Graduation 2  


「あらお帰り。早かったのねえ」
 母親の言葉に、井沢は目を丸くした。
「早かったって?」
「みんなと遊んで帰ってくるかと思ってたのに」
「ああ、うん。その予定だったんだけど」
「けど?」
「予定外の事態に、計画変更になった」
「なあに、それ」
 きょとんとした表情の母親に、思わず苦笑する。
「予定外のゲストが増えて」
「ああ……若林君と翼君?」
「……何で知ってるの」
「朝、若林君のお宅からお電話頂いたのよ」
「若林さんの?」
「ええ。卒業のお祝いも兼ねてホームパーティーをしたいって言ってるから、本日息子さんをお借りしますって。うちは貴方が入団を決めた時にお祝いはしちゃてるから、無理に卒業のお祝いをする必要もないし、是非参加させてやって下さいって答えておいたわ」
「……知らなかった」
「あら、じゃあ余計な事を言っちゃったかしら。どういう予定だったの?」
「一度戻って着替えてから合流して遊びに行こうって、それだけ」
「そう。じゃあ会ったら言うつもりだったのかしらね、若林君」
「そうかも」
「まあ良いじゃない?久しぶりなんでしょう若林君も翼君も。ゆっくり楽しんでらっしゃいな。春からは南葛の皆ともそうそう会えなくなる訳だし」
「うん」
「それにしても凄い花束ねえ」
「そうだった。花瓶、ある?」
「ええ。折角なんだから全部お部屋に飾る?」
「遠慮する」
「まあ確かに全部は多すぎるわね。でも折角なんだから一つぐらいは飾りなさいよ。それでなくても貴方の部屋、殺風景なんだから」
「シンプルって言ってよ」
「物は言い様ねえ。どれにするの?」
「え?」
「部屋に持って上がる花。残りはダイニングに置かせてもらうから、選びなさい」
「選ぶって言っても……」
 そう言いながら、井沢は両手に抱えた花束を見る。
 サッカー部の後輩達に貰った花束に、帰り際に渡された幾つもの花束。そして……一際目立つ大きな花束。
 逡巡して、それでもその花束を選んだ。
「じゃあ、これにする」
「はいはい。生けておいてあげるから、着替えてらっしゃい。時間、大丈夫なの?」
「うん」
 母親の言葉に頷き、井沢はテーブルの上に抱えていた花束を置くと部屋に戻る。
 着替え終わり、改めてハンガーにかけた制服を見つめる。
 もう着る事はないんだなあ、そう思った。明日から自分の制服はチームのユニフォームになるのだ。
 改めて卒業を認識して、それから唐突に式後に曝した自分の醜態を思い出し、顔を赤らめる。
「ああああもうッ」
 そう声にして、そのままベッドに倒れこんだ。
 よりにもよって、若林さんにまで見られるなんてッ!
 再び泣き始めてしまった自分に、居合わせた全員が再び大慌てして、挙句若林に至っては宥める様に井沢の頭を撫でてくれたりなんかしてくれて。
 それが益々涙を誘ったと知ったら、彼はどう思うだろう。
「きっと嬉しそうに笑ったりなんかするに決まってる」
 そう呟いて、はああーと盛大な溜息を一つ零す。
 まさか会えるなんて思っていなかったから。正直に言ってしまえば、酷く嬉しかったのだけれど。
「きっと忙しいスケジュールをやりくりして帰って来たんだろうなあ……」
 絶対にそうとは言わないだろうけど……自分の為に。
「でもすぐに向こうに帰るんだろうな……」
 きっと二人だけで過ごす時間なんてないだろう、それが少しだけ悲しい。
 それが自分の我侭なのは解っているけれど。
 ドイツと日本、遠く離れた距離。滅多に会えない彼が今この時に、同じ場所にいてくれている、それだけでも良しとしなければいけないのは十分理解しているつもりだけど。
 でも今回みたいな事をされてしまうと、その思いも揺らいでしまう。
 本当は、いつだって側に居て欲しいとそう思っている自分を思い知らされた気がして、軽い自己嫌悪。
 と。放り出したままの鞄から聞こえ始めた音に、井沢は慌てて体を起こす。
 鳴り響く携帯の液晶画面には、公衆電話の表示。
 はて?そう思いながら、通話ボタンを押す。
「もしもし」
「ああ、井沢?」
 その声に、思わず息を飲む。
「もしもし?井沢?聞こえてるか?」
「あ、はい。聞こえて、ます」
「今、平気か?」
「はい」
「皆との待ち合わせには早いけど、出て来れるか?」
「あ、はい。それは大丈夫、ですけど。どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたも。折角なんだから、少しでも井沢と一緒にいたいだけだよ」
 サラリとそう返されて、思わず言葉に詰まる。
「いっ今、何処に居るんですか?」
「井沢の家の近くの公園」
「すぐ行きますから」
 井沢はそう答えて電話を切ると、上着を掴んで部屋を出る。
「あら、もう行くの?」
「うん」
「ああ、でも待って。せめてこれ、部屋に持って上がってちょうだい。折角生けたんだから」
 そう言って指差された花瓶の中には、若林から渡された例の花束の花達。
「ありがと」
 途端に顔に血が上りそうになって、井沢は大慌てでそう答えると、花瓶を手にして部屋に逆戻り。
 落ち着け自分。
 机の上に花瓶を置いて、自分にそう言い聞かせ、火照った頬をペタペタと両手で叩くと改めて部屋を出た。
「行ってきます!」
「はい行ってらっしゃい。みんなに宜しくね」
「了解」
 母親の言葉にそう答え、井沢は目的地の公園へと急ぐ。
「よう」
 公園入口横にある電話ボックスに寄りかかるようにして立っていた若林は、駆け寄ってきた井沢に向かってそう言うと、満面に笑みを浮かべる。
「待たせてすみません」
「待った内に入らないだろう、これくらいは」
 腕時計に目をやって若林はそう返した。実際、5分も経っていない。
「久しぶりだな」
「え?」
「こうやって二人で会うの」
「……そう、ですね。あ、そう言えば若林さん」
「ん?」
「携帯の番号、何で知ってたんですか?」
「そりゃあ聞いたに決まってるだろう。冷たい恋人は、教えてくれてなかったし」
「そっ、それはだってっ」
「まあ国際電話だから気兼ねするのも解らないでもないがな。それでも教えておいて欲しかったね俺としては」
「だってっ」
「……冗談だよ。そんなに困った顔、するなよ」
 若林はそう言って、俯いてしまった井沢の頭を引き寄せる。
「ちゃんと知ってるよ。一昨日買ったばっかりなんだろう?」
「……何で知ってるんですか?」
「そういった情報込みで反町が教えてくれた。仲良いな、相変わらず」
「……その手のことやたら詳しいから、あいつ。買おうかと思ってるって言ったら、即行で呼び出されて連れまわされて……気が付いたら決まってたんです」
「は?」
「なので実はイマイチ使い方もよく解ってないんです、まだ」
「そりゃあ、また」
「だから番号知ってるのも、反町とあとは松山ぐらいで」
「何でそこで松山が出て来るんだ」
「買ったその場で反町が勝手に俺の携帯で松山にかけたんです。発信からの登録の仕方の復習、とか言って」
 しかめっ面でそう告げた井沢に、堪えきれずに若林は笑い出す。
「若林さんッ」
「や、本当に仲良いよな、お前ら。時々妬けるよ」
「何言ってるんですか、もうッ」
「冗談抜きで」
 不意に真顔でそう告げられて。井沢は瞬間言葉を失って、それから急激に顔を赤く染め上げた。その様子に小さく笑って、若林はクシャクシャと井沢の頭を撫でる。
「まあ、そこらの心境はあっちも同じだろうけど」
「……あっち?」
「気にするな」
 そう言って若林は先に立って歩き出した。その後ろ姿を井沢は慌てて追って言い募る。
「そんな事言われても、気になります」
「……せっかく一緒に居るんだから、どうせ気にするなら俺の事を気にしてて欲しいんだけどな」
 溜息混じりにそんな風に言われては、井沢は再び頬を染め上げて言い募る言葉を手放すしかない。
「……どこに行くんですか?」
「ん?」
「ん、じゃなくって。集合場所、若林さんの御実家でしょう?」
「ああ、そうだけど」
「でも、向かってるの逆方向じゃ……」
「良いんだよ。折角のデートの行き先が俺の実家じゃ意味ないだろう」
「デッ…デートってッ」
「そんな嫌そうな顔するなよ、傷付くな」
「ベッ別に嫌だ何て言ってません!」
 顔を真っ赤に染め上げて反論する井沢に、若林は苦笑する。
 無意識にこっちを喜ばせる言葉を吐いている未だ純情な恋人にはお手上げだ。振り回しているようで、本当は自分の方が彼の言葉一つに振り回されているのだから。
「……ちょっとな、買いたい物があるんだよ」
「買いたい物?」
「そう。直ぐに済むよ」
 そう告げると、若林は手っ取り早くタクシーを捕まえると井沢を促す。それから自分も乗り込んで。目的地を告げるのだった。