平成二十年 久昌通信148号おもて
負けっぷり
この夏は、甲子園の高校野球もプロ野球も全く影が薄くなってしまうほど、北京オリンピックが注目を集めました。開会式でのCG花火や幼女に口パクで歌わせたり、などのさまざまな物議をかもしだしましたが、日本代表選手の様々な活躍には私も大いに胸おどらされました。
水泳平泳ぎの北島選手の二つの金メダル、すごかったですねえ。
特に百メートルで優勝した直後のインタビューで彼が見せた涙は、本当に意外で感動させられました。
そしてなんといっても忘れられないのがソフトボールの日本チームの金メダルです。
逆境に追い詰められてからの、まるで作り話を実現したかのような優勝でした。
言葉は悪いですがまさに『火事場のバカ力』と、いうべきでしょうか。惜しみない拍手をおくりたいですね。
日本が獲得した金メダルは9個(ソフトボールでは1種目だけで十数個の金メダルをもらっていると思うのですが、あれもやっぱり『1個』と数えるんでしょうね、ちょっと残念ですが)でした。
優勝した選手が大きな注目を集めるのは、いた仕方の無いことだと思いますが、そんな中で、この選手の『負けっぷりがよかった』と、テレビである人がコメントしていたのが印象に残ったので、そのことをご紹介したいと思います。
『負けっぷりがよかった』のは陸上男子5千メートルの松宮選手と女子柔道78キロ超級の塚田選手です。
松宮選手は予選に出場したものの、走っている途中で片足の靴が脱げてしまいました。
そのまま最後まで走り続けて、十分に実力が発揮できないまま予選落ち、決勝には進めませんでした。
ゴール後に黙ってトラックに落ちている自分の靴を拾いに行き、インタビューでも、彼は言いわけがましいことは一切言いませんでした。
塚田選手は、決勝戦で相手をポイントでリードしていましたが、優勝を目前にして投げられ、一本負けしてしまいました。
彼女は後のインタビューで「自分の実力を全部出したつもりだし、ああいう風に投げられてしまったのも前に出た結果で、自分のスタイルを貫き通せたと思っています」と述べ、すがすがしい満足げな表情をうかべていました。
オリンピックでも他の大会でも何でも、敗者が大部分、勝者はごくわずかです。
ということは『負けっぷり』がどうか?ということこそ多くの人間に課せられた重要課題だといえるのではないでしょうか。
さらに言えば、われわれ全員がいつかは寿命が尽きてしまいます。つまり、時間に対しては我々は絶対勝つことができません。みんな敗者になるのです。だから『負けっぷり』ってとても大切だよなあ・・・などということを考えさせられたこの夏でした。
重大ニュース!!!
ご存知の方もおられるかと思いますが、久昌寺の2匹めの飼い犬になりそうなノラの子『コテツ』は実はメスだと判明しました。
オスだとばかりと思って『コテツ』という名前にしました(命名者・娘)がどうなりますか?
しかし妻は、呼び名は『てっちゃん』だし、『小春』とか『小雪』という女らしい名前もあるし『コテツ』のままでいいんじゃない?という意見です。
平成20年9月 久昌通信148号ウラ
念彼観音力(ねんぴーかんのんりき)
テレビで「悪霊退散(あくりょうたいさん)、念彼観音力(ねんぴーかんのんりき)、念彼観音力、念彼観音力、エエイッ!」と、ある人が叫んでいるのを見ました。
言っているその本人が、目のつりあがった顔の悪霊自身のようだったのがとてもおかしく思わず噴き出しそうになりました。
その番組を見ていたわけではなく、ほかの番組を見ていた時に、CMの中で突然番組宣伝として見せられたのでした。
でも、笑っている場合ではありません。『念彼観音力』が悪霊退散のまじないの言葉として使われているのです。
大変な誤解です。
叫んでいる当人だけが誤解しているならまだしも(それも気の毒な話ですが)、多くの人が視るテレビ番組の中で「悪霊退散、念彼観音力」などと叫ばれると、世の中に誤解が蔓延してしまうかも知れません。
もしそうなったら、私も仏弟子の一人としてお釈迦様にも観音様にもなんとも申し訳ないことだと感じますので、その誤解を解きたいと思います。
『念彼観音力』とは観音経(かんのんぎょう)というお経の中の一節です。
観音経によれば、観音様(観世音菩薩)は神のような不思議な力を備えた存在であり、観音の力は様々な苦しみを救うことができると書いてあります。
たとえば、『山の上から人に追い落とされたとしても、観音力を念じれば(念彼観音力)お日様のように虚空にとどまって落ちることはない』とか
『猛獣に囲まれて襲われそうになっても、観音力を念じれば猛獣たちはどこかへ走り去ってしまう』という記述があって、文字そのままを読むと驚かされるばかりです。
そういう表現が十数回繰り返されるのです。従って、仏教や観世音菩薩が、奇跡を呼ぶ存在であるかのように思いこんでしまう人がいるかもしれません。
しかしながら、結論を言えば、『念彼観音力』は奇跡を呼ぶ呪文ではありません。
忘れてならないのは、観音経に書いてある『高い山の上から人に追い落とされる』は、比喩的な表現だということです。
実際に『山の上から人に追い落とされる』経験を持つ人は数少ないでしょうが、『信頼していた人に裏切られてがけから突き落とされたような気持ちになる』人は、この世に数えきれないほどいるに違いありません。
『猛獣に囲まれて・・・』という表現は、自分の周りにいる人がみんな自分を敵視している、ということを意味しています。
たとえば何かの会議に出席していて、自分の意見が全く孤立している、というような状況に置かれることは誰にでもありうるのです。
たとえ、そのように人に裏切られたり、自分だけが孤立するといった状況にあったとしても『観世音菩薩はちゃんと見守っているから、大丈夫、安心してあきらめないで頑張れ』と励ましてくれる言葉が、『念彼観音力』なのです。
現代は、何らかの苦境におちいったとき、すぐにやけになって重大な事件を起こしたり、自殺に走ったりする場合が多い時代です。
誰でもが孤独感に陥りやすい時代でもあります。
見守ってくれる存在が必要なのです。
本当の意味の念彼観音力がますます大切になってきた時代、だと言えるでしょう。