第14回 布施(ふせ・・・六度の1番目)
副題・・・財施と法施
講座第13回では六度の事をお話しました。
布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧、の六つをまとめて六度といいますが、別の言い方で六波羅密(ろくはらみつ・六つの智慧)ともいいます。波羅密はサンスクリットのパーラミータの漢字の当て字と言っていいでしょう。
ともかく、この六つのうちの第一番目が『布施(ふせ)』です。布施の『布』は『あまねく』、『施』は『ほどこす』という意味ですから、布施は『あまねく施しなさい』ということになります。『あまねく』というのは区別せず、誰にでも、という意味です。
簡単にたとえれば、子供がお菓子を持っているとします。○○チャンは好きだからこのお菓子をあげる、でも○○チャンにはあげない、なんていうのは布施にはなりません。
簡単にたとえれば、といいましたが、大人でも『自分の妻(夫)には…』という心や『自分の子供には』という心はよく起こるもので、考えれば考えるほど『布施の心に徹する』のはとても難しいという気がします。
ところで布施といえば、一般の人々にとってみれば、お寺さんに包む『お布施』を一番に思い浮かべるでしょう。あれも布施にはちがいありませんが、もっと正確に言うとあれは『財施』(ざいせ・財産を施すこと)です。それに対して(応えて)、お寺からは『法施』(ほっせ・法を施すこと)をしなくてはなりません。お寺としては、たとえばお釈迦様の教えを多くの人に紹介しなければならないと感じます。
まったく別のことですが、『布施』についてこんな話を聞いた事があります。日本人旅行者が、インドのある街中(まちなか)を歩いていると一人の老婆がやってきて「何かお恵みを」と言ったそうです。その老婆は、結構えらそうな態度で「私はおまえさんに『布施する』という善行を積む機会を与えてやったんだから、感謝して私に何か恵みなさい」という内容のことを言いました。
しぶしぶその老婆に、少しばかりのお金を与える事になりました。老婆の後ろ姿を追ってゆくと、彼女は数人の汚らしい子供達の中に入っていき、その子らに今もらったばかりのお金を分け与えていたのでした。彼女もまた善行を積む、布施する機会を与えられたのでした。