Holy Night   


  

 翌日。
 一樹は周囲の人間にそれと簡単にバレる勢いで、不機嫌だった。
 初めてに近い一樹のその様子に、周囲は『触らぬ神に祟りなし』と判断し、遠巻きに彼を眺めている。
 腫れ物を扱うような周囲の反応が、益々彼の機嫌を下降させる。それでも、周囲には何ら非が無いのも十分に承知していたので、一樹はこれ以上気を使わせるわけにはいかないと、さっさと夕食を済ませると自室に引きこもった。
 バタリとベッドに倒れ込み、盛大な溜息を一つ。そのまま視線を動かせば、主不在のもう一つのベッドが目に入る。冬休みに入ってから主が不在のままのソレに、一樹は小さく舌打ちして、枕に顔を押し付けた。
 たった一言だったのに。
 言えなかったその事が、自分でも滑稽な程に一樹を打ちひしがせていた。
「………何もあんな慌しく帰らなくっても良いのにさー」
 誰に聞かれるでもない愚痴を、ポツリと零す。
 確かに年の瀬だ。空手道場を営む若島津家だから、若とか何とか呼ばれる立場にある彼が、実家の行事に引っ張り出されるのも仕方ないだろう。
 でも、だからって……。
「……話す間すらなく帰るって、どうよ?」
 実家の年末恒例行事に引っ張り出されてるから、と。練習終了と同時に慌しく立ち去ったその後ろ姿を、自分がどんな気持ちで見送ったのかなんて、きっと考えてもないんだろう。そんな風に思う自分に、呆れる。
 最初から判っていた事なのに、と。
 年末で寮の人口少ないから多少騒いでも怒られやしないし、どうせ遅くまで練習してるんだから、夜、寮に集まって皆で祝いがてら騒ごうよ、と。冬休みに入る前そう提案した一樹に、彼はごめんと前置きして、その理由を教えてくれたのだ。
 だから、彼が練習を終えたら直ぐに実家に帰るのは判っていたのだ。
 でも、と一樹は呟く。
「一言も話せないまま帰られちゃうなんて、誰も思わないっての」
 そう声にして、それから一樹はおもむろに身体を起こすと、枕を引っつかみ、主のいない其処に投げつける。
「もう一生言ってやらないからなッ」
 そう悪態を吐きながら。
 プクウッと頬を膨らませて、投げつけた己の枕を睨み付けていた一樹は、数拍の間を置いて盛大な溜息を零した。
 全くもって自分らしくない状態に、一樹は自嘲気味に小さく哂う。
 結局は素直になれない自分が招いた事なのだ。悪態を零したって、どうしようもない。
 こんな風に。彼は、今まで気付かなかった自分の一面を一樹に突きつける。その度に戸惑って自己嫌悪に陥る自分に、毎回嫌気をさして、それでも一樹には結局元の場所に──素直になれない自分に返るしか術が無い。堂々巡りだ。
「ばっかみたい」
 そう呟いて、一樹は枕を取り返しに、立ち上がる。
 転がる自分の枕に手を伸ばし、けれど一樹はそのまま其処に─健のベッドの脇に立ち尽くす。
 数秒後。ぱふん、と一樹はそのまま其処へ倒れ込んだ。
「バカ島津」
 小さくそう呟いて、一樹は健の枕を抱き寄せる。微かに残る、彼のコロンの香り。
「……………バカ島津」
 もう一度そう呟いて、一樹はそのまま目を閉じた。
 どうせ冬休みが終わるまで、本来の使用者は戻って来やしないんだ。一樹はそう胸中で呟いて。
「おやすみー……」
 せめて夢の中でくらいは言えますように、そんな風に思いながら。
 一樹はそのまま其処で不貞寝を決め込んだ。