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久昌通信

平成20年5月久昌通信146号おもて

 風薫る5月。素晴らしい季節の到来、と言いたいところですが、朝夕が結構冷えるのに、昼間は25度以上の夏日…、体調維持が本当に難しい季節です。
でも本当の暑さがやってきたら、「あのころは良かった」なんていいながら、今の季節を懐かしむことでしょうね。
人間、本当に勝手なものです。

 4月1日から新年度となり、久昌寺役員会の新しい体制の3年間の任期がスタートしました。
よろしくお願いいたします。1ヶ月遅れとなりましたが、その顔ぶれのみご紹介いたします。
ごあいさつ等の詳しいことはまた別の機会に・・・

新(責任)役員
檀頭…余傳福正
副檀頭…橘和男、大賀忠彦(会計担当)、
藤原現吾、西村博文、伊達艶子 
監査(2名)…山本賀夫、藤原郁子
 以上の方々、また地区総代のかたがた、
重ねてどうぞよろしくお願いいたします。


4月11~12日、本山へ開山無相大師650年遠諱団参に出かけました。参加者のお一人・北川圭子さん(宇藤木)から原稿を頂戴しておりますのでここに掲載します。

団参旅行に参加して        宇藤木 北川圭子 

4月11日12日の二日間久昌寺の本山、京都の妙心寺へ団体参拝に行きました。
参加者は22名で幸いお天気にも恵まれ、満開のしだれ桜に迎えられ楽しく心安らぐお参りでした。

 この度、一番感動致しましたのは、妙心寺の中の、天井に『八方にらみの龍』が描かれた法堂(はっとう)で行われた法要に参加できたことでした。
50名ほどの僧侶の方々の数の多さに驚き、また管長様をはじめ35名あまりの和尚様達がお経を唱えながら、法堂の中を何回も何回も巡られるお姿に感動しました。
そんな中で○○家先祖代々のお塔婆が読み上げられ、あまりの厳粛さに、今まで参加したなかで今回が一番心に残りました。

 1日日の龍安寺はお庭で有名ですが(石庭)、奥のお堂に、今にも立ち上がって話しかけて来られそうな木彫りの仏像が数体あり、その中に日峰禅師(にっぽうぜんじ)が居られました。
ご詠歌の中で戦乱の世に身を置かれ、妙心寺再建に苦労なさったことでお名前は知っていましたので、思い掛けないところでお目にかかり私は感激致しました。
龍安寺ともご縁があったとは、その活動の幅の広さに驚きました。

 二日目には水戸黄門様に扮した俳優の方の案内で、嵯峨の大覚寺にお参りしました。
時代劇ファンなら直ぐに分かる景色がそこここにあり大沢池の辺りはなおさらでした。
太秦映画村も楽しくウロウロ歩き回った一日でした。
何よりも、心優しく楽しい皆様と参加できたことが嬉しい二日間の旅でした。



平成20年5月久昌通信146号うら

お坊さんの頭は何でツルピカなの?

先日、2日続けてこんなことがありました。
お年忌の法事のおり、これからお経が始まろうかという時に、背中の方から子供が「お坊さんはどうして髪が無いの?何でツルピカなん?」と、小さい声で言うのを聞いたのです。

「法事は孫の正月」という言葉が示すとおり、以前は法事の席に子供達が何人もいる、というのが当たり前でしたが、最近はそんな法事は少数派になっています。
子供の人数それ自体が減っているし、たとえ法事の日が学校が休みであっても、塾やらスポーツの試合やらで、昔に比べると、休日の子供たちも何かと忙しくなり、家には不在、ということが多いのです。
ともかくさまざまな理由で子供たちの法事への出席率があまり高くないのが実情です。
ですから「お坊さんはなぜ髪がない?」というような素朴な子供の疑問は貴重だと感じましたので、お経のお勤めのあと、そのことについての話をしました。

「お坊さんの頭がツルピカなのには大きく言って二つの理由があります・・・

今から2千5百年も前のインドで、お釈迦(しゃか)様が出家修行をなさっていた時、お釈迦様は髪の毛をそったお姿でした。
お釈迦様と同じような姿をしていれば、少しでも『お釈迦様のさとり』に近づけるのではないかと考えて、現在のお坊さんが頭をそってツルピカにしている、というのがひとつめの理由です。

もう一つは、髪の毛は煩悩(ぼんのう)の象徴、という意味があるということです。
煩悩とは、たとえば「あれが欲しい、これはいらない、あれが好き、これは嫌い」というような欲望です。
そういった欲望の気持ちは、断ち切ってしまうことがなかなか難しいし、たとえいったん断ち切ったとしても、再びそんな気持ちがむくむくと湧いてくるのです。

 髪の毛もそれとよく似ています。煩悩を断ち切ろうという願いをもって、お坊さんたちは髪の毛をそって頭をつるつるにしますが、時間が経つとまた伸びてきてしまいます。

 伸びたらまた剃る、伸びたらまた剃るの繰り返しの姿が、お坊さんのツルピカの姿なのです。
お坊さんのツルピカの姿は、次々と湧いてくる(生えてくる?)煩悩と戦っている姿だと理解して下さい。
その戦いに勝利するのはなかなか難しいですが、その困難に立ち向かっている姿勢は尊いものです・・・・」

硫化水素の自殺が続発しています。

昨年、一般の人間でも硫化水素を発生させられる方法がインターネット上に書き込まれたのがきっかけのようです。
ガスを発生させての自殺は、周囲の人々までも巻き添えにする危険性があるということもあり、現在、特に社会問題となっています。 

 4月末のある新聞にはこの問題に対してのある人のコメントとして「命は君のものですか?」という大きな文字の言葉がのっていました。
この言葉に続いて書かれた文章を一部ご紹介します。

 「死を考えている君たちに尋ねたい。君の人生は君のものではない、と私は思います。生きたくても病気で死んでいく子供がいる。戦争で命を奪われた人たちがいる。そんな多くの人たちから受け継いだ命の糸を絶やさないで…」

 仏教が示す『五戒(ごかい・五つのいましめ)』の第2が、不偸盗戒(ふちゅうとうかい)です。
盗むな、という意味にとれますが、それでは刑法的な解釈にすぎません。

 私たちは裸で生まれ、裸で死んでゆく。本来、自分のものなんて何一つない。
現在自分が持っているように見えるものは、何らかのご縁を持って、仮に自分に属しているだけのこと。
だからコレコレは自分の所有物だ、と考えただけで不偸盗戒を破っている、というのが仏教的な理解です。

 「命は自分のもの?」という質問を、つねに自分に問いかけ続けることが大切です。