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久昌通信

平成二十年 久昌通信147号おもて

入梅の頃をむかえて、いったん夏本番のあつさだったのが、気温が下がった事だけはありがたいですね。が、これから不順な天候になることと思いますので、皆さん体調に気をつけてお元気にお過ごしください。
仏教国であるミャンマー(旧ビルマ)で大災害が起こって大変なことになったと驚いていたら、間もなく中国四川省で大地震が発生しました。どちらの災害も数十万人もの死者・行方不明者・負傷者が出ました。報道があまりないミャンマーの方はほとんどわかりませんが、四川の大地震では被災者が数千万人にもなるとか…、これはもう想像を絶するとしか言いようがありません。ともかく、何か自分にできることはないかと思うばかりです。

中国では、地震などの天災は『神が与えた試練』と考える傾向が(外国に比べて)より強いそうです。それにしても、ある中国人がテレビの取材に対して(この地震をどう思うか?とたずねられ)、「神はなぜオリンピックの直前に、このような試練を中国に与えたのだろう」と言っていたのを見て、びっくりしてしまいました。思わず、『オリンピックの後だったらよかったのだろうか』と考えてしまいました。なんか言葉じりをとらえるようで気分はあまり良くなかったですけど。

売ったらあかん

隋筆家の岡部伊都子(いつこ)さんをご存知でしょうか?彼女はこの4月の末になくなられました。おいくつだったのか、はっきりとはわかりませんが、婚約者が沖縄で戦死(63年前)したそうですから大体は想像できます。
彼女は生涯で100冊以上の作品を残しました。彼女の思想の根底には『平和の大切さ』がありました。ご生前には、常々こんなふうに言っておられたそうです。「戦争は、結局、別れと死の2つしか生まない。それに比べて、平和な日常はさまざまな恵み、ぎょうさんの喜び、いのちを多層的に生んで育てるよ。平和を捨てたら、アカン。平和を売ったら、アカン。」
 また今から40年近く前、こんな印象的な詩を書き残しました。


売ったらあかん

友達を売ったらあかん      子どもらを売ったらあかん
まごごろを売ったらあかん    本心を売ったらあかん  
情愛を売ったらあかん      信仰を売ったらあかん  
教育を売ったらあかん      学問を売ったらあかん  
秘密を売ったらあかん      こころざしを売ったらあかん  
大自然を売ったらあかん     いのちを売ったらあかん  
自分を売ったらあかん      自分を売ったらあかん 

たくさんお金を儲けた人は、おそらくたくさんのものを売った人です。ただわけもなく、あこがれるのは間違いです。ところで、船場吉兆(せんばきっちょう)は人が残したものなんか『売ったらアカン』かったのに・・・

*来月は都合により休刊します   



2008年6月 久昌通信147号うら

私の母さん

5月11日は『母の日』。
その日の朝日新聞の天声人語の文章が非常に印象的でしたので全部をご紹介します。

 『わたしの母さん』という児童小説がある。小学4年の主人公、高子は算数が得意で、学級委員をしている。
気がかりが一つ。
明るいけれど、少し変わった母親のことだ。

月初め、母さんは日めくり(ひめくり 日捲り)暦の一枚一枚に封筒をはりつけ(貼り付け)、千円札を2枚ずつ入れていく。
毎日、その2千円を財布に移して生活に充てる(あてる)のだ。
高子は「ひと月分を同じ袋に入れておけばいいのに」と思うが、母さんは大きな数の計算が嫌いらしい。

さらに、連絡のプリントにはフリガナをつけてと学校に頼んだりもする。
あきれる娘はある日、母が生後間もない熱病で知的障害を負ったことを知る。
父さんとは養護学校高等部の同級生だった。

作者の菊地澄子さん(73)は養護学校などで教えてきた。
この作品も体験が元だ。突然の真実に立ちすくみ(立ち竦み)ながらも、母を理解し、優しく伸びてゆく少女。
20年前の初版は児童福祉文化賞を受けたが、出版元の廃業で絶版になっていた。06年、東京の出版社、北水(ほくすい)が新装版で復活させた。高子のモデルはすでに母になっているという。

作中に「人間の賢さ(かしこさ)っていうのは、その人が持っているちからを、どう生かしているかっていうこと」とある。
母さんがずっと頼りにしてきた元担任が訪れ、親の「学力」を疑う高子を諭す(さとす)場だ・・・。
本の帯には〈お母さん、生んでくれてありがとう!〉。

この瞬間にも、色んな人生を背負った(せおった)母親たちが持てる力を振り絞っている(ふりしぼっている・・・声や力、知恵などを精一杯出すこと)だろう。
きょうの母の日、その人が目の前にいてもいなくても、同じことばを贈りたい。

11日にこの文章を読んで、本をすぐに注文しました。
6月1日の久昌通信発行までに間に合えばいいなあ、と期待しながら・・・。
5日ほど前に届いて、読むことができました。素敵なご縁に感謝。

本を読むとさらにいろんなことがわかりました。
お父さんの名前は高夫、お母さんの名前は清子。
お母さんは漢字がほとんど読めなくて、回覧板が来るとそれを持って来た人に玄関で読んでもらっていたこと、
まじめで働き者のお父さんはお母さんより読み書きや計算が得意だけれど言葉が少し不自由なこと、
そして選挙前にはお父さんとお母さんが、紙に候補者の名前を何度も書いて投票用紙を書く練習をしていたこと(高子はくずかごの中から名前を書いた紙くずを発見しました)など…。
最も深く心に残ったのは、お父さんとお母さんが、お互いをとても尊敬し愛し合っていて、ふたりの間に生まれた子にはお互いの名前から一字をとって名前を付けようと決めていたことです。
最初に生まれた女の子は父の名前にちなんで『高子(たかこ…この小説の主人公)』、2番目の男の子は母親の名前から『清(きよし)』と名付けられました。