| 「GAIUS JULIUS CAESAR」 |
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「ガイウス=ユリウス=カエサル」 第3章
第3章 人間カエサル
この論文では、第1章・第2章と「公人」としてのカエサルにスポット当てて、彼の人間像を探ってきた。本章ではそれに対してカエサルの「私生活」を問題とし、真の意味での「人間カエサル」について考えることを目的とする。
(1)性格
「人間カエサル」のかなりの部分については、前章までの「軍人」「政治家」としての行動から推測が可能である。そこから分かることは、カエサルは大胆かつ冷静沈着で、寛容でありながら厳格さを忘れず、その気前よさにより多くの人々を引きつけたということである。このように、一見相反するように見える性格が、見事な調和を保って一人の人間の中に存在した−それがカエサルの性格の特徴ということができるだろう。ここではその性格を、軍事や政治とは離れた角度から再検討してみたい。(注1)
まず「豪胆」さであるが、カエサルは戦場において豪胆であったのと同様に、生活全般においてもその豪胆さを遺憾なく発揮している。(注2)とにかく、危険をかえりみず革新をはばからない人であった。
多くの例が示すように、(注3)カエサルの「寛容」さと「気前よさ」は大変なものであったが、締めるところはきっちり締めるリアリストでもあった。(注4)
しかし、豪胆で鳴らしたカエサルも晩年になると非常に弱気な一面を見せているのは、人間臭くて興味深い。(注5)
さて、カエサルはまた見事な実務家であった。巡回裁判などの政務をてきぱきと片付ける能力は当然としても、(『ガリア戦記』7−46)「名」の凱旋式の代わりにコンスル立候補という「実」をとったり、(プルタルコス『カエサル』13、スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』18)機能的な暦法の導入(プルタルコス『カエサル』59)や、実務的で簡易な法典の編纂の計画(スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』59、その他の実務的性格については、同42)など革新的政策の遂行にも積極的であった。
また、予言などは古代人の常として信頼することはあったが、(スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』61、及び 5)一般に迷信にはとらわれることなく、(注6)凶兆でさえも吉兆にこじつけるような現実性を持っていた。(スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』59)神殿略奪をも平気でやってのける神経はこのような性格から説明がつこう。(同54)また、気前が良い割には金銭面では強欲な一面も持ち、(同右、 7)概して感情の起伏は激しい方で、(注8)絶望することもあれば(スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』20、36)有頂天になることもあり、(同22、29)あれほど豪胆であった割には小心者の一面ものぞかせる。(注9)
カエサルはまた非常な皮肉屋であったが、(注10)そのために敵を作ることは少なかった。
その他にも、カエサルは名誉心が強く、負けず嫌いであったが、よく気のきく男で、力強い性格であった。また、おしゃれでぜいたくで、芸術と文学と金を愛した。(注11)
最初に記録に現れるカエサルの愛人は、有名なことであるが女性ではなかった。M=テルムスの副官として艦隊徴募のためにビテュニアへ派遣されたとき、(前81年 第1章3照)彼はニコメデス王の宮廷に入りびたりになり、同性愛関係におちいったとの噂が立った。(スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』2)この噂はどんどん広まり、
「ビーテューニアーには何もかも揃っていてカエサルの男娼さえいた」とか、
「王妃のライバル、王の閨房のお相手」
と皮肉られ、戦場ではあれほどの忠義を尽くしたカエサルの兵士たちも、こともあろうに凱旋式の最中に、
「ガリアの征服者はカエサル
そのカエサルの征服者はニーコーメーデース
こはいかに、カエサルには凱旋式があってもニーコーメーデースには凱旋式が無いのだ。」(同49) と、歌ったという。(注12)ニコメデス王は前74年、その死に際して王国をローマに遺贈しているが、この遺言とカエサルとの同性愛関係とのあいだの関係は分からない。ホモ=セクシュアリティは古代社会では決して珍しいことではなかったが、このニコメデス・スキャンダルはカエサルに一生の汚点としてついてまわった。
カエサルは、その生涯に4回結婚しているが、(注13)もっとも愛したのは二度目の妻コルネリアであったといわれる。彼女は民衆派の領袖キンナの娘であったため、政権を握った閥族派のリーダー、スッラによって離婚を強要された。しかし、カエサルは生命の危険をもって脅迫されながらも、この命令を頑として受け付けなかった。研究者の中には、これをカエサルのコルネリアに対する真の愛情から出た行動であると説明するものが多いが、(注14)前章でも述べたように、あれほど政治的策略に富んだ男が、愛情だけで、政治生命のみならず実際の生命さえも危険にさらすということはありえないように思われる。当時のローマ上流社会の状況では、結婚は多く政略結婚であり、そこに個人的感情の立ち入るすきは余りなかった。その上カエサルは、個人的感情のために目的の追及を差し控えるような男ではない。その証拠に、民衆派のボス、伯父のマリウスから、神官職就任の条件として平民出身のコスティアとの結婚(婚約)破棄を求められると、それには素直に従っており、(スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』 1)ボナ=ディア祭事件(前章3照)でのクローディウス処分に関しては、彼を味方につけるため、姦通の事実を確認せぬままに妻ポンペイアを離婚している。(プルタルコス『カエサル』9・10)やはりこの離婚拒否は、カエサルの「民衆派」としての宣言であったと考えるのが妥当であろう。
しかし、結婚以外のカエサルの女性関係はバラエティに富んでいる。彼は多くの人妻と関係を持ち、ポンペイウスの妻とさえも関係したといわれる。(注15)しかし、彼が最も愛した女性は、彼の暗殺者ブルートゥスの母セルウィリアであったという。カエサルは彼女に莫大なプレゼントを贈り、彼女の方もカエサルに夢中で、元老院議場にまでラブレターを送ってきたこともあった。(スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』50、岩波文庫版プルターク『ブルートゥス』5)そして、カエサルが彼女の息子ブルートゥスに与えた好意は有名で、一説には、ブルートゥスはカエサルの実の息子であったとも言われている。
カエサルの情事はローマにのみとどまらず、世界中に及んだ。ガリア戦争中にも浮名を流したとみえて、凱旋式では兵士から、
「ローマの市民よ、妻を守れ、これが禿頭の間男の名人だ。貴様はローマで借りた金をガリアで浮気女に使い果たしたのだ。」(スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』51)
と皮肉られている。その他にも各国の王妃たちとの関係も数多い。(注16)
しかし、何よりも我々の目を引くのは、プトレマイオス朝エジプト最後の女王クレオパトラとの恋愛である。
前48年ポンペイウスを追ってエジプトへ入ったカエサルは、プトレマイオス王家の内紛に巻き込ま れ、クレオパトラとの劇的な出会いを迎えることとなった。(プルタルコス『カエサル』49)そして、カエサルは次第にクレオパトラの魅力に引かれてゆくのだが、彼は一般に考えられているように、ただクレオパトラの美貌に夢中になったのではなく、その知性と教養、王者としての立居振舞のとりこになったというのが真相のようである。(注17)したがって、この2人の関係は非常に「理性的」な恋であったということができよう。カエサルはクレオパトラとともに、しばしば夜が明けるまで饗宴を催し、彼女の御座船でナイル河をエチオピア近くまでさかのぼったと伝えられる(スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』52)が、これらの行動もただクレオパトラに対する愛情からのものだけではなく、毎夜の宴会は宦官ポテイノスの陰謀から身を護るための手段であったといわれるし、(プルタルコス『カエサル』48)ナイル旅行は、クレオパトラがエジプトの富を誇り、自国の存続のために強大なローマの力を利用したいと思う意図と、いつの日かエジプトのローマへの併合を考えていた(スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』35)カエサルの、エジプト視察の要望とが、うまくかみ合った結果の行動であったとも考えられる。いずれにせよ、カエサルは恋のために自らの野望を棄てるような甘い男であったとは思われない。クレオパトラの産んだ男子カエサリオンは、ほぼ間違いなくカエサルの種であったと考えられるが、カエサルはローマの政情の混乱を避けるためか、その子を後継者に指定しなかった。(のちにクレオパトラに夢中になるアントニウスとの違いの何と大きいことか。)
このようにカエサルは恋愛においても、やはり大胆かつ冷静であった。カエサルの実際的な性格については別のところで述べたが、彼は恋愛という最も心揺さぶられる事件に際しても、決して自己を見失うことのない理性人であった。(注18)
カエサルは愛想がよく、友情に厚く、相手の気持になって考えることのできる男であった。(注19)そのため彼は民衆に大変な人気をもって迎えられ、政界でも多くの支持者を得たのであった。カエサルを取り巻くそれぞれの人物たちに対して、カエサルがどのような態度で接していたかをかいま見てみるのは、すこぶる興味深いことである。しかし、とてもすべての人間関係を振り返るわけにはいかない。そこで、ここではカエサルの対人関係を探る上で重要な2人の人物、ブルートゥスとポンペイウスとの関係について考察することによって、カエサルの人間性の一端を探ってみたい。
I ブルートゥス
マルクス=ユニウス=ブルートゥスは、カエサルにとって特別な人間だったようである。前述したように、ブルートゥスの母セルウィリアはかつて熱烈なカエサルの愛人であり、暗殺の現場にブルートゥスの姿を見たときの言葉、
「我が子よ、お前もか。」(スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』82)
から推測されるように、ブルートゥスは実際にカエサルの息子であったか、あるいは少なくともカエサルはそう信じていたとのふしがうかがわれる。それはともかくとして、カエサルはブルートゥスを偏愛し、大変尊重していたという。(注20)死に臨んで、ブルートゥスの姿を見て抵抗を諦めたという姿(岩波文庫版プルターク『ブルートゥス』17)は、カエサルのブルートゥスに対する深い愛情を感じさせる。ブルートゥスに関する逸話を通じて我々は、カエサルがいかにこまやかな愛情をもって人に接したかという実例を見ることができる。カエサルは政治的打算にたけた男であったが、ここには打算抜きの深い愛情が感じられるのである。
ブルートゥスはあくまでもカエサルよりは年少の人物であり、カエサルが彼に示した深い愛情も十分理解できる。では、ポンペイウスに対してはどうであったろうか。
ポンペイウスはカエサルより年長であり、カエサルがこれから政界でのし上がろうとしていたとき、既にローマ政界の大立物であった。その後、ポンペイウスはカエサルの最大にして最強のライバルとなり、両者は死闘を繰り広げることとなる。一般の概説書などでは両者の敵対関係ばかりが強調される傾向があるが、果たして2人の関係はそれだけのものであったのだろうか。(注21)ここでは、この両者の関係について考え、2人の愛憎関係を探ってみたい。(注22)
ポンペイウスはカエサルにとって確かに偉大なライバルであったが、若い頃のカエサルは民衆の人気を獲得し政界でのし上がるためには、十二分にポンペイウスを利用している。(プルタルコス『ポンペイウス』25)しかし、カエサルがポンペイウスに対抗できるだけの実力を蓄え、やがて2人の利害が対立するようになると、両者は必然的に内乱へと突入していった。いったん敵対関係になると、2人とも激しい宣伝合戦を行ない、相手を非難し、自己の立場の正当化を図っている。(『内乱記』1−4等)したがって、ブルートゥスに対してのときのように、カエサルがポンペイウスに対しても深い愛情を持っていたと主張するわけにはゆくまい。実際に戦争に関しては、カエサルはポンペイウスの軍事的才能を低く評価しており、(注23)決して全人格的に尊敬していたわけではない。しかし、次に挙げるいくつかの例からも分かるように、カエサルにとってポンペイウスは決して不倶戴天の敵というわけではなかった。
カエサルは若い頃より、ポンペイウスの好意を得るため汲々としている。娘ユリアをポンペイウスのもとへ嫁がせたり、内乱開始までポンペイウスを自らの相続人に指定していたことなど、決して敵に対する態度ではない。(スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』19・21・83、岩波文庫版プルターク『ポンペーイウス』56)内乱が開始されても多少の変化こそあれ、この傾向はずっとつづいてゆく。内乱突入後も、つとめてポンペイウスの個人攻撃は避け、責任を彼の取り巻きの者たちに転嫁し、何度もポンペイウスに対する友情と支持を表明している。(『内乱記』1−7)このようなカエサルの態度に対して、ポンペイウスの方も表立っての攻撃は行なってはいない。(同1−8)両者とも、お互いに相手を尊敬しながら、なんとなく相手に仕掛けられて、やむなく戦っている−「内乱」は、このような印象を受ける奇妙な戦争であった。政治的宣伝の意図を含んでいるために、すべてをカエサルの心情の吐露としてとらえるわけにはいかないが、彼が『内乱記』を通して語っているのは、まさにこの奇妙な戦争の様子である。結局この内乱はファルサロスの戦を経て、カエサルの勝利に終る。もし、このときカエサルがポンペイウスを生きながらに捕虜にするようなことでもあれば、カエサルはいつもの例に漏れず、きっとポンペイウスに最大の名誉を与え礼を尽くした待遇を与えたであろうし、それ以前にカトーのように自害するようなことにでもなれば、きっと彼の命を救えなかったことを声高に嘆いたことであろう。しかし、ポンペイウスの幕切れは非常にあっけなく、また意外なものであったので、我々の目にはカエサルの反応もまた意外に映る。ポンペイウスが、ローマの内乱に巻き込まれることを嫌ったプトレマイオス王朝の官僚たちの陰謀によって暗殺され、その首をもった宦官テオドトスがカエサルのもとに現われると、カエサルはテオドトスには背中を向け、ポンペイウスの指輪を受け取って「涙を流した」という。(プルタルコス『カエサル』48、同『ポンペイウス』60)この「涙」は一体何であったのか。果たして本心から出た涙なのか。それともポーズに過ぎないのか。いろいろな思惑があろう。しかし、私はこれはカエサルの心からの涙であったと思う。なぜなら、どのような冷静な人物でも、人間は意外な事実に直面した場合、つい本心をあらわにしてしまうものであるからだ。ポンペイウスのあっけない死という意外な事実を知ったとき、カエサルの胸中を走ったものは一体何であったのか。ポンペイウスとの長く苦しい戦いのことであったかもしれないし、ポンペイウスに嫁がせた娘ユリアのことであったかもしれない。あるいはこの戦争で失った多くの部下や友人のことであったかもしれない。そこから先のことを考えるのは、おそらく小説家の仕事であろう。しかし、とにかくポンペイウスに対して、いくばくかの友情を感じていなかったならば、決して涙を流すようなことはなかったのではないか。カエサルとポンペイウスのこの「奇妙な友情」は一体何を示唆しているのであろうか。私はカエサルのこの敵をも愛する心優しさこそ、彼を成功に導いた原因のひとつであったと考えてやまない。カエサルは、そのほかにもポンペイウスの死後、彼に対して様々な栄誉を与えている。(注24)それは多くは政治的打算の産物ではあったろうが、まったくすべてがカエサルの意に反して行なわれた演技であったと考えることもできまい。
カエサルにとって、ポンペイウスは決して単なる「敵」ではなかった。前44年3月15日、カエサルがその最後の瞬間に、元老院議場のポンペイウスの立像の前に倒れたという事実は、実に歴史の皮肉と言わなければならない。
第3章 注
プルタルコス『カエサル』には、
一方、貴族のうちのあるものには将来の執政官(コンスル)職とか法務官(プラエトル)職を約束し、あるものはその他なんらかのさまざまの権限や栄誉をもって懐柔した。このようにすべての人たちに希望を抱かせて、人々が心から彼の支配を受けいれてくれるようにしようと努力したのである。それで、たとえば執政官のマクシムスが死んだときなどは(前45年12月31日)、その職があと1日しか残っていなかったのに、カニニウス・レビリウスを1日だけの執政官に任命した。そこで、いつものように多くの人たちが敬意を表したり、祝いの行列に加わろうと彼のもとにむかいつつあったところ、キケロは『急いでゆこうではないか。そうしないと、われわれが着くまえに、あの人の執政官の任期が切れてしまうぞ』と言ったというのである。…後略(58)」
家政には常に厳格をもって臨み、不行跡のあった使用人にはきわめて厳しい処分を下している。(同48)
また、裁判官や風紀監督官としても非常に厳格であった。(同43)
しかし、弁論の天才キケロが、その皮肉によって相手を傷つけ反感をかっていたのに対し、カエサルの皮肉は決して相手を傷つけるものではなく、それによって敵を作ることも少なかった。(プルタルコス『キケロ』7など)
しかし、ときにはそれが昂じて陰険になることもあった。たとえば、カエサルはその著書『アンティ=カトー』の中で、カトーを嫌らしいまでに口汚く誹謗・中傷している。(プルタルコス『カトー』11、36、51、52、54)
スペインでアレクサンドロスと自らを比べて、自分のふがいなさを嘆いた有名な逸話は、スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』7、プルタルコス『カエサル』11。また、プルタルコス同所には前61年春、属州ヒスパニアへ向かう途中、アルプスの寒村で、側近の者たちが冗談に「一体、こんなようなところでも、官職をめぐっての名誉欲とか、第一人者たろうとする競争とか、有力者相互間の嫉視といったようなものがあるのだろうか?」と言うと、カエサルは真顔になって「自分はといえば、ローマ人の間で第2位を占めるよりはむしろここの人たちの間での第一人者となりたい」と答えたという。
自分の功績を民衆に誇る様子はプルタルコス『カエサル』55。
また、同58にはカエサルの功名心について、
そして、続けて彼の「世界征服」の野望が語られる。
また、同所および次項59には、カエサルの実務能力と政治理念が詳しく語られている。たとえば、コリント地峡の運河開削、ティベル河の流路変更、泥湿地の農耕地への開拓、オスティア港の浚渫、(以上58)太陽暦の導入(59)などである。また、カエサルの王位願望については、同60・61。
カエサルの人柄の一端は、同4、
スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』45にはカエサルのおしゃれぶりが語られる。
ぜいたくさについては同46。宝石・彫刻・彫像・絵画収集については同47。
また文学者としてのカエサルの姿については、同56の『ガリア戦記』『内乱記』に対するキケロの言葉が紹介されている。
また、『ガリア戦記』第8巻の著者ヒルティウスは、
と述べている。同所にはこのほかにカエサルの文学作品についての列挙がある。
カエサルの金銭感覚については、同54。それによると、カエサルの金についての考え方はかなり悪どかったようである。
その他にスウェトニウス『神に祀られたユーリウス』52に、カエサルは美食家ではあったが葡萄酒は口にしなかったという興味深い記述がある。
と皮肉られている。その他にも、この項にはカエサルのホモ=セクシュアリティに関する皮肉満載。
Dunan "The Love Life of Julius Caesar" London, 1930年 p.22 など。
このようなカエサルの性格形成には、彼の遺伝的・病理学的な性格分析が必要とも思われる。その点は、スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』45、
このように、カエサルには癲癇の気があったし、アウグストゥス以降のカエサルの血をひくユリウス=クラウディウス朝の諸皇帝の乱行ぶりをみれば、ユリウス家の遺伝子の中に、精神異常の要素を感じ取ることができる。また、カエサルが癲癇であったことはA=エッセル博士が証明しているという。(ランボー『シーザー』 p.35-36)
政治的活動に惜し気もなく金を使う姿が、プルタルコス『カエサル』4。友を大切にする姿は、スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』72、宴会のホストへの気配りが同52に語られている。
カエサルがブルートゥスを熱愛し、後継者への指名を考えていたともとらえられるのは、プルタルコス『カエサル』62、及び岩波文庫版プルターク『ブルートゥス』6・7・8・17。
"Social Conflicts in the Roman Republic" p.114 は、カエサルの成功に対するポンペイウスの存在の意義を強調している。
カエサルはポンペイウスの友好を得る以前に、既にクラッススの援助によって政界に進出し、クラッススとポンペイウスの仲介役という形で権力を獲得する。ここでは詳しく触れないが、カエサルの台頭に関するクラッススの役割は忘れてはならない。
"Social Conflicts in the Roman Republic" p.122〜
「彼は勝利を利用する術を知らぬ。」(スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』』35・36等)
カエサルはポンペイウスの死後、彼の立像を立てたが、キケロはこれを人気取りのためのまったくの政治的打算であると言っている。(プルタルコス『カエサル』57、同『キケロ』40)
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