのちがあります。命があるからこそ、成長し、葉を茂らせたり実を付けたりするのです。

そういうすべての命をいただきながら我々自身の命が支えられ、生かされているのです。私たちの体の中には『いのち』がどんどん蓄積されています。いわば私たちのこの体は『いのちのかたまり』と言えるでしょう。

『いのちのかたまり』であるこの体をどう使えば良いか、私たちにはそれを考える使命があるのです。『使命』という字は『いのちを使う』という字を書きます。

『ごちそうさま』は漢字になおせば,『ご馳走様』です。『馳』も『走』も食べ物を準備する為に馳せ参じたり走ったり、要するに忙しく動き回ることを意味します。それらの文字に『様』をつけて、食事を終えた人がそれらのことがらに感謝の気持ちを表す言葉、それが『ごちそうさま』です。

両手を合わせて合掌して、みんなが、食事の前に「いただきます」、食事の後に「ごちそうさま(でした)」を忘れずに言うようにしたいものですが、ちょっと気になっていることがあります。

誰でも『いただきます』と『ごちそうさま』はワン・セットだと思っています。食事の前に「いただきます」と言ったなら、食事が終われば必ず「ごちそうさま」をいうに違いないと考えがちですが、本当にそうでしょうか。

TVドラマで出演者が食事をとるシーンがありますと、『いただきます』は時々見ますが、『ごちそうさま』はまず見ることがありません。それにならっているのかどうか、普段の我々の生活でも、本来ワン・セットであるはずの『いただきます』と『ごちそうさま』の間に、大きな差があるように思えてなりません。忘れられがちの「ごちそうさま」ではありますが、決して忘れるわけにはゆきません。