中国雲南省
                元陽棚田と花腰タイ族撮影紀行

元陽棚田写真集 少数民族写真集    雲南旅行リンク集  
雲南旅行 中国雲南省の旅行に関する情報と
写真が満載。
明日への伝承 雲南の旅行記と写真。波多野清さん
オリザ館 雲南棚田に詳しい写真家青柳健二さん
大地の彫刻 中国現地ガイドで写真家の呉亜民さん
今回の旅行のガイドをしていただいた。


 憧れの雲南へ!

 私は2002年5月から日本棚田百選に認定された棚田の撮影を続けています。
 134個所全ての棚田の撮影が完了したら、総仕上げの記念にいつかは中国雲南省の元陽棚田の撮影に行きたいとかねがね思っていました。所が棚田撮影を通じて知り合ったネットの友人から元陽棚田撮影ツアーに参加すると言うので調べてみると、私も良く知っている日本・アジアの棚田に精通する写真家の青柳健二先生が講師で同行されると言うので、私も予定を早めて今回ツアーに参加することにしました。講師の先生、添乗員を含めて北は秋田県から南は佐賀県まで全国から集まった13名の一行です。
 少数民族のハニ族、イ族自治州は昆明の南に位置し、ベトナム北部の国境と接しています。
 雲南省の山岳地帯には、雄大な棚田郡が果てしなく広がっています。特に元陽周辺の棚田は圧巻で、ハニ族・イ族が悠久の
年月を掛けて築き上げた千枚田ならず万枚田は見る人を感動させる少数民族の一大芸術です。現在世界遺産に申請中です。
 棚田の段数は5.000段にも及び一番下の田と一番上の田の標高差は1,000mもあると言うから驚きです。
 青柳先生と現地ガイドで写真愛好家の呉 亜民氏の案内でベストポイントで棚田の撮影をし、合間と旅の後半は旧正月を迎えた村を訪れ、色鮮やかな民族衣装を着た「花腰タイ族」の祭り「花街節」でスナップを楽しみました。

 撮影旅行の日程

日次  月 日   都市                撮 影 旅 行 の メ モ                                    
  1 2005年

2月 6日
関空
 ↓
上海
 ↓
昆明
日本各地から関西空港に集合し、出発ロビーにて初めてツアー参加者と面会した。
午後4時中国東方航空(日本航空との共同運航)で上海へ向けて出発した。
上海で入国手続きをして再び同じ飛行機に搭乗して昆明へ、昆明のホテルに着いたのは現地時間の
午後11時、夜中でも外の気温は14℃もある。
                                                [昆明:金龍飯店 泊]
  2     7日 昆明
 ↓
元陽
午前9時ホテルを出発し、元陽を目指してバスを走らせた。元陽まで約360キロ(内260キロが高速)
雲南省の面積は日本とほぼ同じだが、人口は3,500万人、雲南省には27の少数民族が居住しており
一番多いのは「イ族」で次に「ハニ族」。
元陽に到着して村のバザールでスナップ撮影。正月(中国は旧正月を祝う)用品を買い求める人たちで混雑していた。女性たちは皆美しい刺繍の民族衣装を着ている。
夕方最初の棚田撮影をした。勾配はなだらかで棚田の向こうに茅葺屋根の集落が見える。地名は
「チンコウ」(竹冠に青という字と口と書く)
ホテルに着いたが、まだ正月前なのに周辺で盛んに爆竹の音が鳴り響いている。
                                               [元陽:雲梯大酒店 泊]
  3    8日
元陽
午前5時のモーニングコールで5時半ホテルを出発し、約50分かかる朝の棚田撮影ポイント「多依樹
の棚田」へ向かった。6時過ぎに到着したがまだ真っ暗だ。懐中電灯の明かりを頼りに場所取りをして
夜が明けるのを待った。午前7時頃から少しずつ夜が明けて来て、棚田の水面が白く浮かび上がってきた。想像していた雄大な棚田が次第に姿を現してくると盛んにシャッターの音が聞こえる。
周りを見ると中国人のカメラマンが多く来ている。その多くが四駆のRV車で乗りつけ、高級カメラ「ハッセル」で撮っているのには驚いた。一部の金持ち層だろうか。
雲海が一部に出ているが天気は快晴で雲が無く、朝焼けにはならなかった。
随分山道を登ってきたような気がするので、ガイドに聞いたらこの辺りは標高2,000m位あると言う。
午前10時朝の棚田撮影を終えて、次にハニ族の集落で正月用品の買物をする人たちでごった返しているバザールの撮影をした。
一旦ホテルに帰って昼食、休憩をして午後は点在する棚田やハニ族の村をスナップしながら夕景の
棚田撮影ポイントへ向かった。
午後4時到着。ここは「猛品(モーヒン)の棚田」で元陽の中でも規模が非常に大きな棚田です。
高い山の中腹を走っている道路べりに展望台があり、眼下に畦模様が非常に美しい棚田が広がっている。講師の青柳先生が「吐き気がするほど美しい。」と表現されたのがこの棚田だ。実際に見て先生の言葉に納得した。中国人のカメラマンも多く来ている。兵士か警備員の様な服装の少年がいた。棚田のガイドを兼ねているみたいだったが我々が撮影を終えて帰る頃、少年はビニール袋を手に周辺のゴミを拾い集めていた。ガイドや環境保護を村から任されているのか、自から進んでやっているのか定かでない。
撮影しながら夕日の刻を待った。日が暮れるに従って正面の山の斜面に階段状になった田の
水面が鋸刃状に光り始めた。しかし、今日も快晴で夕焼にはならなかった。
                                               [元陽:雲梯大酒店 泊]
  4    9日 元陽 今日も午前5時に起きて、昨日の朝と同じ「多依樹の棚田」へ行った。
もう既に昨日より多いカメラマンが来ていた。残念ながら今朝も朝焼けは無かった。
ホテルに昼食を食べに帰る途中2箇所で棚田の撮影をした。
午後は村の撮影をしながら、昨日とは違う夕景の棚田撮影ポイント「バーダーの棚田」へ向かった。
ここも規模が大きくすごい棚田だ。これだけの棚田を作ったのもすごいが、これを維持管理するのも大変だと思う。水牛で代掻きをする以外は全て手作業で想像しただけで気が遠くなる。
光る棚田の撮影は出来たが快晴で夕焼は無かった。
                                               [元陽:雲梯大酒店 泊]
  5   10日 元陽
 ↓
新平
今朝は棚田の撮影は無い。午前8時30分ホテルを出発して次の目的地「新平」へ向かった。
途中、午前には「タイ族」の村で、午後は「イ族」の村でスナップ撮影した。
高い山をいくつも越え延々と車を走らせ新平のホテルに着いたのは夕方の6時半頃だった。
新平は大きな街で、元陽の村とは一変し綺麗な街で高い建物も多い。
                                                [新平:金源酒店 泊]
  6  11日 新平 朝8時にホテルを出発したが、今日の目的である「花腰タイ族」の祭り「花街節」が行われる村までは
70キロもあり車で2時間もかかった。元陽から山を大分下って来たようだ。気温も高く24℃位あったのではないだろうか少し暑い。祭りの会場では美しい民族衣装を着た女性たちの歌や踊りが行われていた。会場内には日本の祭りと同じように食べ物や民芸品を売る露店が並んでいる。
ここではお祭りということもあってか誰にカメラを向けてもお金を要求されることは無かった。
昼食は近くにレストラン等無く新平のホテルまで食べに変えると片道2時間もかかるので、祭り会場内の屋台で地元のタイ族料理を食べることになった。同じ中国料理でもホテルの料理とは全く異なり
私はなかなか箸が運ばなかった。
午後はもう一箇所別の村へ祭りを見に行った。同じタイ族でも村によって民族衣装が異なり、この村は祭りの規模も小さいし衣装も午前中行った村のような派手さはなかった。それにしても暑い。
                                                [新平:金源酒店 泊]
  7  12日 新平
 ↓
昆明
朝8時半にホテルを出発し、昨日祭り会場の帰りに寄った菜の花畑を再び撮影した。
畑を鍬で耕している夫婦がいたので、鍬を借りて耕してみた。土は乾燥していて非常に堅く鍬の柄が
折れそうだった。棚田の畦が草も生えてないのに崩れない理由が判った。
次にタイ族の村でスナップ撮影した。
住居の中も見せてもらった。家具らしきものは見当たらない。1階に炊事場があり薪を焚く釜や食器
程度。2階は居間兼寝室だろうか、布団や衣類があり椅子に腰掛けてテレビを見ていた。
殆ど家具らしきものが無い中でテレビを見ており少し異様に感じた。
家は壁も屋根も土で作られている。2階の床も屋根も丸太の木を並べてその上に土を20センチ位の
厚さで敷いているだけだ。屋根はフラットで低い方に雨水が流れるように僅かな溝があったが、乾期
はともかく雨期に土の屋根で大丈夫なのだろうかと余計な心配をした。
一旦新平に帰り昼食を食べて一路昆明を目指して車を走らせた。約3時間で昆明に到着した。
夕食までホテルでゆっくり休み、今回のツアーでの撮影は今日で終わった。
                                                [昆明:金龍飯店 泊]
  8  13日 昆明
 ↓
上海
 ↓
関空
今日は帰国の日。午前8時のフライトなので、朝早くホテルを出発した。空港はホテルから近い。
一旦上海に飛び、上海で出国手続きをして関空へ。
関空到着後解散となりそれぞれ帰途に着いた。