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久昌通信


久昌通信165号



  アマガエルの知恵

八月はじめごろのある日の夕暮れのことです。

私たちがふだん食事をしている母屋と、別棟とのあいだに幅3メートルほどのコンクリート製のテラスがあります。
日が落ちて少しはひんやりして気持がいいのか、薄暗い中で飼い犬のこてつがそのテラスの上に寝そべって、半分居眠りしながらリラックスしています。

 そんな様子をぼんやり眺めていると、こてつの背後で何か小さいものがぴょんぴょん跳びはねているのに気付きました。
よく目を凝らすとそれは1匹のアマガエルでした。アマガエルが、3メートル幅のテラスを、一方の側から反対側へと横断しているのです。

 こてつは虫などの動くものが大好きで、見つけるとそれに飛びつき、それが動かなくなるまで(つまり死ぬまで)じゃれついて遊びます。
もちろん跳ね回る小さなカエルはこてつの絶好のおもちゃです。
このときも、こてつは背後のアマガエルにすぐに気づいて、とびついておもちゃにするだろうと思っていました。
すると予想を裏切る意外なことが起こったのです。

こてつが気配を感じて、目を開け、首を回して後ろの方向を向くと、その前にアマガエルは跳ねるのをやめてピタリと止まったのです。
じっとしているアマガエルに気付かず、なんだ、気のせいかというふうにこてつが首を戻してこちらを向くと、アマガエルはその隙にぴょんぴょんと跳ねました。
その気配に再びこてつが首を回すと、カエルはまたじっとして動きません。
そんな事を2・3回繰り返して、アマガエルの決死のテラス横断は終了、無事に暗がりの中へと消えて行きました。

私たちが子供のころ庭で遊んだ
「だるまさんがころんだ」とそっくりの光景です。私たちには、遊びの「だるまさんがころんだ」でしたがアマガエルにとっては決死の「だるまさんがころんだ」でした。何も考えないと思っていたアマガエルの知恵に脱帽です。


禅定(ぜんじょう・・・六度の5番目)

六波羅蜜の5番目が『禅定』です。

 禅定とは、集中力を持った静かな心を意味するとともに坐禅そのものを指す言葉でもあります。


 お釈迦様は29歳のとき王子という身分を捨て、きれいなおきさき様とかわいい息子を残して出家なさいました。
そして6年間、それまで誰もがしなかったような難行苦行を続けられましたが、ついにおさとりに到達することはできませんでした。
 そしてついに、苦行は命を捨てることにしかならないと判断され、苦行を捨てられたのです。
そして、菩提樹の木の下で、おさとりが得られるまでは決してこの席を立たないと誓って坐禅をはじめられました。

 おさとりに到達するための最後の方法として選ばれたのが坐禅でありました。
おシャカ様自身が
、布施-持戒-忍辱-精進とたどってきて最後の集大成として禅定にたどり着いたのだと私は考えています。
白隠禅師坐禅和讃の一節を紹介しましょう。

それまかえんの禅定は称歎するに余りあり。布施や持戒の諸波羅蜜…(中略)…みなこのうちに帰するなり(後略)

 ところで外から見て静かに見えるものは、実は大変な運動をしていることがよくあります。
優雅に見える白鳥は、水の中では忙しく足を動かしていますし、高速で回転すればするほど、こまはより安定して、止まっているように見えます。
禅定もそれに近いと言えるでしょう。