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久昌通信

久昌通信163号

分け入っても分け入っても青い山


宮崎の口蹄疫の事が心配です。
殺処分されてしまう数多くの牛や豚、その飼い主の方々の事を思うと本当に心が痛みます。一日も早い口蹄疫の終息を願ってやみません。

表題の俳句(自由律)は種田山頭火(たねださんとうか1882年~1940年)の残した大変有名な句です。
このたびある事がきっかけで(長くなりそうですので割愛します)、托鉢(たくはつ)の禅僧として旅をした俳人・山頭火についていろいろ調べました。
それで上の表題になったというわけです。

この句は、大正十五年四月に、彼がそれまでの観音堂での一人暮らしをやめて、あてもない行乞(ぎょうこつ)の旅に出たときのものです。

私がこの句を大変好きなのは、この句をよんだ時、真っ青な雑草に覆われた初夏の山の情景が心にうかんでくるのと、禅の道に限らず様々な人生の旅には、どこまで行っても到達点がない、という事を暗示していると思うからです。

久昌寺の聖観音像の前に小さな句碑が残っている
うしろ姿の有り難く 南無観世音大山澄太(おおやますみた)氏は山頭火と大変深い親交がありました。
その大山氏が語った数多くの山頭火との思い出の中の一部をご紹介しましょう。

・・・昭和8年3月頃に小郡(山口県)にある山頭火がいる『其(ご)中(ちゅう)庵』に初めて行きました…
(中略、初対面の後、いきなり炊きたての熱々のご飯をよそおってくれて食べさせられて…)
私が、山頭火に向かって「あんた一緒に食おうじゃないか」と言うと「それがうちには茶碗が一つしかないからあんた早う食うてくれ、わしは待っとるから」

 2杯食べて合掌して箸をおくと、山頭火はそれを奪い取るようにして、洗いも拭きもせず私の食べた茶碗に飯を盛り、今度は私が見とる番で、私の目の前で山盛り4杯食いました。
彼が死んだ後、このときの日記を見てみました。
「…十八日に澄太君が来てくれるという便りが来た。
ここしばらく微熱があり、ものぐさも手伝って二・三日梅干の白湯で辛抱しとるがお客はそれではいかんので、山口の郊外を托鉢(たくはつ)して来た。
三時間あまりの托鉢で十三銭五厘、米一升七合頂戴した。有り難し有り難し。これだけあれば澄太君がいつ来てもかまわん」とこう書いてある。
それは日記には書いてあるが、そのときは私には言わなんだ。
死んで何年も後に余韻があるんですなあ……


『余韻のある人生』…憧れてしまいますね。
大山澄太氏が広島県の仏通寺でおこなった講演を、久昌閑栖・明秀和尚がテープ起こしをした原稿が出てきました。かなり面白いのでこれから少しずつご紹介してゆこうと思っています。


忍辱(にんにく・・・六度、つまり布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧のうちの第三)
忍辱とは、はずかしめを受けてもそれを耐え忍ぶ、という意味です。
 忍辱は「にんじょく」ではなく「にんにく」です。その言い方を覚えてください。ガーリックのニンニクだ、と覚えるのも一つの手です(私もそうしました)。
 ところで『忍辱』と聞いて一番に頭に浮かぶのが『いじめ』です。現代は、どこの学校でも、どこのクラスでも、もちろん程度の差がありますが、『いじめ』があるようです。また『程度の差』というならば、現代に限らず昔でも『いじめ』はあった、といえるでしょう。そしていずれの場合でも『いじめられる』存在、があり、その人々は『耐え忍ぶ』ことを強いられます。
 では、その『耐え忍ぶ』ことが仏教の忍辱なのか、というと正確にはそうとは言えません。
 人間というものは、たとえどんなにいい人であっても、『生きている』というだけで他人に迷惑をかけているものなのです。びろうな話になりますが、たとえば大小便をすれば、それだけ環境を汚すことになるし、自分が食べれば他人の食べ物が減ります。自分が飲めば他人が飲む水が減るし、吸えば他人の空気が減るのです。私という存在は、環境や他人にとって大変迷惑な存在なのです。自分はそういう存在である、と自覚できたならば、他人の振舞いは何でも耐え忍ぶ事ができるし、何でも許す事ができます。
 それこそが本当の『忍辱』です。でも、『いじめ』を耐えることさえもかなり難しいに違いないのに、本当の『忍辱』の心境に達するのは容易ではありません。