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易しい仏教講座

第17回 精進(しょうじん・・・六度の4番目)

六度(または六波羅蜜)の4番目が『精進』です。

 「精進」は、現在では「一生懸命頑張る」という意味で、一般的に広く使われている言葉ですが、もともとは仏教のなかでも、最も大切にされている言葉の一つです。

 現代の多くの人は、『精進』と聞いて、何を一番に思い浮かべるか?といえば、『精進料理』でしょう。

 広辞苑(第二版)で『精進』を調べてみると、三番めに『肉食せず、菜食すること』とあります。

 喪(も)に服する目的などで、何日も何ヶ月も菜食をするというのは、なかなかできない尊いことです。しかし精進料理イコール菜食かといえば、そうとも言えないと思われます。 

野菜やお米にも命があります。野菜やお米も生き物です。生きているからこそ食べられるのです。死んだ物は、腐ってしまって食べられません。だから他の命を奪わないで生きるなんて不可能なのです。

 一番大事な事は、我々は、肉食にしても菜食にしても、他の生物の命を奪って、それをいただかなければ、生きて行けない存在なのだと自覚する事です。

 修行道場にはいったばかりの頃(20年ほど前です)、ある日の午後、坐禅や作務(さむ…道場での掃除や農作業)で疲労困憊(ひろうこんぱい)し、眠くてしょうがない。このままでは倒れてしまうな、と思ったとき、ようやく薬石(やくせき・夕飯の事)の時間になりました。道場での食事ですから、麦飯にちょっとした野菜の汁ぐらいです。それでも夢中になって食べると、眠気がとれてきて、身体の中から力が沸いてきて、その後また始まる坐禅にむけて、「よーし、やるぞ」という元気が出てきたのです。

 飽食(ほうしょく)の時代に育った私達は、ものを食べると眠くなる、信じている人が多い。実はそうではない、むしろその逆で、食べると目が覚めるのです。食べたあと頑張る力を得るために、人間はたべるのだ、ということにこの時初めて気が付いたのです。精進料理の本当の意味はここの所にある、精進のための料理なのだ、と今はそんな風に感じています。