「GAIUS JULIUS CAESAR」

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「ガイウス=ユリウス=カエサル」 第3章


第3章 人間カエサル

この論文では、第1章・第2章と「公人」としてのカエサルにスポット当てて、彼の人間像を探ってきた。本章ではそれに対してカエサルの「私生活」を問題とし、真の意味での「人間カエサル」について考えることを目的とする。

     (1)性格

 「人間カエサル」のかなりの部分については、前章までの「軍人」「政治家」としての行動から推測が可能である。そこから分かることは、カエサルは大胆かつ冷静沈着で、寛容でありながら厳格さを忘れず、その気前よさにより多くの人々を引きつけたということである。このように、一見相反するように見える性格が、見事な調和を保って一人の人間の中に存在した−それがカエサルの性格の特徴ということができるだろう。ここではその性格を、軍事や政治とは離れた角度から再検討してみたい。(注1)

 まず「豪胆」さであるが、カエサルは戦場において豪胆であったのと同様に、生活全般においてもその豪胆さを遺憾なく発揮している。(注2)とにかく、危険をかえりみず革新をはばからない人であった。

 多くの例が示すように、(注3)カエサルの「寛容」さと「気前よさ」は大変なものであったが、締めるところはきっちり締めるリアリストでもあった。(注4)

 しかし、豪胆で鳴らしたカエサルも晩年になると非常に弱気な一面を見せているのは、人間臭くて興味深い。(注5)

 さて、カエサルはまた見事な実務家であった。巡回裁判などの政務をてきぱきと片付ける能力は当然としても、(『ガリア戦記』7−46)「名」の凱旋式の代わりにコンスル立候補という「実」をとったり、(プルタルコス『カエサル』13、スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』18)機能的な暦法の導入(プルタルコス『カエサル』59)や、実務的で簡易な法典の編纂の計画(スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』59、その他の実務的性格については、同42)など革新的政策の遂行にも積極的であった。

 また、予言などは古代人の常として信頼することはあったが、(スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』61、及び 5)一般に迷信にはとらわれることなく、(注6)凶兆でさえも吉兆にこじつけるような現実性を持っていた。(スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』59)神殿略奪をも平気でやってのける神経はこのような性格から説明がつこう。(同54)また、気前が良い割には金銭面では強欲な一面も持ち、(同右、 7)概して感情の起伏は激しい方で、(注8)絶望することもあれば(スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』20、36)有頂天になることもあり、(同22、29)あれほど豪胆であった割には小心者の一面ものぞかせる。(注9)

 カエサルはまた非常な皮肉屋であったが、(注10)そのために敵を作ることは少なかった。

 その他にも、カエサルは名誉心が強く、負けず嫌いであったが、よく気のきく男で、力強い性格であった。また、おしゃれでぜいたくで、芸術と文学と金を愛した。(注11)


      (2)恋愛観

 最初に記録に現れるカエサルの愛人は、有名なことであるが女性ではなかった。M=テルムスの副官として艦隊徴募のためにビテュニアへ派遣されたとき、(前81年 第1章3照)彼はニコメデス王の宮廷に入りびたりになり、同性愛関係におちいったとの噂が立った。(スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』2)この噂はどんどん広まり、

「ビーテューニアーには何もかも揃っていてカエサルの男娼さえいた」とか、

「王妃のライバル、王の閨房のお相手」

と皮肉られ、戦場ではあれほどの忠義を尽くしたカエサルの兵士たちも、こともあろうに凱旋式の最中に、

「ガリアの征服者はカエサル

 そのカエサルの征服者はニーコーメーデース

 こはいかに、カエサルには凱旋式があってもニーコーメーデースには凱旋式が無いのだ。」(同49)

と、歌ったという。(注12)ニコメデス王は前74年、その死に際して王国をローマに遺贈しているが、この遺言とカエサルとの同性愛関係とのあいだの関係は分からない。ホモ=セクシュアリティは古代社会では決して珍しいことではなかったが、このニコメデス・スキャンダルはカエサルに一生の汚点としてついてまわった。

 カエサルは、その生涯に4回結婚しているが、(注13)もっとも愛したのは二度目の妻コルネリアであったといわれる。彼女は民衆派の領袖キンナの娘であったため、政権を握った閥族派のリーダー、スッラによって離婚を強要された。しかし、カエサルは生命の危険をもって脅迫されながらも、この命令を頑として受け付けなかった。研究者の中には、これをカエサルのコルネリアに対する真の愛情から出た行動であると説明するものが多いが、(注14)前章でも述べたように、あれほど政治的策略に富んだ男が、愛情だけで、政治生命のみならず実際の生命さえも危険にさらすということはありえないように思われる。当時のローマ上流社会の状況では、結婚は多く政略結婚であり、そこに個人的感情の立ち入るすきは余りなかった。その上カエサルは、個人的感情のために目的の追及を差し控えるような男ではない。その証拠に、民衆派のボス、伯父のマリウスから、神官職就任の条件として平民出身のコスティアとの結婚(婚約)破棄を求められると、それには素直に従っており、(スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』 1)ボナ=ディア祭事件(前章3照)でのクローディウス処分に関しては、彼を味方につけるため、姦通の事実を確認せぬままに妻ポンペイアを離婚している。(プルタルコス『カエサル』9・10)やはりこの離婚拒否は、カエサルの「民衆派」としての宣言であったと考えるのが妥当であろう。

 しかし、結婚以外のカエサルの女性関係はバラエティに富んでいる。彼は多くの人妻と関係を持ち、ポンペイウスの妻とさえも関係したといわれる。(注15)しかし、彼が最も愛した女性は、彼の暗殺者ブルートゥスの母セルウィリアであったという。カエサルは彼女に莫大なプレゼントを贈り、彼女の方もカエサルに夢中で、元老院議場にまでラブレターを送ってきたこともあった。(スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』50、岩波文庫版プルターク『ブルートゥス』5)そして、カエサルが彼女の息子ブルートゥスに与えた好意は有名で、一説には、ブルートゥスはカエサルの実の息子であったとも言われている。

 カエサルの情事はローマにのみとどまらず、世界中に及んだ。ガリア戦争中にも浮名を流したとみえて、凱旋式では兵士から、

「ローマの市民よ、妻を守れ、これが禿頭の間男の名人だ。貴様はローマで借りた金をガリアで浮気女に使い果たしたのだ。」(スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』51)

と皮肉られている。その他にも各国の王妃たちとの関係も数多い。(注16)

 しかし、何よりも我々の目を引くのは、プトレマイオス朝エジプト最後の女王クレオパトラとの恋愛である。

 前48年ポンペイウスを追ってエジプトへ入ったカエサルは、プトレマイオス王家の内紛に巻き込ま れ、クレオパトラとの劇的な出会いを迎えることとなった。(プルタルコス『カエサル』49)そして、カエサルは次第にクレオパトラの魅力に引かれてゆくのだが、彼は一般に考えられているように、ただクレオパトラの美貌に夢中になったのではなく、その知性と教養、王者としての立居振舞のとりこになったというのが真相のようである。(注17)したがって、この2人の関係は非常に「理性的」な恋であったということができよう。カエサルはクレオパトラとともに、しばしば夜が明けるまで饗宴を催し、彼女の御座船でナイル河をエチオピア近くまでさかのぼったと伝えられる(スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』52)が、これらの行動もただクレオパトラに対する愛情からのものだけではなく、毎夜の宴会は宦官ポテイノスの陰謀から身を護るための手段であったといわれるし、(プルタルコス『カエサル』48)ナイル旅行は、クレオパトラがエジプトの富を誇り、自国の存続のために強大なローマの力を利用したいと思う意図と、いつの日かエジプトのローマへの併合を考えていた(スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』35)カエサルの、エジプト視察の要望とが、うまくかみ合った結果の行動であったとも考えられる。いずれにせよ、カエサルは恋のために自らの野望を棄てるような甘い男であったとは思われない。クレオパトラの産んだ男子カエサリオンは、ほぼ間違いなくカエサルの種であったと考えられるが、カエサルはローマの政情の混乱を避けるためか、その子を後継者に指定しなかった。(のちにクレオパトラに夢中になるアントニウスとの違いの何と大きいことか。)

 このようにカエサルは恋愛においても、やはり大胆かつ冷静であった。カエサルの実際的な性格については別のところで述べたが、彼は恋愛という最も心揺さぶられる事件に際しても、決して自己を見失うことのない理性人であった。(注18)


     (3)対人関係

 カエサルは愛想がよく、友情に厚く、相手の気持になって考えることのできる男であった。(注19)そのため彼は民衆に大変な人気をもって迎えられ、政界でも多くの支持者を得たのであった。カエサルを取り巻くそれぞれの人物たちに対して、カエサルがどのような態度で接していたかをかいま見てみるのは、すこぶる興味深いことである。しかし、とてもすべての人間関係を振り返るわけにはいかない。そこで、ここではカエサルの対人関係を探る上で重要な2人の人物、ブルートゥスとポンペイウスとの関係について考察することによって、カエサルの人間性の一端を探ってみたい。

   I ブルートゥス

 マルクス=ユニウス=ブルートゥスは、カエサルにとって特別な人間だったようである。前述したように、ブルートゥスの母セルウィリアはかつて熱烈なカエサルの愛人であり、暗殺の現場にブルートゥスの姿を見たときの言葉、

「我が子よ、お前もか。」(スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』82)

から推測されるように、ブルートゥスは実際にカエサルの息子であったか、あるいは少なくともカエサルはそう信じていたとのふしがうかがわれる。それはともかくとして、カエサルはブルートゥスを偏愛し、大変尊重していたという。(注20)死に臨んで、ブルートゥスの姿を見て抵抗を諦めたという姿(岩波文庫版プルターク『ブルートゥス』17)は、カエサルのブルートゥスに対する深い愛情を感じさせる。ブルートゥスに関する逸話を通じて我々は、カエサルがいかにこまやかな愛情をもって人に接したかという実例を見ることができる。カエサルは政治的打算にたけた男であったが、ここには打算抜きの深い愛情が感じられるのである。


     II ポンペイウス

 ブルートゥスはあくまでもカエサルよりは年少の人物であり、カエサルが彼に示した深い愛情も十分理解できる。では、ポンペイウスに対してはどうであったろうか。

 ポンペイウスはカエサルより年長であり、カエサルがこれから政界でのし上がろうとしていたとき、既にローマ政界の大立物であった。その後、ポンペイウスはカエサルの最大にして最強のライバルとなり、両者は死闘を繰り広げることとなる。一般の概説書などでは両者の敵対関係ばかりが強調される傾向があるが、果たして2人の関係はそれだけのものであったのだろうか。(注21)ここでは、この両者の関係について考え、2人の愛憎関係を探ってみたい。(注22)

 ポンペイウスはカエサルにとって確かに偉大なライバルであったが、若い頃のカエサルは民衆の人気を獲得し政界でのし上がるためには、十二分にポンペイウスを利用している。(プルタルコス『ポンペイウス』25)しかし、カエサルがポンペイウスに対抗できるだけの実力を蓄え、やがて2人の利害が対立するようになると、両者は必然的に内乱へと突入していった。いったん敵対関係になると、2人とも激しい宣伝合戦を行ない、相手を非難し、自己の立場の正当化を図っている。(『内乱記』1−4等)したがって、ブルートゥスに対してのときのように、カエサルがポンペイウスに対しても深い愛情を持っていたと主張するわけにはゆくまい。実際に戦争に関しては、カエサルはポンペイウスの軍事的才能を低く評価しており、(注23)決して全人格的に尊敬していたわけではない。しかし、次に挙げるいくつかの例からも分かるように、カエサルにとってポンペイウスは決して不倶戴天の敵というわけではなかった。

 カエサルは若い頃より、ポンペイウスの好意を得るため汲々としている。娘ユリアをポンペイウスのもとへ嫁がせたり、内乱開始までポンペイウスを自らの相続人に指定していたことなど、決して敵に対する態度ではない。(スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』19・21・83、岩波文庫版プルターク『ポンペーイウス』56)内乱が開始されても多少の変化こそあれ、この傾向はずっとつづいてゆく。内乱突入後も、つとめてポンペイウスの個人攻撃は避け、責任を彼の取り巻きの者たちに転嫁し、何度もポンペイウスに対する友情と支持を表明している。(『内乱記』1−7)このようなカエサルの態度に対して、ポンペイウスの方も表立っての攻撃は行なってはいない。(同1−8)両者とも、お互いに相手を尊敬しながら、なんとなく相手に仕掛けられて、やむなく戦っている−「内乱」は、このような印象を受ける奇妙な戦争であった。政治的宣伝の意図を含んでいるために、すべてをカエサルの心情の吐露としてとらえるわけにはいかないが、彼が『内乱記』を通して語っているのは、まさにこの奇妙な戦争の様子である。結局この内乱はファルサロスの戦を経て、カエサルの勝利に終る。もし、このときカエサルがポンペイウスを生きながらに捕虜にするようなことでもあれば、カエサルはいつもの例に漏れず、きっとポンペイウスに最大の名誉を与え礼を尽くした待遇を与えたであろうし、それ以前にカトーのように自害するようなことにでもなれば、きっと彼の命を救えなかったことを声高に嘆いたことであろう。しかし、ポンペイウスの幕切れは非常にあっけなく、また意外なものであったので、我々の目にはカエサルの反応もまた意外に映る。ポンペイウスが、ローマの内乱に巻き込まれることを嫌ったプトレマイオス王朝の官僚たちの陰謀によって暗殺され、その首をもった宦官テオドトスがカエサルのもとに現われると、カエサルはテオドトスには背中を向け、ポンペイウスの指輪を受け取って「涙を流した」という。(プルタルコス『カエサル』48、同『ポンペイウス』60)この「涙」は一体何であったのか。果たして本心から出た涙なのか。それともポーズに過ぎないのか。いろいろな思惑があろう。しかし、私はこれはカエサルの心からの涙であったと思う。なぜなら、どのような冷静な人物でも、人間は意外な事実に直面した場合、つい本心をあらわにしてしまうものであるからだ。ポンペイウスのあっけない死という意外な事実を知ったとき、カエサルの胸中を走ったものは一体何であったのか。ポンペイウスとの長く苦しい戦いのことであったかもしれないし、ポンペイウスに嫁がせた娘ユリアのことであったかもしれない。あるいはこの戦争で失った多くの部下や友人のことであったかもしれない。そこから先のことを考えるのは、おそらく小説家の仕事であろう。しかし、とにかくポンペイウスに対して、いくばくかの友情を感じていなかったならば、決して涙を流すようなことはなかったのではないか。カエサルとポンペイウスのこの「奇妙な友情」は一体何を示唆しているのであろうか。私はカエサルのこの敵をも愛する心優しさこそ、彼を成功に導いた原因のひとつであったと考えてやまない。カエサルは、そのほかにもポンペイウスの死後、彼に対して様々な栄誉を与えている。(注24)それは多くは政治的打算の産物ではあったろうが、まったくすべてがカエサルの意に反して行なわれた演技であったと考えることもできまい。

 カエサルにとって、ポンペイウスは決して単なる「敵」ではなかった。前44年3月15日、カエサルがその最後の瞬間に、元老院議場のポンペイウスの立像の前に倒れたという事実は、実に歴史の皮肉と言わなければならない。


    第3章 注

  1.  カエサルの性格についての全般的記述は、プルタルコス『カエサル』17。

  2.  プルタルコスは終始一貫してカエサルの豪胆さをたたえている。その中で戦争に関係ないものとしては、スッラ派が政権を握っていた時代、カピトリヌスの丘に禁じられていたマリウス像を建てた(プルタルコス『カエサル』6)ことが有名である。その他、若いとき、政権を握ったスッラから民衆派の領袖キンナの娘(コルネリア)との離婚を迫られながら、命を賭けてその命令を拒否した話(プルタルコス『カエサル』1、スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』1)や、海賊に捕らえられたときの不遜な態度、(プルタルコス『カエサル』2、スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』4)マリウス未亡人ユリアが死ぬと、やはり禁じられていたマリウス像を葬列に持ち出し、(プルタルコス『カエサル』6)習慣に逆らって、若くして亡くなった妻コルネリアの追悼演説を行なったり、(同5)その例には事欠かない。その他に戦争に関する豪胆さに関する記述は非常に数多い。(同26など)

  3.  面白い記述がスウェトニウス『神に祀られたユーリウス』27にある。

    • 「利子なしであるいは低利子で金を貸して、元老院の大部分ばかりか、ポンペーイウスの友人全部を恩にきせると、他のあらゆる階級のものには、こちらから貰ってくれと頼んだものにも、向こうから申し込んだものにも、さらには主人に特別気に入られている奴隷や解放奴隷まで含めて、吝しまず夥しい贈物をした。かくてカエサルは罪を犯しているもの、借財を負うているもの、金遣いの荒い青年達にとって唯一の、しかもいつも進んで手を差し延べてくれる救いの神となった。」

     プルタルコス『カエサル』には、

    • 「内乱が彼の力でおさまってから後は、カエサルは一点非の打ちどころない態度をとっていた。とにかく、その寛大さに対する感謝のしるしとして「仁慈の女神」(クレメンティア)の神殿を建てる決議がなされたのも、見当はずれとは思われない。現に、カエサルは自分に対して戦った人たちを多く赦し、その上、一部の人、ブルートゥスやカッシウスのような人物には、更に官職や名誉まで与えてやった。たとえば、この2人は法務官(プラエトル)になっていたのである。(前44年)。また、カエサルは、ポンペイウスの像が倒れていたのをそのまま見過ごさず、それを立て直したので、キケロはこれを見て、カエサルはポンペイウスの立像を立てることによって自分自身をしっかりと確立したのだ、といっている。なお、側近の人たちが彼に護衛をつけるように勧め、多くの人たちが進んでその任に当ろうと申しでたが、カエサルはそれを許さず、絶えず死を待ち受けているよりも一思いに殺されたほうがましだ、と答えた。そうして、人々の好意にその身が包まれることこそ、もっとも立派でしかももっとも確実な護衛だと考えて、彼は再び饗宴や穀物の給付によって民衆の心を掌握し、植民によって兵士の心をとらえようとした。植民のうちで最も目立ったのは、カルタゴとコリントへの植民であったが、この2つの町は、たまたま両者相共に、以前陥落したのが同じ年であった(前146年)ように、今度の再興も同じ年に行なわれるようになったのである。(57)

       一方、貴族のうちのあるものには将来の執政官(コンスル)職とか法務官(プラエトル)職を約束し、あるものはその他なんらかのさまざまの権限や栄誉をもって懐柔した。このようにすべての人たちに希望を抱かせて、人々が心から彼の支配を受けいれてくれるようにしようと努力したのである。それで、たとえば執政官のマクシムスが死んだときなどは(前45年12月31日)、その職があと1日しか残っていなかったのに、カニニウス・レビリウスを1日だけの執政官に任命した。そこで、いつものように多くの人たちが敬意を表したり、祝いの行列に加わろうと彼のもとにむかいつつあったところ、キケロは『急いでゆこうではないか。そうしないと、われわれが着くまえに、あの人の執政官の任期が切れてしまうぞ』と言ったというのである。…後略(58)」

  4.  自らが提出した議案を通すために、同僚執政官ビブルスを力ずくでフォルムから追い出した。(スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』20)

     家政には常に厳格をもって臨み、不行跡のあった使用人にはきわめて厳しい処分を下している。(同48)

     また、裁判官や風紀監督官としても非常に厳格であった。(同43)

  5.  スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』81では、不吉な予言に恐れおののくカエサルの姿が見える。

  6.  カエサルはエピクロス派の信徒であり、大神官でありながら元老院で来世の存在を否定した。(前63年)(ミッシェル=ランボー「シーザー」p.32)

  7.  取り引きには誓約や契約書を取り、(スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』23)剣闘士の訓練を人まかせにせず、自ら個人的に行なうなど(同26)なかなか細かいところもあった。

  8.  プルタルコス『キケロ』39では、カエサルはキケロの演説を聞くと、

    • 「いよいよキケロが話し始めると不思議な程カエサルの心を動かした。そしてさまざまの感情の起伏に富み驚く程の魅力に溢れた演説が進むにつれて、カエサルの顔色はいろいろに変わるので、それは次から次へと移り行くその胸の中をよそ眼にも感じさせた。遂に話し手がファルサロスの戦に触れてくると、カエサルは興奮の余り身体をふるわせて手から数枚の書類を落した。」

  9.  プルタルコス『カエサル』32、スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』31・32によると、前49年1月11日運命のルビコン河途河にあたって、カエサルは非常に思い悩み幻覚に悩まされたという。このような激しい感情の変化は彼の癲癇病質によるものかもしれない。(注18)参照。

  10.  反乱を起こした兵士たちに、通例通り「兵士諸君」と呼び掛けるかわりに、皮肉を込めて「市民諸君」と呼び掛け、兵籍剥奪をほのめかす、プルタルコス『カエサル』51。ポンペイウスの残党を追ってアフリカに渡ったとき、アフリカではスキピオ家の者しか勝利を得ることができないという言い伝えを聞くと「ほかのことでは軽蔑され無視されていたがアフリカヌス家の出の人物」スキピオ=サルウィトという人物を全軍の疑似司令官とした、同52。その後政敵カトーがウティカで自殺を遂げると、「おおカトーよ。君が死んだのは惜しい。だって君は、私によって自分の命が助けられるのを惜しんだのだから。」といった、同54。など。

     しかし、弁論の天才キケロが、その皮肉によって相手を傷つけ反感をかっていたのに対し、カエサルの皮肉は決して相手を傷つけるものではなく、それによって敵を作ることも少なかった。(プルタルコス『キケロ』7など)

     しかし、ときにはそれが昂じて陰険になることもあった。たとえば、カエサルはその著書『アンティ=カトー』の中で、カトーを嫌らしいまでに口汚く誹謗・中傷している。(プルタルコス『カトー』11、36、51、52、54)

  11.  『内乱記』1−32では、「名誉」についてのカエサルのコメントを聞くことができる。彼は、「自分はこれまで常軌を逸した法外な名誉を求めたことはない。」と言い、また、元老院議員たちに対して、「もし、あなた方が恐怖心から尻込みするなら、私はあなた方に迷惑をかけるつもりは毛頭ない。私一人で国家の政治にあたろう」「かつて私は功績において人を凌駕せんと汲々とした如く、今や、正義と公平とにおいて、何人にもひけをとりたくないと願っている。」と語っている。

     スペインでアレクサンドロスと自らを比べて、自分のふがいなさを嘆いた有名な逸話は、スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』7、プルタルコス『カエサル』11。また、プルタルコス同所には前61年春、属州ヒスパニアへ向かう途中、アルプスの寒村で、側近の者たちが冗談に「一体、こんなようなところでも、官職をめぐっての名誉欲とか、第一人者たろうとする競争とか、有力者相互間の嫉視といったようなものがあるのだろうか?」と言うと、カエサルは真顔になって「自分はといえば、ローマ人の間で第2位を占めるよりはむしろここの人たちの間での第一人者となりたい」と答えたという。

     自分の功績を民衆に誇る様子はプルタルコス『カエサル』55。

     また、同58にはカエサルの功名心について、

    • 「だが、カエサルは数多くの成功を収めても、自分が生来もっている事業欲や名誉心を転じて、粒々辛苦の末成しとげた仕事の成果を享受する方向にはむけなかった。むしろ、それらが将来の仕事に対する点火材や自信となって、現在持っているものは使いきってしまったかのように、一層大きな事業の計画や新たな名声に対する欲求などを生ぜしめることになった。そして、彼の気持はといえば、自分自身を他人のように見なして、その自分と競いこれを凌ごうとしていたというより他なく、それは、すでに果たした仕事に対して将来の仕事をぶっつけて、それを凌駕しようとする功名心でもあったのである。」

     そして、続けて彼の「世界征服」の野望が語られる。

      「そこで、遠征を準備し計画することになったのである。それは、まずパルティアをめざし、これを平定してからヒュルカニアを抜けて、カスピ海およびカウカソスに沿って黒海沿岸をまわった後、スキュタイ人の地に侵入し、更に、ゲルマン人に隣接する地方や、またゲルマニアそのものを席巻してから、ガリアを通ってイタリアに戻るというものであった。このような遠征事業でカエサルは自分の支配領域を一つの環のようにし、その周りをぐるりと大洋がとりかこむようにしようと図ったのである。」

     また、同所および次項59には、カエサルの実務能力と政治理念が詳しく語られている。たとえば、コリント地峡の運河開削、ティベル河の流路変更、泥湿地の農耕地への開拓、オスティア港の浚渫、(以上58)太陽暦の導入(59)などである。また、カエサルの王位願望については、同60・61。

     カエサルの人柄の一端は、同4、

    • 「他方、年に似合わず懇切な人柄であったので、挨拶や歓談のときの和気あいあいたる態度によっても、民衆から非常な好感をもって迎えられた。」

     スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』45にはカエサルのおしゃれぶりが語られる。

    • 「少し風采を気にしすぎるほうで、いつも頭髪をきちんと刈り込み、顔はよく当たっていたばかりでなく、余分の毛を引き抜かせたりして一部の者から悪口をいわれていた。彼の禿頭はしばしば彼を中傷するものの嘲笑の的となり、大いに彼を悩ました。そのため乏しい髪の毛を頭のてっぺんから櫛で前方に撫でおろしていた。そして元老院や民会の決議で彼に与えられたあらゆる名誉の中で、あらゆる場合に月桂冠をかぶる特権ほど喜んで受け、喜んで利用したものはなかった。服装も変っていたといわれている。手頸まで届く房飾りをした袖附きの元老院議員の制服を着用し、その上に帯をいつもだらりと締めていた。」

     ぜいたくさについては同46。宝石・彫刻・彫像・絵画収集については同47。

     また文学者としてのカエサルの姿については、同56の『ガリア戦記』『内乱記』に対するキケロの言葉が紹介されている。

    • 「彼は最大級の賞賛に値する回想録を書いている。一語も余分の言葉を含まず、率直でしかも優雅、怡も衣服を脱がされたように一切の修辞的装飾が剥ぎ取られている。しかし彼の目的は歴史を書こうとする者が利用できるような材料を提供することであったが、偶然にも、彼の物語に紫の衣裳を纏わして得意になる馬鹿者たちを喜ばす結果になった。」

     また、『ガリア戦記』第8巻の著者ヒルティウスは、

    • 「本書はあらゆる人からあまりに高い評価を受けているため余人が増補訂正の筆を執る余地が無くなったようである。しかしそれにしてもわれわれほどこの名著を賞賛している者はない。なるほど他の者はカエサルがいかに上手な、いかに非の打ちどころのない文章を書いたかを知っているが、我々は彼がいかに楽々と、いかに手早くこの本を書きあげたかを知っているから。」

     と述べている。同所にはこのほかにカエサルの文学作品についての列挙がある。

     カエサルの金銭感覚については、同54。それによると、カエサルの金についての考え方はかなり悪どかったようである。

     その他にスウェトニウス『神に祀られたユーリウス』52に、カエサルは美食家ではあったが葡萄酒は口にしなかったという興味深い記述がある。

  12.  カエサルが元老院でニコメデス王の弁護演説を行なったときには、キケロに、
    • 「止めてくれ、その話は。王が君に何を与えたか、またその返礼に君が何を王に与えたかは我々唯一人知らぬ者はないのだ。」(スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』49)

    と皮肉られている。その他にも、この項にはカエサルのホモ=セクシュアリティに関する皮肉満載。

  13.  最初の妻コスティアとは正式に結婚しておらず、婚約していただけであったと考えれば3回。

  14. Ferreno "The Life of Caesar" London, 1933年 p.46

    Dunan "The Love Life of Julius Caesar" London, 1930年 p.22 など。

  15.  その他のカエサルの愛人は、セルウィウス=スルピキウスの妻ポステュミア、アウルス=ガビニウスの妻ロトリア、クラッススの妻テルトッラなどの名が伝えられている。(スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』50)

  16.  マウレタニア(北アフリカ)の女王エウノエに贈った贈物は有名である。(スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』52)

  17.  浅香正著『クレオパトラとその時代−ローマ共和政の崩壊』創元社 1974年 p.79-84

     このようなカエサルの性格形成には、彼の遺伝的・病理学的な性格分析が必要とも思われる。その点は、スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』45、

    • 「伝えられるところによると、カエサルは背が高く、皮膚は白く、手足の形がよく整い、口はやや大きく、眼は黒く鋭く、死ぬ少しまえ頃、ときどき突然失神状態に陥ったり、悪夢に悩まされた以外には健康であった。遠征中2回癲癇の発作に襲われたことがある。」

     このように、カエサルには癲癇の気があったし、アウグストゥス以降のカエサルの血をひくユリウス=クラウディウス朝の諸皇帝の乱行ぶりをみれば、ユリウス家の遺伝子の中に、精神異常の要素を感じ取ることができる。また、カエサルが癲癇であったことはA=エッセル博士が証明しているという。(ランボー『シーザー』 p.35-36)

     政治的活動に惜し気もなく金を使う姿が、プルタルコス『カエサル』4。友を大切にする姿は、スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』72、宴会のホストへの気配りが同52に語られている。

     カエサルがブルートゥスを熱愛し、後継者への指名を考えていたともとらえられるのは、プルタルコス『カエサル』62、及び岩波文庫版プルターク『ブルートゥス』6・7・8・17。

      "Social Conflicts in the Roman Republic" p.114 は、カエサルの成功に対するポンペイウスの存在の意義を強調している。

    • 「ポンペイウスの友情がなかったら、カエサルはガリアを征服する機会を持たなかっただろうし、のちに敵対関係に陥ることがなかったら、カエサルには国家の首長となるための口実も見つからなかった。」

     カエサルはポンペイウスの友好を得る以前に、既にクラッススの援助によって政界に進出し、クラッススとポンペイウスの仲介役という形で権力を獲得する。ここでは詳しく触れないが、カエサルの台頭に関するクラッススの役割は忘れてはならない。

     "Social Conflicts in the Roman Republic" p.122〜

     「彼は勝利を利用する術を知らぬ。」(スウェトニウス『神に祀られたユーリウス』』35・36等)

     カエサルはポンペイウスの死後、彼の立像を立てたが、キケロはこれを人気取りのためのまったくの政治的打算であると言っている。(プルタルコス『カエサル』57、同『キケロ』40)


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