おさつさんの事
江戸時代、駿河の国(今の静岡県)に、白隠(はくいん・臨済宗中興の祖、と称される)という偉い禅のお師匠様がおりました。その白隠禅師のもとで一所懸命坐禅をして、さとりを開いたおさつ、という女の人がいた、ということです。
おさつさんが年をとったあるとき、彼女の孫が急に死んでしまいました。
おさつばあさんは嘆き悲しみました。
その泣き方があまりに激しいのを見て、近所のお爺さんが彼女にいいました。
「おさつさん、あんたは白隠さんについて坐禅修行してさとりをひらいたんじゃろう?みっともないから、いい加減、そんなひどい泣きようは止めたらどうじゃ」
おさつさん、それを聞いて、きっとなり、言い返しました。
「お前さん何を言うとるんじゃ。わしはさとりを得たからこそ、こうやって泣いとるんじゃぞ。悲しい時は泣いて泣いて泣くだけじゃ。」そう言うとまた再び大声で泣き始めました…。 こういうお話です。
禅の修行というのは、悲しい時は大いに涙を流す。そうなるための修行なのだと私は考えています。
道場での修行を体験してみて、禅の修行というのは、相手が人であれ物であれ、また自分の感情であれ、それと自分自身とを区別しないことを習うのだ、と思います。
雑巾(ぞうきん)で拭き掃除する時は、自分も雑巾になって一所懸命、穴掘りをする時は、自分もスコップになって一所懸命。
また人を相手にする時は相手の立場にたつ、悲しい時は大いに泣き、嬉しい時は大いに笑う。
なかなか難しいな、とも思います