久昌寺にようこそ
豊岳山久昌寺 豊岳山久昌寺のホームページメニューを右に表示しています
豊岳山久昌寺のホームページにようこそ!



久昌通信

久昌通信221号(平成28年4月号)
 

 悉有仏性(しつうぶっしょう)

3月16日に、朝日新聞の投書欄に掲載されました。
      
僧侶 豊岳 澄明(岡山県 60)  
 安倍晋三首相が、在任中に憲法改正をと明言した。憲法9条の改憲が最大目標なのは明らかだ。    
 実は私自身、去年までは迷っていた。今の国際情勢を考えれば、集団的自衛権行使容認を明文化した憲法に変えた方が戦争の抑止力になるかもしれないと。それが改憲に絶対反対と意思を固めたのは、A級戦犯の発言を読んだのがきっかけだ。
 A級戦犯4人の発言をラジオ局が1956年に録音放送し、その後、新聞記事になったものだ。元陸軍大将の荒木貞夫氏は「負けたとは私は言わん。まだやって勝つか負けるかわからん」と言い、「敗戦」ではなく「終戦」と発言をしていた。彼は終身刑の判決を受けたが、仮釈放されて生きた。しかし、軍の命令で戦い命を落とした人、戦後にB・C級戦犯として処刑された人も多くいるというのに……。
 仏教では「一切衆生悉有仏性」という教えがあり、皆に平等に素晴らしい命があると説く。これに真っ向から反するのが、命の価値に上下をつける戦争だ。私の迷いは消えた。戦争の放棄を宣言した日本国憲法を守り抜かなければならない。

今から71年前、沖縄戦が悲惨な結果となり、日本中が無差別爆撃され、広島や長崎に原爆が落とされてもなお、日本は降伏せず本土決戦に持ち込もうと主張した人々がありました。もしそうなっていれば3百万人の犠牲者が5百万、あるいは数千万になっていたかもしれません。でもそんな犠牲者の命のことは、戦争の指導者にとっては取るに足りないことなのです。
  正義の戦争、自衛のための戦争、聖戦・・・、いろんな言い方がありますがどんな戦争であっても、命の価値に上下をつける図式は変わりません。
戦争は絶対悪に違いないと思うのです。 
  この2月に、インターネット上でこんなことが話題になりました。
東京の公立小学校で6年生の男子が卒業文集に「将来、国会議員になって、戦争したり武器を輸出したりしない平和な国を作りたい」と書こうとしたら、「政治批判を内容に含み卒業文集には載せられない」として書き直しを命じられたそうです。
日本はいったいどこへ向かおうとしているのでしょうか?


心経を読もう…⑰

是故空中無色無受想行識(ぜーこーくうちゅうむーしきむーじゅーそうぎょうしき)・・・

和訳・・・ですから空の中には色もないし受も想も行も識もありません

『色受想行識』は五蘊です。以前ご紹介したように五蘊とは肉体(色)と心の作用(受想行識)の意味で、人間の存在はそれらのあつまりであると仏教は主張します。『空の中』にはその五蘊が無い、というのが今月の部分です。でも『空』そのものが『実体がない』という意味なのだから、その中に何かがあろうはずはありません。何しろ五蘊皆空であり一切空なのですから。
 そして今月から『無』の登場です。『無』は、これ以後いやというほど繰り返されます。空の中における『無』とは一体どういうことなのか?『空』で一回否定し、『無』でもう一回否定されている意味は何でしょう?
 以前も言いましたが、般若心経はとても親切なお経です。とても大事な事だから何度も繰り返し繰り返ししてくれているのでしょう。