為我現身(いーがーげんしん)
舍利礼文(しゃりらいもん)から
お釈迦様はおさとりを開かれたあと45年問、祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)や竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)あるいは王舎城(おうしゃじょう)にとどまって説法されたり、あるいは説法の旅をなさったりしました。
お釈迦様がなくなられた後、結果的にお釈迦様のお骨が残りました。そのお骨のことを『舎利』と言います。釈尊の舎利を拝むお経が『舎利礼文』です。通称・『いっしんちょうらい』といえば、多くの方はご存じかもしれません。
実はこの短いお経(72文字)は、我々僧侶がとてもよくお唱えするお経なのですが、いつ、どこでできたお経なのかよくわかりません。全体が素晴らしいお経なんですが、なかに特に素晴らしい言葉が出てきます。是非覚えて欲しいと思います。
それは『為我現身』です。『い一が一げんしん』と読みます。漢字4文字ですが、2文字ずつ分けて意味を取ります。
『い一』は『ために』、『が一』は我、これを後ろから前へと読むと『われのために』となります。『げん』は『あらわす』、『しん』は『からだ、すがた』です。これの意味をとると『お姿をあらわす』もしくは『お姿をあらわしてください』というお願いです。
つまり『い一が一げんしん』は『私のためにお姿をあらわしてください』という意味になります。べつに幽霊となって出てこいというのではありません。ともかく一心におがみますから、その拝んでいる心の中に現れて下さい、そして私に力を与えて下さい、私を導いてください、と願っているのです。
私たち、生きていればどうしても様々な苦しみ、困難にぶち当たります。心が弱くなり不安に陥ることもあるでしょう。そんな時にこの『為我現身』の願いをもって釈尊を一心に拝む。そんなお経を仏教は我々に残してくれているんです。
もちろん『釈尊を拝む』に限らず、たとえば法事のときにこのお経を読んだときには、そのなき人の姿を思い浮かべながら拝む、ということになります。
この『為我現身』は、すべてのご供養の基本だなあという気がします。