テーマ7

「ユリウス=カエサル-ある英雄の生涯」

"CAESAR'S ROOM"へ戻る

 第一章 誕生

 サハラから吹きつけてくる風が、まるで焼くようにほほを撫でる紀元前100年7月13日、ローマの街で一人の赤子が誕生した。いや誕生させられたといったほうが適当だろうか、その男の子は母の腹を裂いて生まれて来たのである。『帝王切開』(Caesarian operation)とのちの人が呼ぶこの手術は、まさにこの男の子の名前から始まった。

 「何と貧弱な子よ。この細い手足。このひ弱な頭。これは大したことにはなるまい。」

 赤子の父には、この貧弱な子が長く生きることはできないように思えた。しかし、彼は当時の習慣に従って、この長男に自らの名前、ガイウス=ユリウス=カエサルを与えたのである。

 この赤子、ガイウス=ユリウス=カエサルの生まれたカエサル家は、ローマの名門貴族ではあった。父は法務官をつとめたが、属州アシア(現トルコ西部)勤務ののち、カエサルが15才のときピサで急死した。ともかく、当時のカエサル家はむしろ平凡な家柄であったと言ってよかろう。

 幼い頃のカエサルについては詳しいことは伝わっていない。しかし、彼の母アウレリアは大変な賢婦人で、未亡人となったのちも、常に優しい愛情をもって少年カエサルを見守り、カエサルもよくそれに応えた。彼はきゃしゃな体格をしていたが、意志は強く、幼い頃から文武両道に才能を示したという。

 当時のローマは、カエサルの伯母ユリアの夫である平民派のマリウスと、元老院勢力をバックにする閥族派のスッラが政権をめぐって激しく争い、街は内乱の修羅場と化していた。前87年、この抗争にマリウスが勝利を納めると、カエサルはユピテル(ジュピター)の神官となるよう定められ、いよいよ歴史の表舞台に登場して来る。

 カエサル若干13歳。弱々しくはあったが、背が高く、色白で、形の良い手足と黒く鋭い目は、彼を見るあらゆる人々を魅了した。

 このとき彼は、ローマの経済的実権を握っていた騎士階級(エクイテース)に属するコスティアという女性と婚約していた。

 「カエサルよ。」

マリウスは言う。

 「いよいよお前にもひと働きしてもらおう。しかし、それにはあの女は困る。別れてもらわねばなるまい。」

 「それは、前々から覚悟しておりました。」

 「よくぞ言ってくれた。それでこそわしの甥だ。お前にはもっとふさわしい相手を用意しておるからな。」

 「何なりと、伯父様のおっしゃるとおりに。」

 カエサルは政界への登竜門であるユピテル神官職を目の前にして、あっさりとその婚約を破棄し、前84年当時、独裁官(ディクタトル)であったマリウス派のキンナの娘と結婚した。というのも、この神官職に就く者は、古来からの名門貴族(パトリキ)の女性と結婚しなければならなかったからである。彼は決して女性に冷たい男ではない。しかし、この変わり身の早さが、結局彼の台頭の原因のひとつとなる。

カエサル16才のときのことであった。


 第二章 青年カエサル

 紀元前82年、カエサル18才のとき、ローマではついにスッラが最終的勝利を得て独裁権力を握っ た。マリウスすでになく、彼にとっては、ローマは針のむしろであった。その親類関係から、カエサルの台頭を恐れるスッラは、彼を屋敷に呼び付けた。

 「カエサルよ、お前はまだ若い。わしは確かにお前の伯父のマリウスとはずっと戦ってきた。しかし、お前まで憎もうとは思わない。どうじゃ、ここはひとつおとなしくわしの言うことを聞かぬか。」

 「一体どういうことでございましょうか。」

 「いや何、難しいことではない。お前の嫁のコルネリアとな、別れてもらいたいのじゃ。あれはあのいまいましいキンナの娘じゃ。あれをお前と一緒にしておくわけにはいかん。どうじゃ、悪いようにはせん。わしの言うとおりにしろ。そのほうがお前のためじゃ。」

カエサルはしばらくじっと考えていたが、やおら顔を上げるとまっすぐスッラの目を見てこう言い放った。

 「いやでございます。あれは私の妻です。私は永遠のローマの神々にそう誓ったのです。今さら別れるわけには参りません。」

 「何が惜しいのじゃ。マリウスはもういない。それともキンナ家からの持参金が惜しいのか。」

スッラはもう紳士ではなかった。たたみかけるように叫ぶ。しかし、カエサルは静かに言い切った。

 「もし、スッラ様がお望みになるのなら、財産など惜しくはありません。喜んで差し上げましょう。しかし、コルネリアだけは決して離しはいたしません。」

 「この強情者めが。えーい。もう何も頼みはせぬわ。とっとと消え失せろ。ただし十分気をつけるのだな。ティベリス川の水は冷たいぞ!」

 スッラの要求は有無を言わせぬものであった。断われば命さえ危ない。しかし、カエサルは妻の持参金(嫁入り財産)を没収されても応じようとはしなかった。以前とは状況が違った。カエサルはマリウスの命令は聞けても、スッラの言いなりになるわけにはいかない。それは自らの地盤を失うことになるからだ。

 しばらくの間、スッラは忙しさにかまけて彼を放っておいたが、カエサルが大胆にも神官職の選挙に立候補すると秘かに落選させるための策を巡らせ、ついには暗殺まで計画した。カエサルは、そのことを知ってしばらく逃亡生活を送っていたが、ついには捕まってしまった。スッラは得意満面であった。

 「これで、あ奴も終わりよ。キジも鳴かずば撃たれぬものをのう。即刻ぶち殺して、ティベリスの魚の餌にしてしまえ。」

しかし、取り巻きの一人が言う。

 「こんな年端もゆかない若者を殺す理由はないではありませんか。そんなにむきになるとはスッラ様らしくもない。あんな若造など放って置けばよいではないですか。どうせ、大した奴ではございますまい。」

ついにスッラは折れた。そして、命だけは助けることにしたが、いまいましげにこう言った。

 「えい、もうよいわ。お前たちの勝ちだ。彼を味方にするがいい。ただこれだけは忘れるな。お前たちがそんなに躍起になって救おうとしているあの男は、お前たちがわしと一緒になって守ってきた貴族階級に、いつかは致命的な打撃を与えるであろう。あ奴をただの青二才だと思ってはいかん。何しろ、このカエサルには多数のマリウスがひそんでいるのだから。お前たちにはそれが見えないのだ。」

 スッラには若きカエサルの恐ろしさが分かっていた。そして、彼のこの予言はやがて的中するのである。

 カエサルはこの後許されて、青年将校として東方で軍務につく。行先はビテュニア(現トルコ北部)である。M=テルムスの副官として艦隊徴募のために出かけて行くのだが(前81年)、彼はここでビテュニア王のニコメデスと懇意になり、宮廷に入り浸るようになった。真相のほどは明らかでない。しかし、このときカエサルに生涯つきまとう大スキャンダルが起こった。

 ニコメデスの目には、若くきゃしゃではあるが上品なカエサルがまぶしく映った。もとよりギリシア的世界においてはホモ=セクシャルは決して非難されることではない。ニコメデスはすっかりカエサルに夢中になった。たびかさなる誘いについにカエサルも首を縦に振る。ニコメデスはカエサルを紫の衣で飾り立てると、自らの黄金のベッドへ案内させた。そこから先は語るまい。しかし、人々は公然と二人の関係を噂する。これはまずい。カエサルは一たんはビテュニアを去る。だが、ほんの数日を経て、借金を取り立てるのだと、再びビテュニアへやって来た。もう二人の関係を疑う者はいない。

 「ビテュニアには何でもあるさ、カエサルのお相手もね。」

 「ニコメデスのホモのお相手、ビテュニアの男芸者。」

ローマには様々な言葉が飛び交った。そして、のちには子飼いの兵士たちも、こともあろうに凱戦式の行列で、

 「カエサル様はガリアの征服者、でも、そのカエサル様もニコメデス王に征服されただ。それなのに何でカエサル様に凱戦式があって、ニコメデス王にはないのだろう。あ、ほれほれ。」

と、歌い踊るのであった。

 元老院ではキケロがあてこする。

 「カエサルよ、君がニコメデス王に世話になったという話はよく知っている。そして、君が王から何をもらい、そのおかえしに何をあげたのかもね。誰もが知っているんだ。」

 こういった非難に対してカエサルはじっと嵐の過ぎ去るのを待つしかなかった。しかし、彼は決して許されぬ愛欲の心のためにニコメデスに近づいたのではなかった。肥沃なビテュニア、ローマにはこの地が必要だ。ここをつかめば、ローマは大帝国になれる。しかし、ほかの者ではいかん、自分がつかむのだ・・・。カエサルの頭には、常に来たるべきローマの姿「ローマ帝国」が見えていた。

彼が東方で不遇の生活を送っているとき、紀元前78年、スッラ死去のニュースがカエサルのもとに届く。彼は急いで帰国の途についた。

ギリシア・ローマの世界で政治的にのし上がろうとすれば、必要なものは金以上に雄弁の術である。ローマでも政治家を志す若者は、まず世間の注目を引こうと、他の身分の高い有名人を法廷に告発するのが常であった。カエサルも前77年、23才のとき、ギリシアの属州で独裁権力を使い私腹を肥やしたというかどで、スッラ派の元コンスル、グナエウス=コルネリウス=ドラベラを告発した。

 このとき、ギリシアの人々はカエサルの味方につき、彼に様々なドラベラの不法の証拠を提供した。この訴訟は結局カエサルの敗北に終ったが、この事件を通して見せた、熱心さと雄弁の見事さは、ローマにおける彼の人気を大いに高めた。

 また、カエサルはまだ若いのに大変な気配りの名人で、大変気のいい男でもあったので、民衆の間に大きな勢力を持ち始めた。

 前にも書いたように、当時のローマの政界は「親分−子分」関係(クリエンテーラ)によって動いている。このカエサルの「気配り」は、彼のクリエンテーラ形成に大きく功あった。そのひとつの例がこのドラベラ告発である。カエサルは訴訟には敗れたものの、この裁判を通じてギリシアの民衆から大きな支持を得た。そのため、のちにギリシア人たちが収賄の件でガイウス=アントニウスなる人物をローマの法廷に訴えたとき、カエサルは以前の援助の恩返しとして早速ギリシア側の弁護に回り、法廷で雄弁をふるった。こうやって、彼はギリシアに確固たるクリエンテーラを形成し、アントニウスは「ギリシアではギリシア人相手に公平さは得られない」と言わなければならなかった。

 このように若い頃からカエサルは雄弁家として頭角を表わしてはいたが、本場のギリシアの弁論術と比べれば、まだまだ未熟なものであった。そこで彼は前75年の冬、25歳のとき、弁論術の勉強のためロードス島の雄弁術教師、アポロニウス=モーローのもとへと向った。ところがそのとき、小アジア西岸南部、ミレトス南方のファルマスサ島付近で、当時地中海全域にわたって縦横無尽にその猛威をふるっていた海賊に捕らえられてしまった。海賊は、旅行中の貴族を捕らえては身代金を取ることを商売にしていたのである。

 カエサルは、従者たちが身代金の金策に走り回る間、わずかに一人の医者と二人の従者を連れただけで監禁されていた。しかし、このとき、我々は彼の大物の片鱗を垣間見ることができる。

 最初海賊たちは彼に対して要求する。

 「こら、若造。命が惜しければ20タラントン、さっそく都合してもらおうか。」

しかし、カエサルは頑強な海賊たちに取り囲まれながら言う。

 「お前たちは一体誰を捕らえたと思っているんだ。えっ?私はカエサルであるぞ。この名を聞いたことはないのか。」

 「カエサル?知らねえなぁ。おーい、誰かカエサルってぇ名前聞いたことあるかい。」

 「とぼけるな!都では誰もが知っておるわ。この田舎者たちめ。このカエサルの命、20タラントンだとは、人を馬鹿にするのにもほどがある。えい、50タラントンくれてやろう。あわてずに待っておれ!」

こういうと彼は、従者を各地へ散らせたのであった。そして、残忍なキリキア(現トルコ南部)人海賊の中で捕らわれの身でありながら、海賊たちをすっかり馬鹿にした態度をとり、眠るときには、うるさいから静かにしろと海賊たちに命令する。また、海賊たちとゲームやスポーツを楽しみ、詩や演説を作っては彼らの前で披露していた。そして、彼らがちゃんとほめないようなことでもあれば、かまわず、

 「お前らは野蛮人だ。無学文盲の田舎者だ。じっくり首を洗って待っておれよ。金が来て、ここから出たら、お前ら全員縛り首にしてやるわ。」

といきまいていた。とても捕えられている者のとる態度ではない。

 このようにしてカエサルは38日を過ごした。海賊たちは彼のこの態度を見ても腹を立てることなく(このへんがカエサルのカエサルらしいところだが)、

 「へっ、元気のいいにいちゃんだぜ。どっかおかしいんじゃないのかい?しかしまあ、面白い奴だ。退屈しのぎには丁度いいわ。」

と、うっちゃっておいた。しかし、身代金が届き釈放されると、カエサルは電光石火の行動を起こす。アジア総督ユンクスを無視し、自らの権限で船と乗組員を手配すると、海賊たちを一網打尽にし、先の言葉通り全員はりつけにしてしまった。この独断と、神をも恐れぬ行動力は、やがて彼をローマの第一人者にしてゆくのである。

 しかし、とにかく、カエサルはその後も弁論術の研鑽を積み、ドラベラを告発した後は、文句なく一流の弁論家であると見なされるようになった。

 あの天才弁論家キケロでさえ、感嘆して言う。

 「カエサルの文体は明解で、優雅で、重々しく、ある意味では大変上品である。雄弁術を専門とする弁論家でさえ、彼の右に出るものはそういない。何と鋭く、何と美しい言葉を使うことよ。」

 彼が演説するときの声はかん高く、動作身振りには情熱がこもっており、しかも気品があった。人々はカエサルを、ローマであのキケロについで第2位の弁論家であると呼んだ。ところで、このことについても彼はちゃっかり、

 「自分は軍人であって忙しいのだから、プロの弁論家と比べてもらっては困る。」

と言い訳している。大変自尊心の強い男であった。


 第三章 青年政治家

 カエサルが初めて公職に就いたのは、(子供の頃のユピテル神官職を別にして)高級将校(トリブヌス=ミリトゥム)という役職である。一般には紀元前72年、28歳のときであるとされる。この役職をめぐってはカエサルとガイウス=ポピリウスとの間に激しい選挙戦があったが、カエサルは民衆の支持を受けて当選し、次第に民衆派としての態度をはっきりさせてゆく。この「高級将校」というのはローマの政治家にとってそれほど重要なポストではない。しかし当時、前73年より、あの剣闘士スパルタクスの乱が進行中であったので、彼もどこかでこの戦争に関与していたかもしれない。想像の翼が広がる.

 ローマの政務官は、財務官(検察官、クァエストル)〜造営官(按察官、アエディリース)〜法務官(プラエトル)〜執政官(統領、コンスル)と、その序列がはっきりとしていて、共和政最末期の混乱時代になるまでは,この序列は崩れない。そして、カエサルも前70年、翌年(前69年、31歳)の財務官職に当選する。

 大恩ある大マリウスの未亡人であり、伯母であるユリアが亡くなったとき、カエサルはその葬儀を主催した。ローマの街を豪勢な葬送行列が行く。マリウスを懐かしむ民衆が集まってくる。しかしそのとき、民衆は我が目を疑った。葬列には、スッラによって禁じられていたマリウス父子の像が担ぎ出されていたのである。人々は狂喜した。目に涙をためているものもいる。「マリウス万歳!」の叫びはやがてどこからともなく、「カエサル万歳!」に変って行く。カエサルは、ここにはっきりとマリウスの跡目を継ぐことを民衆に示した。

 行列は進み、葬儀が始まる。カエサルは壇上に現われて悲壮な顔で、しかし、自信にあふれた声でこう切り出す。

 「我が伯母の母がたの祖先はローマの王であり、父がたの祖先は不死の神々である。なぜなら、伯母の家名の源であるマルキウス王家はアンクス=マルキウス王から出ており、我が一門の本家であるユリウス家は、ウェヌス神(ヴィーナス)の流れをくんでいるからだ。私の血統は、人間の間に絶大の権力をふるう王族の尊厳と、同時に、王族を支配する神々として崇拝を受ける資格とを合わせ持つものである。」

ちゃっかり自分をいにしえのローマ王と、神の子孫であるとアピールする。

 年配の婦人に対する追悼演説というのはローマでは決して珍しいことではなかった。前例はいくらでもある。しかし、彼は同じ前69年、かつての民衆派の領袖キンナの娘である妻コルネリアが亡くなると、常識をくつがえして若い女性のためにも追悼演説を行なった。そして、この型破りなやり方は、民衆に対して自分の不幸をドラマティックに訴え、自分を心の優しい情の深い性格の人として印象づけることに成功した。

 カエサルは、いつも大衆の姿を意識し、民衆の喝采を得るためには、ローマ人が最も大切とする「祖先の遺風」(モース=マイヨールム)をも無視した。こうして、彼は常に全く新しいことにチャレンジし続け、やがてローマの「第一人者」へと昇りつめて行く。(なお、カエサルはコルネリアの死後、前67年33歳のとき、スッラの孫娘に当たるポンペイアを妻に迎え、閥族派とのコネクションも獲得している。)

 ところで、ローマの選挙というのは、買収おかまいなしの、今から考えるととても「選挙」と呼べるような代物ではなかった。カエサルも例外でなく、選挙のたびごとに金を実に派手に使った。それも大借金をしてである。彼は借金で首が回らないようになっているようでありながら、その実わずかな代価で、もっともっと貴重なものを手に入れていた。また、高級官職に就くまでに、すでに1300タラントンの借金があったというが、公職に就くと、私財を持ち出してまで民衆に「パンとサーカス」をばらまく。人々はささやき合った。

 「何とカエサルはよくやってくれるわ。どうもここまでやってもらうと、何か新しい官職とか新しい栄典を探してやらなきゃ、悪いような気がするなぁ。」

 選挙運動中だけではない。彼は借金をしてまで、公共事業等に金を湯水のように使った。

 彼の借金の仕方、これはまさに「天才的」であった。有力者たちはカエサルの人気を当て込んで彼に金を貸す−しかし、カエサルは返さない−返しはしないが彼が没落してしまっては、貸した金が帰ってこなくなるので結局延々と金を貸し続けるしかない−と、堂々巡りを続けていたのである。最初のうちは、彼のこのような派手なやり方を快く思わない人々もいた。しかし、まあそのうち金もなくなるだろうとたかをくくって放っておいたため、結局はカエサルが民衆の間に確固たる人気を築くのを許してしまった。気がついたときにはカエサルはすでに立派な「実力者」になっていた。

 彼のこの愛想よさの下に隠された、ローマ帝国形成の企みに気づいていたものが一人だけいた。あの「天才」キケロである。しかし、そのキケロにしてさえも、

 「それでもしかし、あのように髪をきちんと整え、一本の指でそれを引き掻いているのを見ていると、この人がそれと同時に、ローマの国政を転覆しようなどという大それた悪事を心に抱いている人間だとは、どうしても考えられない。」

と言わざるをえなかったのである。

 カエサルは財務官として、任地属州ヒスパニア(スペイン)へと向かった。そこで長官より命ぜられて巡回裁判のため各都市を回っているとき、ガディスの町にやって来た。ここのヘラクレス寺院にはアレクサンドロス大王の彫像があり、カエサルもそれを見に来た。彼はしばらくそれをじっと見詰めていたが、どうも様子がおかしい。従者が一体どうしたのだろうといぶかしがっていると、突然カエサルの目から涙が一筋流れでた。皆はびっくりしてカエサルのもとに駆け寄る。しかし、彼はあふれる涙を隠そうともせずに震える声で言った。

 「私ももう30を過ぎた。しかし、私はまだ何ひとつ人に認められるようなことをしていない。だが、諸君、アレクサンドロスはこの歳にはすでに世界を征服していたのだ。あらゆる民族の王だったのだ!しかし、私は・・・。これが悲しまずにはいられようか!もし私にもチャンスがあれば。そうだ、チャンスさえあれば・・・。もしローマでチャンスがあるなら、私はローマに向かおう。そんなときがあったら、諸君、どうか私をクビにしてローマへ帰してくれたまえ。」

 カエサルいまだ30歳。まだ官職階級の第一歩にして、彼は大いなる野心を持っていた。

 さらには、その次の夜、彼は悪夢にうなされて目覚めた。自分の母を強姦するという、とんでもない夢を見たのである。

 「これは一体どうしたことだ。こともあろうにこんな夢を見るなどとは・・・。ああ、あの優しい母に申し訳が立たぬ。私は人間ではない。けだものだ!もう生きているのも恥ずかしい。」

カエサルは恥ずかしさにうち震えた。早速おつきの予言者が呼び起こされてきた。カエサルは尋ねる。

 「一体私はどうすればいいのであろうか?これは何か恐ろしいことの前兆ではないのか?私の身はもう破滅するのか?」

矢つぎばやの質問にも、予言者は眉ひとつ動かさずに静かに答えた。

 「カエサル様、どうぞご心配なさりませぬように。あなたが手籠めにした母上様は人類の母と考えられている大地にほかなりません。神々はあなた様が、必ずや全世界を支配するようになるとおっしゃっておられるのでございます。」

もう、誰もがカエサルの野心に気づいていた。

 さて、カエサルは前68年、32歳の時、ヒスパニアを去り、ポー川北のラティウム植民市へやって来た。ここでは、数年来、民衆が正規のローマ市民権を求めて、不穏な状況がただよっていたのである。彼はここで、市民権を求める住民たちの行動を支持した。公職者にはあるまじき行為である。政局は風雲急を告げた。しかし、ローマ当局が軍団を送って鎮圧に回ったため、この試みは失敗に終る。だが、先のギリシアのときと同じく、カエサルはポー川北の「ガリア=キサルピナ」に大きな地盤(クリエンテーラ)を築いたのである。

 前67年、カエサルはローマに帰還する。(ポンペイアとの結婚はこのときである。)

 ローマでは、財務官の職務を終えた者は、終身の国政の最高機関、元老院の議員となるが、彼もこのときその末席に加わった。

 この頃、ローマの政界は、のちにカエサルの最大のライバルになるグナエウス=ポンペイウス=マグヌス(大ポンペイウス)に牛耳られていた。彼は、すでに実力で前70年の執政官(コンスル)の位をもぎ取り、カエサルなどとは比べ物にならないローマ政界きっての大物であった。その彼に、当時地中海を我が物顔に荒らし回っていた(カエサルもその被害にあったのを思い出す!)海賊を討伐するために、独裁的な権力を与えようという法律が元老院に提出された(ガビニウス法)。民衆はこの法案を熱心に支持したが、大多数の議員たちはこれを危険と見て大反対する。カエサルはいかに?注目の中、カエサル一人だけが賛成の立場に回った。ポンペイウスの歓心を誘うというよりはむしろ、ポンペイウスが民衆に大変な人気を誇っているのを見越してのことである。ここに、ローマの運命を握る二人が結びつく。

 ところで、彼は、同じ前67年、街道の管理官に任ぜられる。このときも彼は国庫をあてにせず、私財を持ち出してまでアッピア街道の改修に当たり、民衆の人気をかった。

 この態度は、前65年(35歳)造営官(アエディリス)に就任するとますます激しくなる。この役職は、ローマの公共事業をあずかるもので、トップを目指す政治家たちにとっては民衆に自分を売り込む最大のチャンスであった。在職中カエサルは、集会所(コミティウム)、公会堂(バシリカ)などの建築、カピトリウム丘の装飾等を多くを私費で行ない、同僚造営官のマルクス=ビブルスと共同出費で、多くの見世物・葬列・競演などを行なった。しかし、民衆の頭にビブルスの名はなく、全てがカエサルの業績であると思われていた。そこで、ビブルスは頭に来て、どなり散らした。

 「私はポルクス神の運命を背負っているのだ。フォルム(広場)に建てられているカストルの神殿は、実は双子の神、ポルクスとカストルを祀っているのだが、人々はそれを「カストルの神殿」としか呼ばない。同じように、私とカエサルの共同出資の場合でも、みんなはカエサル一人の手柄にしてしまう。」

 とにかく、カエサルはこのとき、320組もの剣闘士競技を行なったが、もし余りに多くの剣闘士が ローマに集結することを危険とした政敵が立法によって反対しなかったなら、まだまだその数は多かったろうというのだから、何ともすざましい。莫大な出費であるが、これを眉ひとつ動かさず借金で賄うところがカエサルのカエサルらしいところであった。

 しかし、当然カエサルのやり方はローマの政界に議論を巻き起す。多くの人々が、カエサルの野心を公然と口にするようになった。そして、その噂は決して間違ってはいなかった。

 ところで、当時ローマは、元老院を拠点とする閥族派(スッラ派=オプティマテス)と、平民会をその権力の基盤とする平民派(マリウス派=ポプラレス)の二派に分かれていた。この二つのグループは常に対立を続けていたが、スッラの政権獲得以後、マリウスの一派はすっかりふるわなくなっていた。カエサルはマリウスの甥であるから当然平民派に属したわけであるが、当時平民派を表立って名乗るのは、はなはだ具合が悪い。しかし、民衆の中にはマリウスの時代を懐かしむ者、数知れなかった。

 そんなある朝のことである。人々が目を覚ましてみると、カピトルの丘の上に、スッラの政権獲得以来取り去られていたマリウスの像、そして、トロフィーを持つ勝利の女神の像−2つの像が黄金に輝いているのを見た。この技術の粋を尽くした像、そして、そこに刻まれたマリウスのキンブリ族(ゲルマン人の一派でローマを略奪したが、マリウスに敗れた)に対する勝利の文句を見た民衆たちは、これが一体誰の手によって建てられたものかを即座に悟った。カエサルは自ら平民派の領袖足らんとして、夜の闇に乗じて丘の上にこれらの像を建てたのであった。余りにも大胆不敵な行動である。ローマの世論は沸騰した。ローマ中の人々が見物に集まってきた。人々は口々に叫ぶ。

 「カエサルは独裁をねらっている危険人物である。カエサルはマリウス像を引っ張り出すことによって民衆の気持を探っているのだ。」

しかし、マリウスに心を寄せる人々はそんな言葉に耳を貸そうとはしない。彼らは、拍手喝采をしながらカピトルの丘を占領した。復活したマリウスの姿を見た者の中には、喜びのあまり涙を流すものもおり、カエサルは一躍英雄となる。

 当然のことながら元老院はカエサルを弾劾する。当時ローマで最も名声の高かったルタティウス=カトゥルスは、言う。

 「カエサルよ。君はもう地下道によらず、いまや正々堂々と攻城具で国家を乗っ取ろうとしている。」しかし、カエサルは弁論によって、かえって自己の立場を正当化し、民衆の人気を獲得するに至った。

 ここに「カエサル」の名は、「マリウス」に取って代わった。

 前63年(37歳)は、カエサルにとって激動の年であった。

 大神官(ポンティフェクス=マクシムス)というのは、神官団の長で、終身の役職であり、ローマでは大変な権限を持ち民衆の尊敬を集めたものである。この年、それまでの大神官メテルスが亡くなったため、新たに選挙が行なわれることとなった。今までこの役職に就いてきたのは全て、かつて執政官を経験した(コンスル格)の人々ばかりであった。しかし、カエサルはこのときそれまでの常識を破って、この選挙に立候補した。対立候補は、元老院の大立者イサクリウスとカトゥルスである。本来ならカエサルに勝ち目はない。しかし、3人の立候補の結果、票が割れる気配が見えてきた。そこで、選挙の行方を心配したカトゥルスは、カエサルが借金で首が回らぬ状態であるのを知っていたため、使いをやってこう言わせる。

 「カエサルよ。聞くところによると君は大変な借金で首が回らないそうじゃないか。ところでどうだろう。私が借金を返す金を出すから、選挙からおりてくれはしないか。」

しかし、カエサルは野望を捨てない。

 「せっかくだが、お帰り願おう。誰も私を止めることはできない。たとえ、さらに借金を重ねても、私は戦い抜く。」

 さて、いよいよ投票の日が来た。ローマの選挙は、現在我々が考えているような選挙ではない。勝てばそれでいいが、負けようものならローマの街に留まることすら困難である。賢母とうたわれたカエサルの母も、そのことは十分承知している。カエサルが戸口を出ようとすると、母は心配のあまり涙をはらはらと流して言う。

 「ガイウスよ、どうかご無事で・・・。しかし、母は、お前が生きて帰れなければ、生きてはいられません。」

カエサルも覚悟を決めていた。彼は母を抱くと、

 「母上、あなたの息子は今日大神官職に就くか、それとも亡命者になるか、そのどちらかです。当選しなければ再び家には帰りません。」

と言って出かけたのである。しかし、結果は予想通り票が割れて、カエサルが圧倒的勝利を得た。彼のこの勝利は元老院にとっては恐怖であった。「カエサル的やり方」の何たるかが、明白になってきた。

 同年、ローマに大事件が巻き起こる。カティリナ陰謀事件〜貴族カティリナのクーデター未遂事件である。彼は野心家で多才な性格の持ち主であったが、大変な札付きで、処女であった自分の娘を犯して訴えられたこともあり、さらには兄弟まで殺害したという嫌疑がかけられている問題人物であった。彼は国政を変革し、支配機構を破壊し、権力を掌握しようとの企て、すなわちクーデターをたくらんでいた。そのため、早くからローマの若者たちに金をばらまき、遊び、酒、女とあらゆる楽しみを提供し続けていた。カティリナに手なずけられた連中は人間を犠牲に捧げてその肉を食うという誓を交わしあっていた。

 カティリナはまず野望を達成する手段の手始めとして、前63年の執政官に立候補した。彼は当然当選するつもりで希望に胸をときめかせていたが、ローマの市民たちはまだそこまで腐ってはいなかった。このとき執政官に当選したのは、ガイウス=アントニウスと、久々の「新人」(先祖に元老院議員を持たない者)マルクス=トゥルリウス=キケロその人であった。キケロはアントニウスを傀儡にすると、次々と国政の改革に着手したが、カティリナの身分の高さを考えると、表立ってこの陰謀を告発するわけにもゆかなかった。それをいいことに、カティリナは翌年の執政官選挙に再び立候補し、選挙戦の混乱に乗じてキケロ暗殺を企てる。ここにいたって、計画は明るみに出た。天の神さえ事態を察して地震、雷、前兆によって注意を促したという。そして、カティリナは再び選挙に敗れた。いよいよ立ち上がるときが来た。しかし、天は彼に味方しなかった。キケロは事態を完全に収拾したのである。カティリナとその一派は捕らえられた。

 陰謀鎮圧の翌日、元老院はカティリナ一派の処罰について論議した。最初に発言に立ったシラーヌスは、主張する。

 「カティリナとその一派は、当然「極刑」に処するべきである。国家反逆罪に対して情状勺量の余地はない。」

 「極刑」−当然それは死刑を意味した。そして、この意見に、皆が次々に賛成し、カティリナの運命は尽きたかと思われた。いよいよカエサルの発言の番が回ってきた。

 ところで、カエサルには最初からこの陰謀に関与していたという噂がつきまとっていた。その意味で、彼の発言は皆の注目を集めた。皆がかたずを飲んで見守る。その中、彼は立ち上がると、毅然としてこう言い放った。

 「私はこの者たちを死刑にすることには反対である。むしろ財産を没収して国のものとし、彼らの身柄はキケロが適当と思うイタリアの町まちに連れて行き、残党に対する戦いが終るまで鎖につないで十分に監視すべきである。このように身分ある人々を軽々しく死刑にすべきではない。」

 嫌疑をかけられている彼が、その仲間と見なされている人々を弁護する。これは危険な賭であった。しかし、カエサルは勝利した。彼の雄弁は皆の感動を呼び、また、このように身分の高い者を死刑にすることにためらいを覚えたキケロ自身がカエサル支持にまわったので、大勢は逆転し、「極刑」を主張したシラーヌス自身が

 「自分も死刑にしろというつもりで言ったのではない。ローマの元老院議員に対する極刑は投獄であるからだ。」

と述べたほどであった。

 しかし、当然のことながら、真っ向からカエサルに反対する人物がいた。そのなかでも、最も激烈であったのは、これ以後もカエサルの目の上のこぶであり続ける、マルクス=ポルキウス=カトーである(事実彼はこの直後、カエサルのキケロに対する嫌がらせに反抗して、護民官として雄弁をふるい、キケロに「祖国の父」の称号を与えている)。

 カトーの反撃により元老院の空気は一変した。議場には再び強硬論が満ちあふれ、ついにカティリナ派の死刑が決議された。カエサルは護民官による調停を求めたが成功せず、身の危険を感じ、命からがら逃げ出すことになった。そして、結局その年いっぱいは元老院に現われることはなかったのであった。

 カエサルのもくろみは失敗した。しかし、彼が死刑に対して反対したことは、「擁護者」としての彼の姿をかえって浮き彫りにした。(実際それから数日後カエサルが釈明のために元老院に登場すると、民衆たちが議場の回りを取り囲み、カエサルの釈放を要求したという話もある。)転んでもただでは起きない男であった。

 前62年(38歳)、カエサルは法務官(プラエトル)となった。ローマ政界ナンバー2の要職であ る。そして、彼は1月1日就任当日から事を構える。

 彼は当時カピトリウムの丘復興の任にあった閥族派のクイントゥス=カトゥルスにかみつく。

 「カトゥルスは公金を横領している。もはや彼にこの仕事を任せるわけには行かない。後任としては、偉大なポンペイウスが最も適当であると考える。」

しかし、この提案は閥族派の激しい抵抗にあい、結局引っ込めざるをえなかった。にもかかわらず、ポンペイウス派の護民官メテルスが、同僚護民官であるカトーらの反対を押し切って再び叫ぶ。

 「私は諸君に提案する。ポンペイウスは、ローマの危機を救った祖国の英雄である。このような英雄にとってこそ、例外が意味を持つのである。諸君、ポンペイウスは今ローマを離れ祖国のために戦っている。しかし、現在のローマを任せられるのは彼しかいない。どうかポンペイウスがローマ市以外から執政官に立候補できるという法律を認めてはくれまいか。」

 このとき、カエサルはきわめて頑強にメテルスを支持した。一体なぜ?

 グナエウス=ポンペイウス=マグヌスは当時43歳。相次ぐ戦勝で、いまや押しも押されぬローマ政界の第一人者であった。「次」をねらうカエサルにとって恩義を与えるのにこれほどよい相手もいない。しかし、カトーをはじめとする元老院保守派はまたしても激しい抵抗を繰り広げ、ついにこの法案を反古にしてしまった。完敗を悟ったカエサルは、儀丈兵(リクトル)を解散し、職務を表わす上着(トーガ)を脱ぎ、自宅で謹慎する姿勢を示した。しかし、彼はそうのんびりはできなかった。その翌日カエサルを慕う民衆たちは、大挙彼の家に押しかけ、騒然とデモを行なってカエサルを法務官職に復帰させようと行動を起こしたのだ。元老院は色めき立った。この機にカエサルが乗じたら、ローマは大内乱に突入する、しかし、急遽集合した元老院議員たちを尻目に、カエサルの行動は全く予想外のものだった。民衆を前にカエサルは言う。

 「皆のもの、どうか私の言うことをきいてくれ。私はポンペイウスとの間には何の貸し借りもない。したがって、彼には何ら恩儀は感じていない。しかし、彼は祖国の英雄である。私はポンペイウスこそ今の困難に立ち向かうにふさわしい人物であると考える。だから、元老院でもそう主張したのだ。だが、元老院はそうは考えなかった。諸君、ローマには昔から美しいしきたりがある。それを無にしてはならぬ。私のやり方は間違っていたのだ。神々もお許しにはなるまい。私はここに法務官を辞任する。どうか皆、平静になって、家へと帰ってくれ。」

 彼は、民衆たちに向かって平静を呼び掛け、デモを平和裏に解散させたのである。肩すかしを食った元老院は、全く予期しないこの彼の行動に驚いた。そして、有力者からなる代表団を送って、公式に感謝し、さらに元老院にカエサルを召喚してほめたたえざるをえなかった。そして、彼は職務停止の措置を取り消され、再び法務官職に復帰したのであった。カエサルの遠慮熟慮の勝利である。

 ようやく危機を脱したカエサルの前に再び困難が訪れた。カティリナ陰謀事件が再び蒸し返されたのである。

 ルキウス=ウエッティウスとクィントゥス=クーリウスが提出したカティリナの共犯者名簿に、カエサルの名があった。ウエッティウスはカエサルからカティリナに当てた自筆の手紙を提出するというし、クーリウスは直接カティリナから情報を得たと主張する。カエサルは危機に陥った。しかし、カエサルの反撃は今回も素早い。彼はキケロの証言を利用する。

 「私はこの陰謀のことは何も知らなかった。執政官キケロが、ことの重大さを思んばかって自発的に私に相談してくれたのだ。」

 こうして、この陰謀はキケロが自分に自発的に報告してくれたのだと主張し、キケロの権威を利用して形勢を逆転した。その結果、クーリウスは国庫から密告の報奨金を取り損ね、ウエッティウスは財産没収の上、民衆に半殺しに合い、のち投獄された。カエサルの政治的センスの勝利であった。

 さて、公的な危機は何とか乗り越えた。しかし、次に彼を待っていたのは、プライヴェートな家庭内スキャンダルであった。

 ローマにはボナ=ディア(Bona Dia 良き女神)と呼ばれる女神の祭典があった。しかし、ローマ人の間ではこの女神はかなり「アブナイ」神様であると思われたようで、祭典は男子禁制で女性たちだけによって夜通し行なわれるのが常であった。

 さて、この祭りは執政官または法務官に就いている者の家でとり行われるのがならわしになっていたが、この年(前62年12月)はカエサルがその番に当たっていた。しかし、主人といえども、この祭りのときだけは家に入ることもできない。結局主催は、カエサルの妻ポンペイアということになる。

 ところで、ローマの青年貴族にプブリウス=クローディウスという人物がいた。高貴な家柄の出であり、財産でも弁舌でも際立っていたが、傲慢さと横暴ぶりにおいても悪名高い人物であった。

 さて、このクローディウスが、カエサルの妻ポンペイアに恋をした。道ならぬ恋である。そして、ポンペイアの方もクローディウスのことを憎からず想っていた。しかし、この不倫の恋はなかなか成就しない。女性の部屋の監視は大変厳重であったし、その上カエサルの母アウレリアが、若い嫁に絶えず気を配っていたため、めったなことではポンペイアに近づくことはできない。そこにボナ=ディアの祭り。チャンス到来である。クローディウスはまだ若く、髭も生えていなかったので、この機を利用して女に化けてカエサル家に忍び込もうとした。そこで、彼は竪琴弾きの女の衣裳を着けて、かねてしめしあわせておいたポンペイアの侍女に手引させ、まんまと侵入に成功した。しかし、クローディウスの到着を知らせるためポンペイアのもとに走った侍女が手間取っているうちに、彼は待ち切れなくなって、明かりを避けながら家の中をうろつきはじめた。ところが全く運悪く、彼はアウレリアの侍女と出くわしてしまったのである。

 「あら、あなた、そんなところで何をしているの?そんな暗いところでモジモジしていないで、あっちへ行ってみんなと一緒に遊びましょうよ。」

侍女は彼のことを女性だと思って遊びに誘ったが、どうも様子がおかしい。そこで、明るいところに引き出して問いただしてみる。

 「ねえ、一体どうしたっていうのよ。貝みたいに黙りこくっちゃって。あなた一体誰なの?どこから来たの?ねえったら!」

クローディウスはとうとう我慢できずに答える。

 「わ、私、ポンペイア様のところで働いている者です・・・。」

ドスのきいた太い声が返ってきた。男がいる!あわてた彼女は金切り声を上げて邸内に触れ回る。カエサル家は上を下へのパニックに陥った。アウレリアは早速祭りを中止し、灯火を掲げて邸内大捜索を開始した。間もなくクローディウスは手引きをした侍女の部屋で発見され、正体を見破られると、女たちに袋叩きにあって放り出された。ニュースはあっという間にローマ中を駆け巡る。世論はクローディウス弾劾で一致している。万事休すであった。

 そして、翌前61年、護民官によって涜神罪によるクローディウス告発が行なわれた。叩けばほこりの出る男であったクローディウスは、元老院の激しい攻撃にあう。次々に悪事が暴露される。妹との近親相姦さえ取沙汰された。しかし、民衆は彼を支持した。極刑を宣告すれば民衆が暴動を起こすかもしれない。裁判官さえおよび腰になる。さて、その衆人監視のなかカエサルが証人として法定に召喚された。当然カエサルはクローディウスを糾弾する証言をすると思われていた、しかし、カエサルは意外にも即座にポンペイアを離婚し、証言に立つと、静かに言う。

 「私は、クローディウスにたいして述べられていることは何も知らない。そのようなことがあったとは思えない。妻、ポンペイアは立派な女性である。重ねて言う。我が家では決して不義密通などありえない。」

 「しかし、それならどうして奥さんを離別されたのですか?」

と問われると、

 「私の妻たるものは、いささかも嫌疑を受ける女性であってはならないと思うからである。」

と答えた。カエサルの自負心の表われであったかもしれないが、「クローディウスの擁護者」という立場を民衆にアピールしたという方が適当であろう。事実、カエサルはこの後、クローディウスを平民の身分に移し、護民官として属州統治中のローマの勢力維持に利用している。政敵を作らず、常に寛大な対応で自らの庇護者(クリエーンス)として取り込んで行く。カエサル一流のやり方の萌芽が見られる。

 なお、蛇足ではあるが、このとき裁判官たちはよく判読できない文字で判決文を記し、そのためクローディウスは無罪になったのだという話もある。有罪の宣告を下して民衆に攻撃されるのも、無罪判決によって貴族間で悪評を立てられるのも嫌ったためであった。遵法精神旺盛なローマ人の苦肉の策であったのだろう。

 ところで、ローマでは法務官、執政官などの高級官職を勤めたものは、その翌年法務官格(プロ=プラエトル)、執政官格(プロ=コンスル)の政務官として属州統治の任に当たるのが通例であった。前61年の法務官の任期を終えると、カエサルは与えられた属州としてヒスパニア(スペイン方面)に赴任する予定であった。

 しかし、ひとつの事件が発生した。前にも述べたように、カエサルは借金の「天才」であった。どんなに借金を重ねても常にうまく切り抜けてきた彼であったが、このときばかりはそうは問屋が卸さなかった。ヒスパニアへ出発しようとするカエサルの前に、金を返せと債権者の群れが押しかけてきたのである。さすがのカエサルも今度ばかりは立ち往生してしまった。どうなることかと思われたが、その彼に救いの手が差し伸べられた。マルクス=リキニウス=クラッスス、ローマ一の大富豪である。

 すでにクラッススはポンペイウスに次ぐローマ政界の大立者であったが、ことごとく対立するポンペイウスに対抗するために、売り出し中のカエサルの人気をあてにしていた。カエサルは、もともとクラッススと仲が悪く、例の海賊に捕らえられたときには、

 「クラッススよ、私が捕らえられたことを知ったら、お前はどんなにか喜ぶことだろう。」

と言ったこともあった。しかし、その後は関係改善もなされ、ここにクラッススの登場とあいなったわけである。

 クラッススが最も強情な債権者たちに総額830タラントンの保証をしてくれて、やっとカエサルは任地に出発することができた。前61年の春のことである。

 さて、カエサルはいよいよヒスパニアにむかって出発した。一行がアルプスを越えて、人もごくわずかしか住んでいない荒涼たるガリア人の一村落を通り過ぎたときのことである。側近たちが冗談に、

 「何とへんぴな田舎の村よのう。一体、こんなようなところでも、官職をめぐっての名誉欲とか、第一人者たろうとする競争とか、有力者相互間のねたみ合いといったようなものがあるのだろうか。」

と言ったところ、カエサルは急に真面目な顔で彼らに言った。

 「私は、ローマ人の間で二番目になるよりは、むしろここの人たちの間での第一人者となりたい。」

カエサルの野心を示すエピソードである。

 それはさておき、カエサルは任地属州ヒスパニアでもその力を遺憾なく発揮した。

 当時、この地方にはまだローマに服属していないガリア人(ケルト人)部族が多数あったが、カエサルはそれらに総攻撃を加え、外洋にまでローマの威光を広めた。さらに彼は内政にも打ち込み、都市間のあつれきを解消し、債務者の財産保護を行なうなど、経済政策にも成功し大変な評判をかち得た。そして、このときからカエサルは軍人としての最高の名誉ある称号「インペラートル」(大将軍)の名で呼ばれるようになるのである。

しかし、当然のことながら、すべてがきれい事で済んだわけではない。カエサルはこの任務を通じてたっぷり金をため込み、また、おこぼれにあずかった兵士たちも、忠実な彼の部下(クリエーンス)としてカエサル個人に忠誠を誓うようになってくるのである。機は熟してきた。


 第四章 コンスル

 前60年、法務官代理(プロ=プラエトル)としてのカエサルは、ヒスパニアで多くの戦争に勝利を納めた。

 「アウェ・インペラートル・カエサル!」(カエサル大将軍万歳)

兵士たちの彼をたたえる声がスペインの空にこだまする。「大将軍」(インペラートル)の名で呼ばれるのは、軍人として最高の名誉であった。

 こうして軍人として頂点に駆け登った人物が、最後の栄誉として求めるのが凱戦式である。ローマの街を練り歩く大行列。「インペラートル万歳」を叫ぶ兵士たち、略奪した金銀財宝、捕虜とした蛮族の王侯貴族・・・。ローマで凱戦式を挙げる−これこそローマの軍人の最高の夢であった。当然カエサルもそれを求める。しかし、そこにはひとつの問題があった。

 ローマでは軍指揮権を持つ者は(凱戦式のときは例外として)、聖なるローマ市の境界を越えて街の中に入ることができない。市内に入ろうとすれば、軍隊を解散して私人としてひとりやって来なければならない。しかし、法務官代理として栄誉をきわめた彼の目に映るのは、翌前59年の執政官(コンスル)−ローマ公職の頂点−であった。だが、コンスルに立候補しようとする者は、私人として市内にいなければならない。つまり、コンスル立候補をとれば、栄光ある凱戦式はあきらめなければならない。カエサルはこのジレンマに苦しんだ。なんとかならぬか。彼は元老院に使者を送り、ローマの郊外に留まり軍指揮権を持ったままのコンスル立候補の許可を求める。当然大々的な買収が行なわれる。カエサルの野望は遂げられるかのように思われた。しかし、そのとき彼の前に立ちふさがる者が現われた。マルクス=ポルキウス=カトー、またしてもこの頑固者である。カエサルの立候補問題が審議されようというその日、彼は元老院で真っ先に立ち上がると、とうとうと大演説を始めた。大した内容ではない。終り次第カエサルの立候補を許可しよう・・・。しかし、待てど暮せど、カトーの弁論は終わらない。一時間がたち二時間がたち・・・、元老院に動揺の色が走る。あいつはいつまでやるつもりなのだ?ひょっとしたら・・・。皆の不安は現実となった。とうとうカトーは日が暮れるまで大演説を続け、カエサルの立候補問題は審議未了として、お蔵入りとなってしまったのである。万事休すである。ここにいたって、ついにカエサルは決断を下した。凱戦式は確かに惜しい。しかし、今はコンスルの方が大切だ。彼は凱戦式の名を捨てて、コンスルの実を取ったのである。

 当時カエサルは売り出し中とは言え、まだまだ「青二才」であった。ローマの政界地図はポンペイウスとクラッススの二大陣営に塗り分けられていた。しかし、この二人はどうも折り合いが悪く、事あるごとに対立していた。カエサルはそこに目をつけた。ポンペイウスにクラッスス、どちらもひとりでローマを牛耳る力はない。しかし、容易に相手と手を結ぶのははばかられる。そこに、カエサルのつけ入るすきがあった。彼には確かにまだこの二人に対抗するような力はない。しかし、彼には民衆の人気という武器があった。そして、「疑似民主国家」であるローマでは、これが何よりものを言うのである。カエサルをなかだちにして、ポンペイウスとクラッススは手を組んだ。そして、三人の間で意見が一致しない政策は行なわないことが確認された。世に言う「第1回三頭政治」である。そして、この二人の有力者の全面的なバック=アップで、カエサルは前59年の執政官(コンスル)選挙に立候補する。対立候補はまたしても常に彼の陰で辛酸をなめてきたマルクス=ビブルス。そして、潤沢な資金をもつルキウス=ルケイウス。カエサルは早くから圧倒的有利を噂されていたので、ルケイウスはカエサルと同盟して、自らの当選を確実にしようとした。そこで彼は資金を提供し、カエサルとの連名で買収工作に利用するという取り決めがなされた。しかし、閥族派はこの同盟を危険と見てビブルス援助に立ち上がった。多くの貴族はビブルスが買収に使う金を提供し、あの廉潔の士カトーでさえも事態がこうなっては国家のためには買収もしかたがないと認めた。この巻き返しのかいあって、何とか元老院はカエサル−ルケイウスという最悪のコンビの当選を食い止めた。しかし、カエサルは、ここについにローマの公職階級の頂点に達したのである。

 カエサルは執政官職に就くと、すぐさま革新的な政策をぶちあげる。彼はさっそく、元老院と民会の議事録をその日その日に編集して公表することを始めた。これが現在の新聞(ジャーナル)の始まりであるというのは知る人ぞ知る歴史である。こうして、ローマの民衆たちはカエサルの目を通して政治に触れることとなる。

 ビブルスは相変わらずカエサルの「影」に過ぎない。彼の提案はことごとくカエサルにつぶされ、最後には身の危険さえ感じるようになった。とうとうビブルスは腹を立てて任期いっぱい家に閉じこもり、毎日毎日占いを行なっては、カエサルの政策にいちゃもんをつけるだけであった。(ローマの吉凶占いは、おもに鳥の飛び方や餌のついばみ方をもって占う「鳥占い」(アウスキピウム)であったので、きっとビブルスは毎日空を見上げて暮したことであろう。)その後はカエサルがひとりで思うがままの政治をとり行なったので、人々はこの年、前59年を「ビブルスとカエサルがコンスルのときに・・・」と書かず、「ユリウスとカエサルがコンスルのときに・・・」と書き表わすようになった。そして、巷では次のような風刺詩が口にされた。

 「事の起こりしは

  ビブルスの時代にあらず、カエサルの時代なりき

  ビブルスのコンスルなりし時

  いかなることの行なわれしか我知らず」

 ローマに満ちあふれ、職もなく日々無為に過ごし「パンとサーカス」を求める民衆たち、何の役にも立たぬ、しかし「清き」1票を持っているこの民衆たちは、ローマの政治家にとって必要悪であると同時に、目の上のタンコブであった。

 このとき、カエサルは彼らを取り込むために大胆な政策を持ち出してきた。「土地の分配」である。戦勝とともに限りなく広がってゆく広大なローマの国有地、この土地をプロレタリアとポンペイウスの帰休兵たちに分配しようというのだ。かつてグラックス兄弟の命を奪ったこの政策を再び彼は持ち出した。

 かつてグラックス兄弟相手に牙をむいたように、再び元老院閥族派が反対に立ち上がる。カエサルは一応合法的な解決を計ったが、反対の激しいのを見て、もはやこれまでと叫ぶ。

 「諸君、私は好んで元老院を去ろうというのではない。今こそ、ローマにとってこの法律が必要なのである。私が民会へと向かうのはやむにやまれぬ措置なのだ。」

 民会に現われた彼の両脇には、当然のごとくポンペイウスとクラッススがあった。カエサルは言う。

 「ポンペイウスよ、私の法案をどう思われるか。」

ポンペイウスは答える。

 「私は、カエサルの法案に賛成である。事はカエサルの言う通りに運ばれるべきである。」

 「では、もし、この法案に暴力をもって反対する者があれば、ポンペイウスよ、あなたは民衆の味方として私の法案を守り通して下さるか。」

 「いかにも。剣をもって威嚇する者には、私も剣をとり、盾をかかげて応ずるであろう。」

 大ポンペイウスが、ここまでカエサルに心を許したのは初めてのことであった。元老院はこの言葉に殺気立ったが、民衆は狂喜する。ここに、カエサルとポンペイウスの絆は不動のものとなった。

 しかし、二人のつながりはそれだけではない。カエサルにはユリアという娘がいた。この娘はすでにセルウィリウス=カエピオという人物と婚約していたが、カエピオにはスッラの息子と婚約していたポンペイウスの娘ポンペイアを与え、ユリアはポンペイウスのもとに嫁ぐことになった。そして、カエサル自身はしばらくして、ピソの娘カルプニアをめとり、そのピソを、翌年、前58年の執政官とした。

 戦国大名の結び付きを思わせるこの政略結婚政策は、当然激しい反対も呼んだ。

急先鋒はまたしてもカトーである。

 「私はこのようなやり方を許すわけにはいかない。いやしくも国家の大権を婚姻によって取引し、女性を使って属州や権力をたらい回しにするなど、断じて我慢できることではない。」

再び、元老院は彼の叫びに満たされるのであった。

 マルクス=ポルキウス=カトー、この人物だけはどうも手に負えない。

 カエサルは次の手として、執政官任期終了後の任地となる属州として、アルプスの両側の全ガリア、イリュリュクム(アルバニア方面)を4個軍団をもって5年間統治する権限を与えられた。もちろん、ポンペイウスの全面的援助のもとにである。カトーは当然大反対をする。

 「えーい、引っ立てろ。」

カエサルはついにコンスル強権を発動して、カトーを監獄へ連行する。

 「どうせ、奴は護民官に訴えて身柄を解放させてしまうだろう。ちょっと脅かしてやろう。これであ奴も少しはおとなしくなるというものだ。」

しかし、カトーは何も言わない。押し黙ったまま抵抗もせず連行されて行く。名門貴族はもちろんのこと、民衆までがカトーの人格に打たれて、一言も発せず、うちひしがれた格好でつき従って行く。しまった。カエサルはあわてて、こっそりとカトーを釈放させる。カエサルのあと元老院につき従う者もわずか。そのなかのひとり、老齢のコンシディウスは言う。

 「カエサルよ、元老院をでこう武器を持った兵士で固めてしまっては、誰も恐れて近づかないのは当然ある。」

カエサルも応じる。

 「そんなに私の兵士が恐ろしいのなら、どうしてあなたも家に引っ込んでいないのですか。」

 「私はもう年老いた。寿命も残り少ない。今さら恐しいものはないのだ。だが、カエサルよ、若者たちは違う。君のやり方はきっと不幸を招くことになろう。」

カエサルの威信は大いに失墜させられた。今に見ておれ・・・。しかし、その復讐がなるまでには、まだまだ時を待たねばならない。

 こうして、カエサルがコンスルの年も終わりに近づく。時間がない。彼は間もなく属州ガリア(現、北イタリア、フランス、ベネルクス、スペイン東北部方面)に長官として旅立たねばならない。しかし、今ローマを留守にするのは危険だ。ここでも彼は、離れ業を演ずる。

 クローディウス。かつて、妻ポンペイアを寝取ったとしてカエサルの顔に泥を塗った男。彼は執政官権限でそのクローディウスを平民身分に移行させると、翌前58年の護民官に就任させた。目標はキケロである。キケロの持つ隠然たる反カエサル勢力、これを抑え込むには民衆に人気をもつ手下をローマに置いておくしかない。ボナ=ディア祭事件を不問に付した彼の度量が、ここに生きてくるのである。

紀元前59年が暮れる。


 第五章 旅立ち−ガリア戦記(1)

 ガリア、広大なガリア・・・。あらゆるものを拒む未開の森林。執政官代理(プロ・コンスル)としてカエサルは、前58年、ローマに従わぬ蛮族と、そこ知れぬ自然が待つ中央ヨーロッパへ向かった。

 ガリア−現在の北イタリア、フランス、スイス、ベネルクス3国、スペイン・西ドイツの一部を含む広大な地域。ガリア人、現在一般にいうところのケルト人の世界である。ここにカエサルの夢があった。

 スイスに住むガリア人、ヘルウェティー族が豊かな土地を目指して移動を開始する。総勢約30万人、二度と帰らぬ決意を固めて家を焼き町を破壊し、近隣の諸部族を引き込んで南へ向かった。目指すはローマの属州ガリア(北イタリア〜南フランス)。ここを通り抜ければ、豊かな土地が待っている。まずはゲナウァ(ジュネーヴ)の町へ向かおう、あそこに住むアロブロゲース族はローマに対して良い感情を持ってはいない。きっと我々を歓迎してくれるだろう。よしんば、抵抗したところで我々の敵ではない。前58年3月28日、出発の決定が下る。

 この不穏な動きは早速まだローマに残っていたカエサルのもとに伝えられる。彼は即座にローマを旅立つと毎日150キロメートルという強行軍で、わずか8日でゲナウァに到着した。そこで彼は新たに彼の担当となったローマ領ガリアから援軍を集め、ゲナウァへの橋を破壊し、ヘルウェティー族を待ち受けた。

 カエサル到着の知らせはまもなくヘルウエティー族のもとにも届いた。

 「一体どうすればいいのだ。カエサルがやって来たのだ。我々は前進できるのか。」

 悲痛な叫びが部族中に満ちあふれた。そこで、釈明の使節団がカエサルのもとに送られることとなった。

 代表はナンメイユスとウェルクロエティウスの二人である。彼らは口をそろえてカエサルに言う。

 「カエサル様、我々がローマの属州を通過しようといたしますのに他意はございません。ただ、ここ以外に道がないのでございます。無事通過を許可下さいましたなら、我々は何も悪さをしようなどとは考えておりません。今部族存亡の危機なのです。どうか、属州通過をお許しください。」

 しばらく黙って通訳の弁を聞いていたカエサルが口を開いた。

 「何せ突然のことである。しばらく考えさせてもらおう。もしどうしてもというのなら、4月13日にもう一度やって来い。そのときに返事をしよう。」

 カエサルは静かにこう答えた。使者たちはこれは何とか丸くおさまるかもしれないと、安堵に胸をなでおろしながら帰途についた。しかし、カエサルの胸の中はそうではなかった。

 「かつて(前107年)ヘルウェティー族は我が執政官カッシウスを襲い虐殺し、軍隊を屈辱にまみれさせた。奴らに譲歩する必要はない。それに、彼らは決して我らに友好的な部族ではない。何も悪さをせぬなどという言い訳を信ずるわけにはゆかない。」

 カエサルは体よく使者を追い返すと、早速戦争準備に取りかかった。ロダヌス(ローヌ)川から北へ高さ5メートル、長さ28・5キロもの保塁を築き、濠を掘り、要塞を建設し、ヘルウェティー族の侵攻を待ち受けた。

 約束の4月13日、再び現われた使者の前でカエサルは声高らかに宣言する。

 「ローマ国民の伝統と先例に従い、私は何人にも属州の通行を認めるわけにはいかない。もし力ずくでというのなら、覚悟するがいい。私はあくまでもそれを阻止する。」

 「それは約束が違う!」

 ヘルウェティー族にはパニックが走った。

 「もはやこれまでだ。もう下手には出ていられない。我々は進まねばならぬ!」

 ヘルウェティー族はあるものは筏で、またあるものは徒歩で、ロダヌス川を越え、ローマの保塁に突入した。しかし、相手は世界最高の文明国、兵は強く、彼らが知らない兵器を次々と繰り出してくる。もう勝ち目はない。そうだ、北への迂回路がある!しかし、そこにはセクアニー族がいる。彼らは急遽使いをセクアニーに送ったが、答えはノーであった。彼らとて今ローマとことを構えたくはない。ここは関わりあいにならないに限る。そこでヘルウェティー族は中央ガリアに大勢力を持つハエドゥイー族のドゥムノリクスにとりなしを頼むことにした。ハエドゥイー族は早くからローマと同盟した部族、いわゆるクリエーンス部族であったが、ドゥムノリクスはそのなかでは反主流派で、ローマによるハエドゥイー支配を快く思わず、支配権の奪取を目指していた人物である。彼は婚姻政策を通じてヘルウゥティー族と密接な関係を持っていたため、このときかつぎ出されることとなった。そして彼の尽力によってセクアニー族はヘルウェティー族の通行を拒まぬこと、ヘルウェティー族は平和的にセクアニー領を通過することという取り決めがなされた。

 この情報は早速カエサルのもとにもたらされる。この移動はローマにとって全くあずかり知らぬガリア人同志の取り決めである。しかし、カエサルはローマに報告を送った。

 「ヘルウェティー族はセクアニーとハエドゥイー族の領土を通ってサントニー族の地に移動すると決定した。これはローマ属州に住むトロサテス族の地から遠くない。ローマはこれを許すわけにはゆかぬ。ただちに軍を派遣すべし!」

実際にはトロサテスの地とサントニーの地は200キロメートルも離れているのにである。開戦の理由づけなどどうにでもなる。ヘルウェティーのような敵対部族を属州のそばに住まわすわけにはゆかぬ。これだけでいい。軍を動員しよう。直ちにカエサルは北部イタリアに帰還すると新たに徴募した軍を合わせ5個軍団(一軍団は6000人)の兵力をもってアルプスを越えた。敵対するいくつかの部族と小規模な戦闘を繰り返しながら、ヘルウェティー族を追ってセグシアウィー族の地(スイス・フランス国境付近)へと急いだ。その頃ヘルウェティー族はハエドゥイー族の地(フランス中東部)に侵入し、略奪の限りを尽くしていた。ハエドゥイー族の親ローマ派からはカエサルのもとに矢のような知らせが飛び込み続ける。

 「我々は、これまでローマに対しいつも変わらぬ奉仕を続けて参りました。それをここで見捨てるのなら余りにも筋が通らぬ話。我々の畑は荒らされ、町は焼かれ、子供たちは奴隷になっております。一刻も早く援軍をお送りください。」

他の部族の親ローマ派からも次々と援助の要請が入る。カエサルは道を急いだ。

 ロダヌス(ローヌ)川上流アラル川畔(リヨン周辺)でカエサルは遂にヘルウェティー族の一隊に遭遇した。カエサルは夜に乗じて攻撃をかけこの一隊を壊滅させる。かつてローマ軍を破りコンスルを殺害したティグリヌス村の人間たちであった。カエサルの戦勝報告にローマの人々は狂喜する。開戦は見事に正当化できた。しかし、ヘルウェティーの本隊はまだ無傷のままである。カエサルの追撃は続く。


残念ながら、この作品は未完成です。いつの日か、完成するときをお楽しみに!