住職法話集
お帰りと風を迎える墓の前
この五七五の川柳(せんりゅう)の意味するところがわかるでしょうか?
私のよく知っている住職さんが、お寺の前に掲げておられた言葉です。
この川柳の下地になっているのは、いまだに流行のおとろえが見えない『千の風になって』の歌です。
『千の風~』の歌のおおまかな意味はこうです。
なくなった人が言うことには《私はお墓にはいないので私のお墓の前で泣くのはおよし、私は風になって大空を吹き渡っています》。
それに対して「お帰りと風を迎える墓の前」と呼びかけているのがこの川柳です。
今は亡き人の魂が風になって飛びまわっていたのなら、さぞ疲れたでしょう、お帰りなさい、どうぞごゆっくりと声をかけて優しく迎えてあげているのです。
実は以前も『千の風になって』の歌をご紹介しました。
あえてもう一度このテーマを取り上げるのには理由があります。
先般テレビのニュース番組で、今も大人気の『千の風~』の歌の中の代表的で印象的な歌詞『そこ(お墓)に私はいません・・・』を聴いて、それならばお墓はいらないじゃないか、と考える人が増えて、石材業者の営業に影響を与えている、との報道を見ました。
石材業者の味方をして言うのではありませんが、ともかく『千の風』の歌を聴いて多くの人が『お墓はいらない』と考えるのは大変な誤解だと思いますので、少し所感を述べさせてもらいます。
ご先祖様の供養は『いますがごとく』というのが基本です。
亡き人に対して、まるでその人がそこに実際にいるかのように(=いますがごとく)、語りかけ、飲み物を差し上げ、ご飯をさし上げるのです。そのように亡き人を今も生きている、と考えるのが基本であるならば、生きている人達に家が必要なように、亡き人にも家が必要です。亡き人はその家を留守にする事だってあるでしょう。
むしろ家にいっぱなし、引きこもりの状態のほうがよほど不自然です。
そこのところを『千の風になって』の中で「そこに私はいません、眠ってなんかいません」と歌っているのだと私は思います。決して『お墓はいらない』と言っているのではありません。
『お墓はいらない』と決め付けてしまうことは、ご先祖様をホームレスにしてしまう事ではないでしょうか?
でも『お墓がいらない』最大の理由はお墓を持つのに費用がかかりすぎるという経済的理由かもしれませんね。無視できないとても重要な問題です。
生きている人たちならば、持ち家が無理ならば《借家》という手がありますが、残念ながら現在のところお墓に関してはその方法はありません。
そういった問題を含め、ひとつひとつ関門をクリアーしていく努力が必要です。
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