久昌寺にようこそ
豊岳山久昌寺 豊岳山久昌寺のホームページメニューを右に表示しています
豊岳山久昌寺のホームページにようこそ!



住職法話集

七歩歩いた!

  お釈迦様はいまから2千数百年前、いまのネパールの国にあるルンビニの花の園でお生まれになりました。お釈迦様がお生まれになったとき、「天上天下(てんじょうてんげ)唯我独尊(ゆいがどくそん)」とおっしゃったというのはあまりにも有名です。しかし、この「天上天下唯我独尊」の言葉を言われる前に、東西南北に7歩ずつ歩いたということはあまり知られていません。この事についてお話させていただきましょう。

 いくらお釈迦様とはいえ、生まれたばかりで歩きまわったり、また大声で言葉を発したり、というのは、お釈迦様自身の史実というより、後の人々が創作した伝説、と考えるのが妥当かもしれません。でもそこには創作した理由があります。そしてそこには我々が知っておかなければならない、大切なことがあります。実は、7歩歩いたということの、この『7歩』がとても重要なのです。

 『六道輪廻(ろくどうりんね)』という言葉を聞かれたことがあるでしょうか。地獄(じごく)・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・阿修羅(あしゅら)・人(じん)・天(てん)の六つが六道で、この六つの世界(道)を、我々は生まれかわり死にかわりしながらぐるぐるとめぐるのだ、現世(げんせ)での行ないが次に生まれかわる世界を決める…、というのが『六道輪廻』です。この『六道輪廻』の思想は、一般的には仏教の専売特許のように考えられていますが、実は、お釈迦様よりもっと古くからあるインドの宗教的思想なのです。その思想が、仏教が長い時間をかけて、ひろい地域に伝播(でんぱん)してゆくにつれて、『六道輪廻』の思想が仏教の思想として伝えられた、と考えられます。

 『六道輪廻』の思想が仏教の思想ではない一番の根拠、ともいえるのがこの『7歩』です。つまり、この『7歩歩く』が意味するところは、『六道を越えよう』という事なのです。

 つまり、いつまでも六道の中を、ぐるぐるとめぐる繰り返しを続けていないで、仏教の教えに従い、さとりを得たならばその繰り返しを断ち切ることが出来ますよ……そのことこそが7歩あるくということなのです。

 最も大事なことは、そして最も強調されなければならない事は、『六道(ろくどう)輪廻(りんね)』はただ死んだあとのことだけだろうか、と考えてみる事です。

もし死んだあとの話だけならば、この伝説が言うところの『7歩を踏み出す』ことはあまり深い意味はないといってもよいでしょう。

 でも、例えば他人に怒りを感じて口ゲンカでもするならば、心は六道の中のアシュラそのものです。また、人をうらやんであれが欲しいこれが欲しいというならば、それは餓鬼(がき)の世界に陥っていると言えるのではないでしょうか。まさに私たちの人生そのものが、『六道(ろくどう)輪廻(りんね)』なのです。私たちは、いまの人生の中で、六道の中をぐるぐると周(まわ)り続けているのです。

 そんなどうどうめぐりを断ち切って、こころの平安を目指して『7歩』目を踏み出そうじゃありませんか、と仏教は示してくれているのです。

(久昌通信平成14年6月号から)