久昌通信158号
無相大師650年遠諱
12月になりました。5日には開山忌・お火焚きまつりで大勢の方が久昌寺にいらっしゃいます。みなさんお気をつけていらして下さい。そして役員・総代さん方どうぞよろしくお願いします。
今年の締めくくりとして、今一度本山開山無相大師650年遠諱について、妙心寺HPから文章を引用しながらご紹介します
今年は妙心寺(京都市右京区花園)のご開山(初代住職)さまの650回忌にあたります(開山様が亡くなられたのは延文5年・西暦1360年12月12日)。50年毎に行われる大法要のことを"遠諱(おんき)"といい、本山・妙心寺ではこの650年遠諱にあたり「どう活かす わたしのいのち」をテーマとして掲げ、大法要のほかさまざまな記念事業を通じて、「いのち」の大切さを世に問いかけて参りました。
「請う、其の本を務めよ」(こう、そのもとをつとめよ)は、ご開山さまが弟子に遺されたお言葉です。また「たとえ、私のことは忘れても、私の師である大燈国師や、その師である大応国師のご恩を忘れたなら、私の弟子ではないぞ」と遺言されたのです。つまり「親である私のことは忘れても、祖父、曾祖父のご恩はけっして忘れるな」とこうおっしゃったのです。
私たちが、今授かっている「いのち」はけっして自分ひとりのものでなく、ご先祖さまから綿々と受け継がれてきた大切な「いのち」であることを忘れるな、というご開山さまからのメッセージです。
「その本」を見つめ直すことはそのまま「いのち」の大切さを自覚しそれの使い方を考える事に他なりません。
今月の予定にありますとおり、12日にはご本山でおこなわれる開山無相大師・650年遠諱正当法要に参加させて頂くため、檀頭さんとともに京都へ行きます。とても楽しみです。
やすらぎ電話第51回(昭和62年・12月・21日)
しわすがね
年の瀬も押し迫ってまいりまして、今年もこの旬間だけになりました。年中行事も色々ととどこおりなく行われてきましたが、今年の出来事としては、納屋兼便所一棟の改築、日の出別院の開設、二男澄明の副住職就任と結婚式などがありまして、年も暮れていきます。
12月になりますと、いつも良く聞くことですが、『しわすがねはたたかんもんじゃと言われるから、12月には、家の仏様もおがまんのが良いんですが、法事もせん方が良いんでしょうな、』という質問です。この質問は亡き母の智香尼もよく受けていたようで、その答えを時折耳にしましたのでご紹介します。
「そりゃあんた、いつごろ誰から聞きまちごうたかわからんけえど、しわすがねははたかんもんじゃ言よったのが、はをたととりちがえてたたかんになってしもうたんよ」と言われていました。
しわすになると、いつかけとりが集金にくるかわかりませんから、しわすのお金は財布の底をはたいてしもうたらいけませんということで、しわすがねをはたくな、と言っていたのが、手前の都合の良いように、しわすがねをたたくな、にしてしまって、法事はせんでもいい、なんて勝手なことを言い出したということです。
毎日々々、すべてがご先祖さまのおかげなのだから、仏様を拝むのに、何の遠慮もいりません。とりあえず、しわすに限らず、お金は大事に使い、仏様のかねは鳴らして拝みましょう。
さて、新年を迎えるための準備がお寺でもいろいろありますが、それぞれのご家庭でも、一年中のしめくくりと新年準備にご多忙のことでしょう。やはり行く年来る年の大きな節目です。新しい年が良いお年でありますようにお祈りしながら、今年最後のやすらぎ電話を終わります。1年間よく聞いていただきまして有難うございました。
今日はこれで失礼します。次回は来年1月1日にお話が変わります、さようなら。 (先住職 豊岳明秀)