脇席にいたらざること一週間
先住職の残したノートの中に、昭和24年1~2月の間に本山の僧堂(修行道場)の中で書いたかなり詳しい日記が出てきました。修行生活も3年ほどが過ぎ、書くことがとても好きだった先住職は、その修行生活の様子を書き残してくれました。が、私はこのたび初めて読みました。一部をご紹介します。
「1月20日 木 晴・・(中略)・・・大接心もいよいよ明日をもって終了である。このたびは初日の『脇席にいたらざること一週間』の誓願を貫いたのでいささか 欣快に堪えぬ。今晩は最後の徹宵だ・・・(以下省略)」
これを読んだ時、驚きました。
『脇席に至らざる』というのは『横になって寝ない』という事であり、若き先住職(26歳)が、この6日前に「一週間はけっして横にならないぞ」という誓いをたて、それを守り通す事ができたのでとてもうれしい、というのです。
少し前後の補足説明をします。『大接心』というのは、とても厳しい坐禅週間のことであり、修行者たちは精神的にも肉体的にも大変なエネルギーを費やしてこの一週間を乗り切らねばなりません。『徹宵』は正式には徹宵夜坐といい、徹夜で坐禅する事です。 650年前に亡くなられた妙心開山無相大師は、我々が日頃おとなえしているご遺戒の中で、ご自分の師である大灯国師のことを「脇席にいたらざること多年、すこぶる古尊宿の風あり」と言っておられます。すなわち、「私の師は、長年、横にならないで修行を続けたほどの誠にすばらしい禅僧であった」という位の意味でしょう。『脇席にいたらざること多年』には驚嘆するしかありませんが、『多年』と聞くと、何か自分とはかけ離れた事のような印象を受けておりました。「脇席にいたらざること一週間」は、より現実味を帯びて私の心に迫ってきます。しかしながら、私の若いときでもせいぜい3日が限度でしょうか。何しろ睡眠時間の短い僧堂では、横になって寝る事が一番のご馳走でしたから。
やすらぎ電話29回(1987年5月11日)
今回から何回か続けて「般若心経」のお話をいたします。お釈迦さまはご自分では文章を書かれず、色々な時と場所で、色々な人々のためにお話をしてくださったのでありますが、それがお経になりました。
お釈迦さまがおなくなりになりましたあと、大ぜいの弟子たちが寄り集って「あの時はこう言われた、この時はこうだった」とお互いに確かめ合って書き残されたのがお経です。
それではお経の『経』という字はどんな意味でしょうか。源氏の大将にこの字が使われており、一番有名なのが源義経です。つまり、「経」の字を「つね」と読みます。つねというのは遠い過去から遥かな未来にわたってかわらない様子をいいます。
また私たちが地図を見る時、たてと横に線がはいっていて、横の線が緯度、たての線が経度をあらわしますが、この経度がお経と同じ字で、読み方がちがうだけです。それはたての線、たて糸のことです。
私は5年あまり京都におりまして、西陣織を見る機会がたびたびありました。京都の家はよく「うなぎのねどこ」と言われまして、間口が狭く、奥行きが深い、その深い奥に二、三台、はた織り機をすえまして、おばあちゃん、おかあさん、娘さん、と全く女子だけの家内工業でやっておられます。一尺あまりの帯を織るのにおよそ三千本のたて糸が使われるそうで、それが広げたせんすのような形に張ってあり、そのかなめの所へ横糸を通して、しめていきますと、だんだん帯ができあがります。ところが、帯ができあがるにつれて、このたて糸は姿をかくし、目に見えるのは横糸だけになってきます。どんな織物も、また畳のような敷物もそうですが、たて糸は見えません。見えませんが、ちゃんと芯になっていて、それある故に物事が成り立っています。
私たちの心も同じ、目には見えないがちゃんとあり、それによって私たちの人生、そしてこの世の中が成り立っているのです。うわべだけにとらわれずその奥にある心、その心をやしない育て、みがいていこうというのが心経です。
(先住職・豊岳明秀)