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久昌通信

久昌通信149号(平成20年10月号)おもて

五番目に嬉しい

 久昌寺の前から、川沿いに東に数百メートル続いているコスモス街道(通学路)が今、とても見事です。


コスモス街道・むこうは麦飯山(むぎいざん)

地区の役員さんがたや住民の努力の結晶です。
特にこの夏、雨がほとんど降らなくて、春にまいた種から育ったコスモスが枯れてしまいそうだったのを、暑い中、水やりなどに奔走なさった方々には大きな拍手を送りたいと思います。

お彼岸が終わったとたんに、いきなり十一月なみの寒さと秋雨が襲ってきました。
暑さがまたぶり返しそうだし、秋の豊かな実りを迎えるにはもう少し試練が必要、という事でしょうか。

先月の通信にはオリンピックのことを書きました。今月は、オリンピックの後に開催された北京パラリンピックでの事を一つご紹介します。

今回のパラリンピックでは、日本選手は金メダルを5個しか獲得できませんでした。オリンピックで日本が獲得した金メダルより少ないですから、パラリンピックで優勝するのはオリンピックよりも簡単なんじゃないかと何となく思っていたのは錯覚にすぎなかったようです。


さて、そのパラリンピックの陸上男子800メートル(車いす)で日本の伊藤智也選手が金メダルに輝きました(2位も日本の高田選手。400m、800mともに伊藤選手、高田選手のワンツー・フィニッシュでした)。
直後のインタビューで今のご感想は?と尋ねられた伊藤選手はそれに応えてこう言いました。

そうですねー、今まで生きてきた中で五番目にうれしいです
たずねた人は、最高にうれしい、とかとても幸せです、などの返事を期待していて、とても困惑したことだろうと思います。
おそらく何も言えないで呆然としていたのではないでしょうか。
伊藤選手は次にこう続けました。
子供が4人いるんです。4回とてもうれしかったから、今回はその次のうれしさですね・・・

話が変わりますが、先日テレビで、東北地方に世界記録保持者の陸上競技者のおじいさんがいる、と紹介されているのを見ました。

 お爺さんの名前は下川原孝さん、102歳!98歳から本格的に陸上競技を始めて、円盤投げ、槍投げ、砲丸投げの100歳以上の世界記録保持者です。
朝から、腕立て伏せ、腹筋を日課にしているそうです。

102歳には見えない肌のつや、かくしゃくとしたおしゃべり。
ウルトラおじいちゃんです。

「お爺さん、今の調子はいかがですか?」アナウンサーからこう聞かれて下川原さんは言いました。
ちょうしは、、、、千葉県」・・・・ちょっと難しいかなあ。



久昌通信149号(平成20年10月号)うら

難民支援と地雷除去

9月末の新聞に、社会貢献活動に力を入れている、ということで賞を獲得した企業とその活動が紹介されていました。
あまり宣伝になってもいけませんが、興味深かったので、中のふたつを皆さんにも紹介したいと思います。

①難民衣料支援

 山□県宇部市発祥のユニクロは、カジュアル衣料を製造・販売する一方、数千種類にも上る全商品を使用後に店頭で引き取って難民支援に回す「全商品リサイクル活動」を、国内全750店で実施しているそうです。

 リサイクルで集まった衣料は、委託業者に送られて選別されます。「まだ着られるもの」は9割にもなり、季節や男女、上下など12通りに分けて保管されます。

 そして、現地の事情にあわせて各地の難民キャンプに運び、衣料不足に苦しむ難民に贈られるのです。
06年9月からこの活動に力を入れ、これまでにネパールやウガンダなどアジア・アフリカ5力国の難民キャンプに届けているそうです。

 国連の難民高等弁務官事務所は、この活動について「人の尊厳や身体を守る衣料のニーズは難民キャンプでは非常に高いが、水や食料、薬に比べて衣料支援は不足がちなのでとても感謝している」と話しています。

 ユニクロのユニークなところは、回収箱で集めず、店員が手渡しで受け取ってお礼を言う点です。
 『たましいのこもったリサイクル活動』といえるでしょう。

届いた衣料を着た難民の笑顔はポスターになってユニクロの店を飾り、次の来店客の心を動かしています。
毎年3月と9月が回収の月ですが、回を重ねるごとに回収点数は増えているそうです。

②地雷除去機

 長さ10メートル、幅4メートルを超す巨体が、山梨日立建機の敷地で地雷原へ出荷されるのを待っています。
重さは30トン。地中20~30センチの地雷を掘り当て、爆発させる地雷除去機です。

 これまでの地雷除去作業は、多くの場合、人が金属探知機を手に持って地雷原を歩いていました。
危険な作業であることに変わりはありませんが、作業者の命は、操縦席に防弾窓もある屈強な機械で守られるようになり、危険度は、うんと減ったと言えるでしょう。

 地方の一建設機械メーカーにすぎない同社が地雷除去機の開発に乗り出しだのは1995年のことです。

 「地雷があってはこの国はよくならない。カンボジアを助けて」
市場調査に立ち寄ったカンボジアで、こう訴える老婆の姿に社長さんは突き動かされました。

 社長みずからが、地雷除去に取り組む団体と寝食をともにする生活を始めたのです。
カンボジアやアフガニスタンなど、それぞれの土地に合う機能を研究開発しました。
2カ国を皮切りに、これまでODAなどを通じ6カ国に58台の機械を納め、現在機械を待っている国が8カ国あるそうです。

 地雷除去機は、機械の先端部を交換すれば、通常の建機として道路や畑を造ることもできます。
ニカラグアのある地域では地雷原が果樹園にかわり、オレンジを輸出して外貨を稼げるようになったということです。

 地雷除去を地元の人の手でできるようにしなければなりません。
現地で会社の社員が機械の操作を指導するだけでなく、時には山梨県の本社に研修生を招いて指導することもあります。

 地雷は世界にまだ1億個埋められているとも推定され、手作業していては、除去に1千年かかるともいわれています。

社長さんは、5年前から始めた講演活動の中で、地雷で手足を失った世界中の子どもたちの惨状を日本の子どもに伝えています。
社長さんは、全国から届く応援の手紙を励みに、さらに役立つ地雷除去機の開発を目指しているそうです。