152号(平成21年5月)
お経の力
閑栖・明秀和尚が遷化(せんげ)したのは、2月1日のことで、その日は今年最初の久昌通信の発行の日でした。原稿が出来上がってさあこれから印刷、発行というところで中止となってしまいました。先般号外(増刊号)をお届けしましたが、昨年12月に続く152号の、新しい紙面を作ってやっと発行となりました。またよろしくお願いします。ただ以前と違って片面だけの通信で記事の量が減ってしまいますが(臨時に増やすこともあります)、ご容赦のほど・・・
最近よく思いますのが「お経の力」ということです。もちろん先住の遷化のずっと以前からお経をとなえ続けてきたわけですが、精神集中してお経をとなえることによって、遷化以降、師父を失った悲しみからずいぶん救われている気がします。
実は昔、一度だけ感情をおさえることができないで、涙のためにお通夜のお経がほとんどよめなくなってしまったことがあります。あとで、そんなことはお坊さんとして恥ずべきこと、もっと集中して(無心に)お経をよまなければと考え、以後その様に実践して二度と感情に支配されてお経がよめなくなる、ということはなくなりました。
しかし、ただ単に精神集中したお経は、感情にまさる、ということだけではありません。悲しみをいやし、さらに心を勇気づける…お経は、そんな説明のつかない不思議な力も持っているのだということを感じた昨今でありました。
やすらぎ電話第1回
閑栖は昭和61年から20年以上にわたって10日に1度、テレフォン法話・安らぎ電話を更新し続けてきました。最後の方は更新が半月に1回になり月に1回になり、ついにはできなくなりましたが、ともかくも続けてきたそのパワーはたいしたものです。先日その原稿を記した大学ノートを数えたら16冊ありました(あと2冊あるはずなんですが発見できません)。昭和61年8月1日の第1回をご紹介いたしましょう。
はい、もしもし久昌寺安らぎ電話です。お電話いただき有難うございます。
半月あまりのテストを終わり、おかげさまでいよいよこの安らぎ電話も、本日8月1日から、正式の第1回が始まります。母・智香尼(ちこうに)の13回忌の供養のためにと思って始めたわけですから、テストの分に引き続き、母の思い出を聴いて下さい。
母の77年の一生の中で一番の出来事は尼さんになったことだと思います。父はまだ30そこそこの若さで本堂再建の大事業に取り組みましたが、結局は肩の荷が重すぎたのでしょう、落成式を目の前にして急死してしまいました。
母が数えで35才、私が11才、弟が8才、妹が5才の時でした。さあ大変です。あとをどうするかについて重苦しい会議や相談が続いたことでしょう。そんな中で49日の法要を迎えました。
私は学校へでも行っていたのでしょうか、ともかく外から帰ってくると、手伝いに来ていた隣のおばさんが「アキちゃん、お母ちゃんがお坊さんになったよ」と言います。何のことやらわからず、そんなことあるかと思いながら部屋にはいるとクリクリの頭になった母が座っていました。はっと立ちすくむ私に母はにっこりほほ笑みましたが、私は部屋の隅においてあるざぶとんを引きかぶって泣きじゃくってしまいました。
父の33回忌を済ませたあと、母がそのときのことを聞かせてくれました。49日の法事のとき、いつまで待っても本堂へ出てこない母を呼びに、一人の和尚さんが庫裏までやって来ました。その少し前に(母は)姉に頼んで髪にはさみを入れてもらっていたのです。それを見たその和尚さんが「おお、そこまで覚悟したんか」と言われて、法事の席が得度式になったということでした。列席の皆さんがみんなもらい泣きをした、というのを別の人から聞きました。
お寺を思い、子供の将来を思ってみどりの黒髪をたち切った母の心をしのぶ時、つい涙ぐんでしまいます。
以上で今日は失礼いたします。有難うございました。次は8月11日にお話がかわります。さようなら。