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住職法話集

三成とお茶

豊臣秀吉(とよとみひでよし)の家来が石田三成(いしだみつなり)です(三成は秀吉のことを父親ほどにも敬慕していたと伝えられています)。
三成が秀吉の家来となったきっかけが、お寺とお茶でした。

 三成はお寺の小僧さんでした。
ある日そのお寺に秀吉が鷹狩(たかがり)の帰りに立ち寄り、お茶を求めました。
秀吉にお茶を出したのが三成だったというわけです。

一杯目のお茶は、秀吉様は鷹狩の帰りでのどが渇いているだろうと考えて、三成は、お湯をたっぷり入れたあまり熱くない薄めのお茶を出しました。

 それを一気に飲み干した秀吉は、お茶をもう一杯所望したのです。
今度は熱いお湯で先ほどよりお湯が少なめの、濃い目のお茶を出しました。
それも飲んだ秀吉は更にもう一杯とのぞみ、三成は『秀吉様はのどの渇きもおさまり、おなかもふくれているに違いない』と考え、更に少量の熱くて濃いお茶を小さなお茶碗に入れて出しました。
その心づかいにすっかり感心した秀吉は、三成を自分の家来にむかえた、ということです。

 秀吉を自分の父親のように思っていた三成(みつなり)は、秀吉の死後、徳川家康(とくがわいえやす)と対立し、関が原(せきがはら)の戦いで西軍の大将となりました。
結局その戦いに破れた三成は、大変きまじめで義理堅い性格の人だったと伝えられています。

彼は京の六条河原で打首(うちくび)となってしまいましたが、その三成の子供が、久昌寺の本山・妙心寺(みょうしんじ)の僧侶となったことはあまり知られていませんが、あわせて紹介します。

(久昌通信91号より)