「そこのお兄さん、オレを買わない?」
 唐突にかけられたその言葉に、小次郎は振り返る。
 年の頃はまだ16・7歳だろう少年が、目の前に立っていた。
 細い身体、白い肌。綺麗な顔をした少年だった。
「? ちょっと、聞いてんの?」
 彼はそう言って小次郎の顔を覗き込んでくる。
 ちょっと、まて。
 そう内心で呟きながら、小次郎は思わず目眩を覚えかけた。
 この子は今、何を言ってきたんだ?聞き間違いでなければ……。
「ちょっと、聞いてんかよ。買うのか買わねーのか、はっきりしろよなっ」
 一向に返事を返さない小次郎に痺れを切らしたのか、その容貌にはあまり似つかわしくない乱暴な口調で言われた言葉に、聞き間違いじゃないって事か……と小次郎は改めて頭を抱えたくなった。
「お前、今一体何歳なんだ?どうしてこんな事をしてる」
 無意識の内に少年の腕を掴み、小次郎はそう尋ねる。
「何だよいきなり」
 小次郎の言葉に、彼は驚いた様にそう返したが、けれど次には素直にその問いかけに答えを返す。が、それが更に小次郎を驚愕させた。
「17だよ、17。それが何か関係あんのかよ」
「何でこんな事をしてるんだ」
「何でって、仕方ないだろ、他に方法もなかったし。こうでもしなけりゃ、オレみたいに学も何もない孤児は生きてけねえんだから。それに、大体コレが一番手っ取り早いんだよ。学も元手も要らねえし、それに結構金になるからさ」
 ケロリとした口調で彼はそう答えた。
「いつから、こんな事……」
「えー?いつからって、12の時からだけど、それがどうかしたのかよ」
「そんな幼い頃から?!」
「だって孤児院(ホーム)に居られるのって11歳迄だから。その後はどうにかして自分だけの力で生きてくしかねーんだもん。……それよりも、さ。買うの?買わねーの?どっち?」
 そう言って自分を見上げて来る少年の腕を掴んだまま、小次郎は暫しの間言葉を失っていた。
 そうやって自分の問いに答えもしない小次郎に痺れを切らしたのか、彼は声を粗げて小次郎の手を振りほどこうとする。
「何なんだよあんたっ。買う気ねえんならオレ行くぜ」
「行くって何処に」
「ドコにでも。言っただろ。買ってくれる奴探さねえと、生きてけないんだって」
「こんな事をしてて、お前は平気なのか?」
「平気って、なにが?」
 少年は不思議そうにそう言って、小次郎に向かって平然と言い放つ。
 こんな事、自分にとっては当たり前の日常なのだ、と。
「慣れてるし金になるし、別にどって事ねえけど?それよりも、この手、いい加減に離してくんねえ?」
 そう言われ。小次郎はかえって掴んでいた手に力を込める。細い、腕だった。
 今まで。こういった誘いを受けた事がなかったわけではない。勿論、その場で即座に断り、その後も気にした事などなかった。
 けれど、今は。
 何がどうして、そう思わせるのかは、解らなかった。けれど。
 『駄目だ』と。『彼にこんな事をさせては駄目だ、今すぐにでも止めさせないと』という思いが、小次郎を衝き動かしていた。
 そして『この手を離してはならない』とも。
「ちょっと何なんだよっ!!離せよっ痛ってーんだよっ!聞いてんのかっ?!」
「今すぐ、こんな事は止めるんだ」
「はあ?」
 唐突な言葉に、彼は訝しげにそう言って小次郎を見る。
「止めるんだ」
「どうして」
「君みたいな子が、こんな事をしてちゃいけない」
「何だよ、ソレ。んなの、オレの自由だろ」
「駄目だ。止めるんだ」
「るっせえなっ!言ってんだろっ。こうでもしなきゃ生きてけねえんだって!!あんたのその耳は飾りもんかよっ?!」
 そう怒鳴り、彼は小次郎の手を振り払った。
 そして踵を返しかけた彼の腕を、再び小次郎が捕まえるのよりも早く、別の声が彼に向かって投げかけられる。
「よお、光。今、身体空いてんのか?」
「空いてる!何?買ってくれるわけ?」
「一晩欲しいね。10オルグでどうだ?」
「オッケー、買われてやるよ」
 光と呼ばれた彼はそう答え、その男の腕にじゃれつくように掴まり、そして甘えるかの様に男の唇に己のそれを重ねた。
 その瞬間、小次郎の手がいきなり光の腕を掴み、引き寄せる勢いのままその腕の中に彼を抱き寄せた。
「何だよっ!?」
 突然の事に光はそう声を上げ、そして小次郎の胸を押し返す。
 光の唇が相手のそれに触れた瞬間、小次郎を襲った激しい感情。それは紛れもない『嫉妬』。
「どういうつもりだ貴様。そいつは今晩俺の物なんだ、邪魔するんじゃねえっ」
 いきなりの事態に男はそう怒鳴り、小次郎を睨みつける。だが、それには気を払わず、小次郎は光に顔を向け言い放つ。
「倍、払おう」
「へ?」
 小次郎の言葉に光はそう声を漏らし、驚きを隠せぬまま彼を見上げた。
「倍……って。……20オルグ、だぜ?正気?」
「それだけ払えば文句はないだろう?」
「そりゃあ、オレは高く買ってくれる奴について行く、けど……」
「そういう事だ。悪いが彼は俺が買う」
 そう言われた相手に、勿論それ以上の金額を出せる筈もなく。男は忌ま忌ましげな舌打ちを一つ残し、その場を立ち去った。
「……あんた、本気?」
「ああ」
「止めろって言わなかったっけ?さっき」
「身体を売る様な事は止せと言っただけだ」
「じゃあ、これは何?どこがどう違うって?結局は同じじゃん」
「違うさ」
「だからドコがだっつうのっ」
「俺は君の身体じゃなくて、君自身を買ったんだ」
「何だよ、ソレ」
「言葉のままだ」
「何だよそれ、訳分かんねーよ」
 光はそう言って、小さく頬を膨らます。子供っぽいその仕草に小次郎は小さく苦笑して、それでも特に意に介した様子もなく、光の手を取り人込みの中へと歩きだす。
「名前は?」
「光。あんたは?」
「日向小次郎だ」
「ふーん。……あんた変だよ、絶対。普通だったらさ、出来るだけ安い金でオレを買って、それで喜んで抱くぜ?」
「そういう奴らの方が変なんだよ、本来」
 光の問いかけにそう答え、小次郎は歩き続ける。
「なあ、ドコ行くつもりなんだよ」
「もうすぐだよ」
「もうすぐ?」
「ああ」
「って、それじゃあ答えになってねえじゃんっ!」
「すぐに分かる」
 そう返された小次郎の言葉通りに、2・3分程行った所で、彼は幾分小さ目の店へと入った。そこは小さいけれど、それでもセンスの良い服の揃ったブティックだった。
 光は、何故自分がこんな所に連れて来られたのかが一向に理解出来ず、思わず小次郎を見上げ、それから店内を見渡した。
 と、一人の店員が二人に気がつき近寄って来た。
「いらっしゃいませ。どういった物をお探しですか?」
「この子に似合う服を見繕ってくれ。今すぐにだ」
「畏まりました。では、どうぞこちらへ」
「え?ちょっ、ちょっと待って、何?」
 いきなりの事態に、光は思わずそう声を漏らす。
 けれど、その声はあっさりと聞き流され、光は店員に店の奥のフィッティングルームへと連れて行かれてしまう。そして何人もの店員に、着せ替え人形の如く、次から次へと服を合わせられる。
 そして気がつけば再び小次郎の前に連れて行かれていた。
「如何でしょう?」
「ああ、良く似合ってるな。それを貰おう。あと靴も欲しいな。それに似合うのを一足」
「そうですね……これなどいかがですか?」
「色がいまいちだな。もう少し薄い色の物はないか?」
「では、こちらでは?」
「ああ、それがいい。それを貰おう」
 と。今だ呆然としている光の前で、小次郎は頷き代金支払いの手続きをしている。
「ちょっ、ちょっと待ってくれよっ。なあ、何であんたこんな事っ」
「小次郎だ。ホラ、さっさと履き替えろ」
「そうじゃなくって!だから何でこんな事すんだよっ」
「いいから早くしろっ」
 その勢いに光は驚き、慌てて言われた通りに靴を履き替える。
「良く似合ってる。行くぞ」
 小次郎はそう言うと、店員からそれまで光が身につけていた物一式の入った袋を受け取り、店を出る。
「ありがとうございました」
 数人の店員の声を背に、光は困惑しきったまま、小次郎に手を引かれた状態で歩き続ける。
「あんた何考えてんだよっ」
 暫く行って、漸く光はそう口にした。
「あんたじゃない。小次郎だ」
「どうでもいーよっそんな事!」
「良くない」
「分かったよ、呼べばいんだろっ。何でこんな事するんだよ小次郎っ」
「したいからだ」
「なっ。それじゃ答えになってないっ」
「十分な答えだよ」
「どこがっ?!」
「そう怒鳴るな。折角の綺麗な顔が台なしだぞ、光」
 と、不意にそう名前を呼ばれ。
 何故か顔を赤くしてしまい、その事に光は戸惑った。
 別に名前で呼ばれるのなんていつもの事なのに、今更どうして……?
 火照った顔を静めようと、ピタピタと自分の手で頬を叩きながら、光はそう思う。
 と、その時。不意に小次郎が足を止める。火照った頬を気にしながら歩いていた光は、すっかり前方不注意状態だったので、危うくその後ろ姿にぶつかりそうになり、慌てて足を止めた。
 何?と、そう聞こうとして、けれどそれよりも早く、光の手を引いたまま小次郎は目の前の店に足を踏み入れる。
 それはかなり大きな、そしてかなり高級そうな飲食店(レストラン)だった。
「今度は、何?」
「腹、減ってるだろう?」
「そりゃあ……って、そうじゃなくって!何でこんなトコにっ」
 光がそう声を上げた直後、店の中から支配人らしき男が出て来て、二人を出迎える。
「いらっしゃいませ。お二人様で?」
「ああ。いつもの席で頼む」
「畏まりました。どうぞ」
 男はそう言うと、二人の前に立ち歩きだす。エレベーターに乗り、彼らが着いた其処は、この飲食店の最上階である十階のVIPルーム、だった。
 何がなんだかまるで分からない状態の光は、通されたVIPルームの驚きで声も出ない状況だった。
「本日は何に致しましょうか?」
 そのVIPルームの更に奥にある一室へと向かいながら、支配人がそう尋ねる。
「そうだな……。何がいい?光」
「へっ?べっ別に何でもっ」
 唐突に話を振られた光は、ようやく我に返り、そう答える。
「任せる。ワインはそれに合わせた物で、出来るだけきつくない物にしてくれ」
「畏まりました。では私はこれで」
 一番奥まった場所にある一室のドアを開け二人を中に通すと、男はそう言ってその場を立ち去って行く。その後ろ姿を、光は呆然とした面持ちで見送った。
「どうした?光」
「……どうしたも何も……あんた何者?」
「日向小次郎だ。そう言っただろう?」
 小次郎はそう言って、光の手を取ると席へと導く。
「座って」
 そう言われるままに、光は椅子に座り込んだ。あまりの事に思考の方が上手く働いてくれないらしい。
 呆然としたまま何げなく窓の外へと目をやった光は、息を飲む。
 壁際全面を使った窓の外には、夜の街にきらめくネオンが、まるでパノラマの様に広がっていた。遠くには、海も見える。
「綺麗な景色だろう?」
 窓の外に見とれている様子の光に、小次郎はそう声をかけた。光は無意識に、無言のまま頷いていた。
「お待たせ致しました」
 どのくらいそうしていたのか、再び戻って来た支配人のその声に、光は我に返る。
「ワインはこちらに致しましたが……」
「ああ、構わん」
 小次郎がそう答えると、支配人は二人のグラスにワインを注ぐ。その隣で、別の男が料理の皿をテーブルの上に並べていった。
「では、どうぞごゆっくり……」
 深々と頭を下げながらそう言い残し、彼らは再び部屋を後にする。
「……どういう、事なんだ……」
 暫くの沈黙の後、光は困惑の表情のままそう尋ねる。
「さあ、冷めない内に食べてしまおう」
「だからそうじゃなくって!何でこんな事になってんのかきーてるんだってばオレはっ」
「腹が減ったから食事。それだけだが?」
「………やっぱり、あんたって変わってるよ、小次郎……」
 脱力しきった光のその呟きに、そうか?と短く返しながら、小次郎は笑みを浮かべる。
 その表情に、光は思わず息を詰まらせた。最初に声をかけた時から思っていたのだが、とてつもなくハンサムなのだ、この男は。笑顔を浮かべたりされれば、尚の事、だった。
 彼の笑顔を見せられれば、どんな女だってより取りみどり、でイチコロだろう。
 なのに、何でオレみたいな奴拾うんだろう……。
「変わってるよ、絶対……」
 光は心底そう思いながら、改めてそう呟くのだった。


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