Honey Drops

「くぉ〜ら反町っ!」
 パコンッと何かで軽く頭を叩かれて、そこでやっと反町は我に返った。
「えっ?あっ、はいっ?」
「なーにをボケッとしてるんだ、ったく。今は授業中だぞ分かってるのかっ」
「す、すみませんっ」
「ったく。問4、前出て解け」
「あ、はい」
 そう答え反町は立ち上がった。
 やばいやばい。黒板へと向かいながら、胸中でそう呟く。今は授業中なんだから、他に気を取られている場合じゃないだろう、と。
 放課後は部活で潰れてしまう身としては、通常の授業が非常に大切な訳で。なのに、最近はまるで集中出来ていなかった。
 それもこれも、この胸のモヤモヤのせいだぞバカヤロウ。と、そう内心で毒づきながら、反町は黒板にチョークを滑らせるのだった。

「ったくー。何やってんだか反町は?」
「えー?」
「ダメだろー授業には集中しないと。………この間言ってたの、まだ引きずってんのかよ」
 授業が終わり食堂へと向かう中、松山にそう言われ。反町は困った様に頬を掻く。
「ん〜、よく解んないんだけどさ、自分でも」
「あのなあ?それじゃあ俺には対応の仕様がないんだけど」
「ごめん……」
「何がそんなに気になるんだ?」
「それが解ってれば苦労しない、俺も」
 その返事に、松山は困った様に苦笑した。
「いっその事さあ」
「ん?」
「本人に直接訊いてみれば?」
「───どうやって?」
「うーん……」
 唸る様にそう言った松山は、その後に、でもさ、と小さく呟く。
「このままじゃ、嫌だろう?」
「そりゃあ、さ。そうだけど。でも何をどうすればいいのかも判んなきゃ手の打ち様、ない」
 そう答える声に、戸惑いが含まれているのに、松山はそれ以上何も言えなくなる。
 他の誰でもなく、今一番どうすればいいのか判らなくて戸惑っているのは、反町本人なのだから。
 どうにか力になってやりたくても、その原因がよく把握できていない以上、自分にはどうしてやる事も出来る筈がない。それどころか、きっと事をややこしくするだけに違いない。
「とにかく、さあ」
「ん?」
「何かあれば、言えよ?愚痴くらいなら聞いてやれるんだしさ」
「──うん。サンキュー松山」
 そう答えて、反町は小さく微笑んだ。
 彼が随分と心配してくれているのは解っているので。
 どうにかして、早くすっきりさせよう。そう思う。
 これ以上、松山に心配をかけない為に。そして自分の為にも。


「お疲れ様でした〜っ」
 部活終了後、彼らはゾロゾロと部室へと引き上げて行く。
「あれ?若島津は?」
 松山のその声に、反町は振り返る。
 松山の問いかけに、少し後方を歩いていた日向が短く、さあ、と答えた。
「最近多いよなあ、何かさ」
「そうか?」
「そうだよ。気がつきゃいつも居ねえじゃん。団体行動取ってねえよ、あいつ。前はそんな事なかったのにさ。いっつも、てめえとつるんでウダウダ余計な事言ってさ?……お前、何かやったんじゃねえの?」
「何だそりゃ。ひでえ言い掛かりだな」
 日向がそう答えるのを片隅で聞きながら、反町はグラウンドへと目を向けた。だが、若島津の姿は見当たらなかった。
 確かに、最近あまり若島津と一緒に居る事が、ない。少し前までは、松山の言う様に、まるで四人一組が当たり前の様に、松山と日向、そしと自分と彼とで行動していたのに……。
 そう考えていると、また胸の奥がもやもやする感覚に襲われる。
「どうした反町?」
「へ?」
「へって、お前なあ……」
「あっ、ごめんなさい。ボケッとしてましたっ」
 慌ててそう答えると、日向は苦笑しながら隣に並ぶ。
「最近多いぞ、お前。どうした?」
「え〜?そうですかあ?」
「笑ってごまかすな……」
 日向はそう言って、ポンポンッと反町の頭を叩く。
「日向さん……?」
「ま、何かあったんなら相談しろよ。な?」
「……はい、すみません」
「───いや〜反町の反応ってすげえ素直だよなあ。どっかの誰かさんとは正反対で。っ痛ってっ」
「何か言ったかー?今。えぇ?」
「別に」
「別にじゃねえよっ。言いたい事があんなら、はっきりと言いやがれっ」
「痛っ、だから蹴るなってのっ!」
「………何やってんですか二人共。相も変わらずに」
「おっせーぞ若島津!団体行動乱すなっ」
 降って湧いたかの様な若島津の声に、日向はそう怒鳴り返す。
「八つ当たりしないで下さいよ……」
「だよなあ。大体自分だって団体行動乱してやがるくせに」
「んだと?」
「はいはいはい。喧嘩するのは構いませんけどね。くれぐれも俺達を巻き込まないで下さいね。なあ?反町」
「へ?あ、ああ、うん」
 急に話を振られた反町は、慌ててそう言いながら頷いた。
 それから、隣に並んだ若島津を見上げた。
「何?」
「え?あ、ううん、ごめん何でもない」
「反町?」
「いや……う〜んと。今までどこ行ってたんだ?」
「ああ、それか。片付け、手伝わされてた。運悪く今日当番の先輩に捕まって」
「マジ?珍しいな。若島津がそういうのに捕まるなんて。何かいっつも要領よく避けてるのに。捕まるのって俺とか松山がいっつもなのにさ?」
「ははは、そうだな」
「要領だけが取り柄だからな、てめえは」
「そういう事を言いますかね、普通」
「本当の事だろうが。ガキの頃から人一倍要領が良いくせに」
「それは誤解がありますよ。そりゃあ多少は要領が良いかもしれませんけど、それ以上に日向さんが要領悪いんですよ、それは」
「え〜っ?でも日向さんも何だかんだ言いながら要領良いと思うけどなあ」
「……反町、それお前の思い違い」
「え〜っ?」
「サッカーに関しては確かにそう言えなくもないけど、他の事に関してはさっぱり、だよ」
 クスクス笑いながらの若島津の言葉に、反町が思わず目を丸くしていた所に。ドカッと、かなり乱暴な音が、した。
「……け、蹴りますか?フツー……」
「うだうだ余計な事を言うからだ、てめえが」
「だからって何も蹴らなくても……」
「い……痛そう……」
 反町が眉を顰めながらそう言うのに、だろう?と若島津は短くいって苦笑した。
「あっ、と。悪いけど先に戻ってて下さい」
「何だ?」
「忘れモノ」
「忘れ物だあ?」
「ええ、ちょっと遅くなると思うんで、先に寮に戻ってて下さい。飯も先に行ってて下さいよ」
「そんなに遅くなんのかよ」
「多分ね」
「分かった。ホラ、行くぞ反町、松山」
「あ、はい」
「イチイチ命令すんなボケッ」
「だから蹴るなってーのっ」
「ああもう、また二人で……。反町、巻き込まれるなよ?」
「え?あ、うん。頑張る」
 反町のその答えに、若島津は軽く笑ってじゃあな、と言い残し。再びグラウンドの方へと走って行く。その後ろ姿を反町は黙って見送った。
 どうしてだろう。
 胸中で、そう呟いた。
 こうやって、今までと変わりなく会話を交わしているのに。なのにどうして違和感なんかが、あるんだろう。何がおかしいって言うんだろう。解らない。
「反町ー?何してるんだ置いてくぞー?」
「あ、ごめんっ」
 松山の呼び声に反町は我に返り、先を歩く二人の後を追った。
 イライラする。
 もう幾度となく繰り返してきた、呟き。それを、消し切れないままに──。


「ふう……」
 反町達から離れ、少し行った所で若島津は立ち止まり、そう溜め息を零す。振り向いて見ると、寮の方へと歩いて行く反町の後ろ姿が見えた。
「ったく……参ったな」
 そう呟きながら前髪を掻き上げ、後方の木に背を凭れかかる。
「何だって、こう……」
 気持ちが揺らぎやすいんだ。
 ずっと。自分は理性の人間だと、思っていた。周りにもそう言われ続けてきた。なのに、今のこの状況は一体何だ。
 理性だと?聞いて呆れる。
 いつ切れるとも分からない、糸。切れたら最後、何をしでかしてしまうか、自分ですら解らない。
「シャレにならないよな」
 何があっても。彼を傷つける事だけは、絶対にしたくはないのに。
 なのに、今の自分は少しの気の緩みで、一体何をしでかしてしまうか解らない状況だ、なんて。
 実際、今もそうだ。
 それを避ける為に、わざわざ一人居残って、ここでこうして無意味に時間を潰している。
「このままじゃ駄目なのは解ってるっていうのにな……」
 そう呟き、再び溜め息をつく。
 これ以上、今の様な状態を続けていれば、嫌でも彼は気付くだろう。そして、それはきっと彼を傷つける。
「矛盾だらけだな」
 自嘲気味な笑みを浮かべながら、そう吐き捨て。天を仰いだ。
 傷つけたくないが為の行動が、同時に傷つける行動になってしまう。
 傷つけたくないと思うのと同じ程に、手に入れたいと願う己の欲望。
「とにかく……さっさと解決策を見つけ出さないと、まずいよなあ」
 さて、どうしたもんだか。
 胸中のその呟きは、一体何度目のものなのか、それすらもう判らないけれど。
 足掻くしかないのだろう、この矛盾の中で。
 自分が、彼への想いを断ち切らない限りには……。