| 「GAIUS JULIUS CAESAR」 |
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「ガイウス=ユリウス=カエサル」 序章
はじめに
ガイウス=ユリウス=カエサル−ジュリアス=シーザーと言ったほうが馴染み深いかもしれないが−は、ある意味では日本人にも大変ポピュラーな名前である。
カエサルは紀元前100年、ローマの貴族の家に生まれた。しかし、彼の生年には異説があって、紀元前102年とも101年とも言われる。ともかく、イエスが登場する約100年前、彼はこの世に生を受けた。生まれたのは、その名のとおり「帝王切開」(Caesarian operation)によったという。彼の正式なフルネームは、ガイウス=ユリウス=カエサルといって、CAIUS
IULIUS CAESAR と綴る。この綴りからはカイウス=イウリウス=カエサルとしか読めないが、カエサルの生きた時代のラテン語にはまだGやJという文字がなく、音としてはG=C、I=Jであったと考えればよい。また、ジュリアス=シーザーというのはJULIUS
CAESARの英語読みである。生まれた日は7月13日であったというが、のちに彼は神として祀られ、彼の生まれた月がユリウス(Julius)の月、すなわちJulyと呼ばれることとなった。(なお、これは蛇足であるが、8月=Augustというのは、カエサルの養子で、のちに初代ローマ皇帝となるアウグストゥス(AUGUSTUS)の生まれた月である。)また一般にローマ人は3つの名前を持つが、この3つは、個人名・氏族名・姓である。つまり、ガイウス=ユリウス=カエサルとは、ウェヌス(ヴィーナス)神の末裔であるユリウス一族の、カエサル家の、ガイウスさんということになる。
彼の生きた紀元前1世紀は、ローマ史上「内乱の一世紀」といわれる戦乱の時代であった。紀元前6世紀頃(伝説では、紀元前753年)建設されたローマは、最初王政であったが、紀元前6世紀の末、異民族のエトルリア系の王を追放して共和国となった。しかし、その実権は一部の貴族に握られており、平民たちは何ら権利を持たなかった。これから数百年間およぶ平民の権利闘争の歴史は、それだけで1冊の本になってしまうのでここでは省略するが、紀元前1世紀、一部の有力者たちはクリエンテーラというピラミッド型の親分子分関係を形づくり、私兵を擁して、お互いに対立抗争する状態にあった。あたかも現代日本の暴力団の抗争を思わせる時代である。打ち続く内乱に加えて、有名なスパルタクスの率いる奴隷反乱や、ゲルマン民族のキンブリ・テウトニ族の侵入などが相次ぎ、ローマは全く麻のように乱れていた。カエサルがローマの政界に登場したのは、まさにこの戦国の世であった。
さて、そのカエサルには、
「さいは投げられた。」
「ブルータス、お前もか。」
などの、誰もが一度や二度は耳にしたことがある名言や、シェイクスピアの名作『ジュリアス=シーザー』などによって余りにも有名な人物である。また、映画やドラマにもよく登場する。もちろん、高等学校の世界史の教科書には太字で載っている。大変な有名人。しかし、一体どんな人・・・?と問われると、誰もが戸惑ってしまうのもまた事実であろう。
カエサルについて書かれた書物は、日本にもいくつか存在する。しかし、その多くは余りに学術的で、一般の読者には理解し難かったり、あるいは、余りにも文学的であり過ぎたり、あるいは、逆に概説の域を出ていなかったりする。これでは、「外国人」であるカエサルの真の姿を一般の日本人が理解するのは困難なことであると言わざるをえない。そこで、私がここで描こうとするカエサルは、社会・経済上の細かい専門用語に埋もれた「歴史上の人物」でもなければ、脚色された文学上のヒーロー「ジュリアス=シーザー」でもない。我々は「あの人、どんな人?」と聞かれたとき、突然
「彼のよって立つ社会的基盤は・・・。」とか、
「彼は毎朝6時に起き、6時半に朝食を済ませ・・・。」
などという話を始めることはまずないであろう。おそらく、そういった人物について我々が普段口にするのは、
「いや、あいつはいい奴だよ。」とか、
「ぼくは、あの男はあんまり好きじゃないな・・・。」
といった種類の言葉であろう。歴史上非常にジャーナリスティックな俎上にのぼり易い人物、例えば、アドルフ=ヒトラーなどはしばしばそういった描き方をされているように思える。しかし、悲しいことに、日本ではカエサルについてそういった記述にお目にかかったことはない。私が、「人間カエサル」を描こうというのは、そういった意味で、彼をごく身近な人間として扱ってみたいということなのである。いわば、「歴史」と「伝記」の中間を狙ったものということもできるかもしれない。したがって、参考文献の中心となるのは、カエサル自身が著した『ガリア戦記』と『内乱記』の両書、それに、彼の姿を最も人間的に伝えているという意味あいにおいて、プルタルコスとスウェトニウスという2人の古代伝記作家のカエサル伝であり、細かい歴史的事項、煩雑な社会・経済上の事件、あるいは研究書などへの言及は、極力注に回すことにした。
本論文の構成は、カエサルというひとりの人物を、「軍人」「政治家」「人間」という3つの視点から眺めるという立場をとっている。その際、先ほど述べたように、戦争の細かい経過とか政治的事件等について記述すれば、結局概説書の受け売りになり、「人間カエサル」を描く助けにならないと思われるので、ごく重要なものを除いては省略することにした。
本論文は、もともと1983年、早稲田大学第一文学部西洋史学専攻の卒業論文として提出されたものである。この場を借りて、当時暖かくご指導いただいた早稲田大学教授(当時講師)の小林雅夫先生に心からお礼を申し上げたい。
なお、時が過ぎ、日本も世界も私自身も大きく変わった。この論文も、現在の視点からみてかなり書き換えることとなったのは言うまでもない。
本論文を記述するに当たって、参考とした基本的な文献を列挙しておく。
まず、概説書としては、高校時代よりの愛読書であった、
の両書がある。直接的にに引用している箇所はないが、ローマ史を全般的に理解するうえで、大変参考になった。
また、カエサルに関係するものでは、
が、大いに参考になった。また、
は潜在意識の中で、常に問題意識を刺激してくれた。
カエサルの著書中、『ガリア戦記』については、1983年には
を利用したが、書き換えに際して、より現代的な訳である、
によった。
また、『内乱記』については当初より、
を利用した。
プルタルコスの記述に関しては、当初は、
を利用したが、書き換えに当たっては、原則的に、やはりより現代的な訳である、
によった。
スウェトニウスに関しては、
を利用した。 |