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久昌通信

153号(平成21年6月号)

梅雨入りと入梅

もうすぐ梅雨シーズンの始まりです。
今以上に天候不順になるのかも知れません。
けれども雨の少ない昨今ですので少し待ち遠しい気もしますが…

ところで『梅雨入り』と『入梅(にゅうばい)』とはまったく同じ言葉だと思っていましたがどうも少し違うようです。ご存知でしょうか?
 梅雨入りは気象用語で、実際に梅雨の期間に入ることを表しています。
中国地方の梅雨入りは例年
66日ごろだそうです。

一方、入梅は暦の言葉で、季節の移り変わりを把握するためのものです。
カレンダーには毎年
611日頃に「入梅」と記してあり、あらかじめ日付が決まっています。
立春から数えて
135日目であり、田植えの時期を示す重要な目安として、今はそうでもありませんが昔は大変重要視されていました。

5月のある日、古い手紙などを見ておりましたら、先住・明秀和尚が昭和17年秋に書いた葉書がありました。大志を抱いて京都大学に入学したばかり、そして太平洋戦争が始まった翌年のことです。短いけれど、なかなか良い文章だと感じますのでご紹介します。

誠に突然ですが、16日午后4・5時頃帰ります。「また汽車賃を費って」とお叱りになるかも知れませんが、帰りたくて仕方がありません。

先日幸子さん(註…妹)から英語を習ふべきか習はざるべきかときいて来て僕は習へと云ってやったのですが、「三」に関しては帰って話をするとお傳へ下さい(原文のママ)。

ウマイ御飯を腹一杯食べたい。又、先日はあまざけ(うちから送ったといふやつ)慈氏院さんで戴きました。一昨日、食堂ではじめて、まつたけを喰ひました。(改行して)京都も物凄く寒くなりました。

京都市左京区南禅寺福地町 慈氏院内 豊岳明秀  (昭和171014)




先月、閑栖和尚の安らぎ電話第1回をご紹介しました。これから数回、初期の安らぎ電話を紹介します。

安らぎ電話6回 白馬寺 昭和61・9・21

来月27日に行われます日比の観音院様の日中友誼鎮魂の鐘の落慶開眼の式典に、中国から白馬寺(はくばじ)のご住持がおいでになりますので、今回は5年前に訪問した時のなつかしい思い出を聴いてください。

白馬寺は白い馬の寺と書きまして岡山市の姉妹都市・洛陽(らくよう)市の西にあり、中国仏教始まりのところです。
1920年ほど前、インドからはるばる迦葉摩騰(かしょうまとう)と竺法蘭(じくほうらん)という二人の僧侶が多くのお経や仏像を白馬の背中に積んで、洛陽にやってきました。
後漢の明帝は大変喜んで、二人のために白馬寺を建てて、二人はここで一心にインド語から漢文へお経を翻訳なさったのであります。

 5年前の昭和5610月、岡山県日中仏教文化交流会の一行は洛陽市街から郊外へ出て、プラタナスの並木のずっと続く道をバスに揺られて30分、白馬寺につきました

大勢の人がお参りしていました。
門の前の石づくりの馬(白色ではなくて黒みがかった灰色でしたが)に子供がかわりばんこに乗せてもらっていました。
黄色い衣に赤い袈裟で盛装のご住持と他数人の僧侶の出迎えを受けて中にはいりますと、仏殿には布袋様がまつってあります。
仏殿でおつとめのあと、かの二人の僧の石碑を拝し、記念館では世界各地から寄せられた多数の記念品を見学しました。
その中に百六良慶と署名のある「壽」の文字を大きく染め抜いた風呂敷が吊り下げられてあるのを見ました。
前の清水寺
(京都)の管長・大西良慶(おおにしりょうけい)老師が百六歳のときに贈ったものです。

こちらの団長で岡山国清寺の華山恵光老師が『洛陽の牡丹 新たに蕊を吐く』という詩を引用され、インドから伝わってきた仏教がここで花開き、新しい一歩を踏み出した、とご挨拶をなさって感銘いたしました。
お寺から歴史や生活のお話を聞いて名残を惜しみながら失礼しました。