久昌通信
久昌通信154号(平成21年7月号)
先人の英断
6月も最後になって、ぐずついた空模様が続いていますが、梅雨だというのに雨がほとんど降りません。
にわか雨が降ったあとで、もう少し降ればいいのにと思いながら空を見上げてため息をついていたころ、聞こえてきたのが、もはやこの時期の恒例ともいえる例の二ユースです。
「四国の水がめ・早目浦ダム(さめうらダム・高知県)の貯水率が下がっています、このまま雨が降らないと讃岐(さぬき)の水はピンチ・・・」
このニュースを聞くたびに、讃岐(さぬき)・高松の向かい側で雨の少ない瀬戸内気候の玉野に住んでいて、私達が渇水の苦しみをほとんど味わうことがないことに感謝せざるを得ません。
現在、玉野地域には中国山地から流れてくる巨大で水量豊富な高梁川(たかはしがわ)から水を引いており水不足になることはほとんどありません。
しかし高梁川が玉野市の中を流れているわけではなく、昭和30年に、高梁川の河口に当たる倉敷市から延々パイプを設置して、水を送ってもらっているのです。
パイプの敷設はとても大規模な工事であったろうと思いますし、当時の玉野市長さんや関係者、また相手側の倉敷市の方々の英断は本当におかげさまなことでした。
昭和40年ごろに久昌寺のある荘内地区にも上水道が整備されました。もしそれがなければ、飲料水も農業用水もため池や井戸に頼る生活が続いていたことでしょう。
赤痢の患者数も市全体で毎年3桁に及ぶという状況がもっと続いていたかもしれません。
讃岐地方の例年の水不足の抜本的な解消に踏み出す人はいないのでしょうか?
たとえば、海水を淡水に変えるという大規模な設備を導入するという方法もあるようです。
やすらぎ電話20回(1987年2月11日)
おねはん
2月15日はほとけさまの教えをはじめられましたお釈迦様のご命日でお涅槃(ねはん)といいます。ねはんは仏教の言葉『ニルバーナ』から来ていまして、この上もなく静かな境地の事、つまりさとりの世界を言い、転じてあの世への旅立ちのことも言うようになりました。
それでこの日のおまつりを涅槃会―おねはんの集い、と申します。
西行法師(さいぎょうほうし)は「願わくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月(もちづき)のころ」と詠われましたが、如月(きさらぎ)は2月、望月は満月15日でありますから『きさらぎの望月』は2月15日の事です。
その2月15日・お釈迦様のご命日のころにさようならをしたいものだ、というお気持ちを西行法師は持っておられたのでしょう。
もちろんこの2月15日は昔の旧暦でありますから、今の暦ではもう1ヶ月ほど先になります。
今年の暦では新と旧が1ヶ月違いで大体同じ日に当たっていますから、もう一月たてばぼちぼち花の便りもありましょう。西行法師の『花の下にて春死なん』という願いがうなづかれる次第です。
また百七歳の天寿を全うされました京都・清水寺(きよみずでら)の大西良慶(おおにしりょうけい)老師は2月15日当日にお亡くなりになり、皆さんが「さすがに生き仏さまだったなあ、お釈迦さまと同じ日にお参りなさるとは…」と感じ入ったものです。
さて、雲一つない大空にかかる満月の明るい光に照らされ、物音一つしない静かな夜が更けてゆく時、お釈迦さまは最後のみ教えをお説きになられました。
「いたずらに嘆き悲しんではなりません。私の姿かたちは無くなっても、私のしてきたこと、言ってきたことはそのまま残ります。これからは自分みずからをともしびとし、私の説いてきたことをともしびとするがよろしい。中でも五つの戒め、十の戒めをしっかりたもって、道にはずれぬようにつとめなさい」
とおっしゃって静かに眼を閉じられたのでした。 (豊岳明秀)
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