第7回 三宝(さんぼう)
仏教では、何物にも代えられない尊い宝物としてブッダ、ダンマ(ダルマ)、サンガの三つがあげられています。いわゆる仏法僧(ぶっぽうそう)の3つがこれにあたります。
お経の本を開くと、大抵すぐ『三帰依(さんきえ)』が出てきます。これは3つの宝物に帰依(たちかえりよりどころにする)しましょうということで、「南無帰依払(なむきえぶつ)、南無帰依法、南無帰依僧……、」と唱えます。この『三帰依』を最初に唱えるということの意味は、この3つの宝物を、大切にしよりどころとする(帰依する)事が仏教においてもっとも根本的なことである、と主張しているのだ、と言えるでしょう。
普通に考えると、宝物といえはまずお金、そして宝石、財産などですが、仏教ではまず第一の宝物としてブッダ(ほとけ様・仏)、第二にダンマ(仏様の教え・法)、第三にサンガ(仏教を中心とする仲間、集団)の仏法僧の三宝をあげています。
注意しなけれぱならないと思われるのは、『僧』は現代ではすっかり『僧侶』を指す言葉になっていますが、もとは『僧』は僧侶をも含めた仲間たち(釈迦の教えを、信じ実践する人々の集団)を意味する言葉、だということです。
さらに重要なことは仏法僧の三宝は、単に対象物としての宝がある(例えば仏像は対象物です)というだけではなくて、三宝はそれぞれの人々、個人々々の内に備わっている、という点です。
つまり全ての人にさとりを得ることができる種子(しゅうじ)、すなわち仏性(ぶっしょう)があり(これが仏)、悪いことより善いことする方が気持がよい(法)し、他人と仲違い(なかたがい)するより仲良くしたい(僧)のが我々の普通の心ですから、三宝が我々自身の中に存在していると言えます。
自分の外に宝を見るのではなく、見ることも触ることもできない自分の内に宝があると自覚することは本当に大切なことです。
特に、同級生からお金を少年たちが恐喝したなどというニュースに触れるたびにその事を痛感させられます。それは単に少年たちだけの間題ではなく、物質的なものに踊らされている現代の世相の投影、と言えるかもしれません。