「ああ居た居た!光ーッ」 後方からの呼び声に、光は振り向く。見知った顔、だった。 「一晩買うからさ、来いよ」 「え……?」 「50オルグ出す。来いよ、ホラ」 そう言って腕を取る男に、光は一瞬躊躇って。きつく瞳を閉じて、それでも促されるままに、男と共に歩き始める。 あの日以来、日に日にこの行為に辛さが増す。いや、辛さというよりも、嫌悪と恐怖。 それでも。 こうでもしないと、生きて行けない事を、知っているから。 破格の50オルグという金額。それが示すのは……。 辿り着いた、路地裏。……そこでの、輪姦。 「待たせたな、お待ちかねの姫君をお連れしたぞー」 下卑た笑みと共に告げられたその声に、男達が一斉に振り向く。向けられるその欲望に満ちた視線に、咄嗟に逃げ出したい衝動が光を襲う。 だがそれよりも早く、男達の手が光を捕らえ、冷たいコンクリートへと押さえ込む。瞬間身を竦めた光を、けれど一向に気にとめず、幾本もの腕が衣服を剥ぎ取った。 薄暗い路地に浮かび上がる、その白い肌に男達が喉を鳴らす。 「相変わらず良いカラダしてるよなあ」 感嘆を零すように一人がそう言って、嘗め回すように細い身体を眺める。 「おい、犯るならさっさと犯っちまえよ。後がつかえてるんだぜ?」 「解ってるっての。さーて、んじゃあまあ存分に楽しませて貰いましょうか」 そう言って、一人が首筋に顔を埋めた。また別の男が後ろから中心へと手を伸ばす。 「やッ……」 抑え込もうと意識するよりも早く、光の口から零れた声に、男達が低く嘲う。 「あー?何だって?イヤ?」 「何言ってるんだか、お姫様?まだまだお楽しみはこれからだろう?それとも焦らして楽しませてくれるのか?新たな境地か?」 「それはそれで楽しそうだな。海賊船に攫われた悲劇の姫君って所か、そそるね」 下卑た笑みをそのままに、男達は光の身体を抑え込む。 拒絶を零さない、確かにそれが光の売りだった。 従順に、素直なまでに身体を開く、『“淫猥な”白雪姫』。 光が自ら進んで得た呼び名ではない。 拒絶も嫌悪も、そんな感情を知る間もなく始めた身売りだった。感情の伴わない情事に、疑問を挟む余地もなければ意識もない。快楽さえ、意識の外。ただの、生きる為の手段。 それが当たり前だった。そう、あの出逢いの日までは……。 「やッ……やだッ!離……せッ」 「おいおい、どうしたんだ?そんなじゃフリを楽しむ所じゃねえだろう?暴れるにも程があるんじゃねえのか?」 「構うこたねえよ。気にせずに犯っちまえばいーんだよ。そっちにゃ、ビジネスだろ。強姦ゴッコだと思えばいいさ。なあ?お姫様?」 「やめッ!離せッ。やだ……やあッ」 抑え込まれ、容赦なく伸びてくる男達の腕。自由にならない体で、それでも光は必死で身を守ろうともがく。 イヤだイヤだイヤだッ!!!!! 拒絶の言葉だけが、身を駆け巡る。 イヤだッ誰か……小次郎ッ!!!!! 思っても無駄だと、そう解っていて。それでも光は小次郎の名を無意識に叫ぶ。 誰でも良いわけじゃない。そう、そんな事、とっくの昔に気づいてた。ただ認める事が出来なかっただけだ。救いを求めて、でもそれが叶わない現実を見たくなかっただけ。 助けて小次郎ッ!!!!! 「光ッ?!」 と。突然上がったその呼び声に、光は耳を疑った。 うそ……。 呆然と、胸中で呟く。そんな筈ない、と。それでも。 「……小次……郎…」 視界に飛び込んできたその姿に、そうその名を呟く。会いたくて、でも二度とその願いが叶う筈がないと、そう諦めていた、彼の名を。 「んだよ貴様。邪魔するんじゃねえよ」 突然の闖入者に、気を殺がれた態の男達は、忌々しげに小次郎に向かってそう言い放つ。その殺伐とした言葉に、けれど小次郎は一向に臆した様子もなく男達を見返した。 そして、低く言い放つ。 「光から手を離せ」 「るっせんだよッ」 「てめえにゃ関係ねえだろう。無作法にお楽しみの邪魔するんじゃねえよ」 「……離せと言ったんだ」 「構うこたねえよ、バラしちまえ、そんな奴」 一人がいきりたってそう言い放つのに、光は青冷める。 男達の素行の悪さは、一帯では有名だった。刃向かう者、邪魔をする者、不都合な者に対して一切の容赦のない荒くれ者の集まり。無抵抗な相手に容赦なく刃物を突き立てると実しやかに流布された話は、作り話ではなく事実だった筈だ。 男達の手の中に、鈍く光る刃物を認め、光は悲鳴を上げた。 「小次郎ッ!」 叫んだ光を、再び男達が抑え込む。 「やッ…離せ…ッ」 光の声に、小次郎は再び男達に言い放つ。 「もう一度だけ言う。その汚い手を、さっさと離せ」 「んだと?!ふざけた事言ってるんじゃねえッ!」 そう声を荒げた男達の中で一番の巨漢が、ナイフを手にした拳で小次郎に殴りかかる。その拳を難無く避けると、小次郎は躊躇いなくその鳩尾に拳を叩き込んだ。 「ぐッ…」 「何だって?!」 低く唸ってその場に倒れ込んだ巨漢を認め、男達は驚愕を隠し切れない顔で小次郎を見やる。男達の中で一番の腕を誇っていた者が簡単に伸された事に、動揺を隠し切れないままに。 「これが最後の忠告だ。自分の身が可愛いなら、さっさと此処を立ち去れ。そして二度と光に近づくな」 殺気さえ含んだその声に、男達は慌ててその場を逃げ去った。 その後ろ姿を剣呑な目で見送って、それから小次郎は光へと目を戻す。 「光」 その呼び声に、光の肩がビクリと跳ね上がる。けれど、それ以上の反応を示さない光に、小次郎は羽織っていたコートを腕から外し、そっと光へと歩み寄る。 「光……?」 再びそう声を掛けながら、コートをその肩に掛けようとした時、ようやく光の視線が動く。その視線が小次郎の其れと重なった直後、光は怯えを隠さないまま、その視線を外した。 「どうした?光。風邪をひくぞ?」 「やッ」 肩に掛けられたコートを叩き落とし、光は唇を噛締める。 瞬間目を見開いた小次郎は、それでもコートを拾い上げると、再び光の肩へと羽織らせる。 「光……?」 「止めて、くれよッ。何でそんな優しくするんだよ?!お陰で、オレ、商売にならない!あんたの所為でオレ、身体売れなくなっちまった!もう、その気もないのに気紛れなんかで優しくなんかしないでくれ!!あんたの気紛れでオレを振り回さないでくれ!!」 違う、叫びながら胸中でそう呟く。違う、そんな事が言いたいんじゃない、と。それでも。口をついて出るのは拒絶の言葉だけだった。 言いたい事は、そんな事じゃない。でも、口にする言葉も本心だった。相反する、それでも紛れもない本音の思いに、光はどうしたらいいのかすら解らなくなって。やり場のない思いを、彼から逃れる事で消し去ろうとする。 肩に掛けられたコートを押し返し、逃げようとする光を、けれど小次郎はその腕の中に閉じ込める。冷え切ったその身体を、そしてその心さえも解かそうとするかの様に。 「光……」 「やだッ!離せよ!触るなッ」 ……離せなんて、嘘だ。 その腕の暖かさに捕らわれて、拒絶の言葉を吐きながら、それでも光の内にいる温もりに餓えたもう一人の光が、そう呟く。 離せなんて、嘘だ。離さないで。このまま抱きしめていて。……一人に、しないで……。 けれど頑なな心は、その切望とは裏腹に、小次郎の腕の中から逃れようともがき続ける。 今なら、まだ間に合うから。今なら、まだ独りで生きて行く事に、戻れるから。胸の痛みは一生消える事はないだろうけれど、それでもまだ今なら戻れるから。温もりさえ知らなかった『白雪姫』に、今ならまだ戻れるから……。 「離せってばッ」 「駄目だ」 悲鳴にも似た光の声に、小次郎はきっぱりとそう言い放ち、閉じ込める腕に力を込める。 「離さない」 「イヤだって言ってるだろッ。優しくなんてするなって言ってるんだ!!!」 「無理だ」 「何でッ」 「…………好きだよ、光」 「え…………?」 予想もしていなかった小次郎の答えに、光は目を見開いて、唖然とその顔を見上げた。その視線を真っ直ぐに受け止めて、噛み締める様に、そして諭すように、言葉を繋げる。 「好きだ。お前に優しくしたい理由だよ。気紛れなんかじゃない、お前を愛してる」 「………小次郎……」 「お前を、一生買い占めるには、幾らあれば足りる?」 「……いっ………しょう…?」 「そうだ」 「…………ダメ、だよ…そんなの」 そう呟いて、泣き出すのを我慢している幼い子供そのままの表情を浮かべ、光は俯いた。そして、ダメだよ、と繰り返す。 「光……」 「………だって……オレは……こんなに、汚れてる。あんたに、愛して貰える資格なんて、ない」 「………愛してる」 「本気かよ?!あんた解ってるのか?!オレはッ!……オレは、今まで何人と知れない奴らに、抱かれてきたんだ。そうやって今まで生きてきたんだッ」 そう言い放ち、小次郎を睨みつけるかの様に見上げた。その瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。 「汚れてなんかいない。綺麗だよ、光は」 言いながら、小次郎は光の頬を伝う涙を指先で拭い取る。 「綺麗だ」 「………こじろ……」 「愛してるんだ、お前を」 その言葉に。ポロポロと涙を零したまま、光は小次郎の胸に頬を押し付けた。堪え切れずに小さくしゃくりあげながらしがみ付いてくる身体を、小次郎はしっかと抱きとめて、そして言葉を続ける。 「もっと早く来るつもりだったのに、遅くなっちまって、ごめん。……一生、お前を買い占めたい。幾ら出せばいい?」 「………要らない」 そう言って、光は泣き腫らした瞳で小次郎を見上げる。 「何も、要らない。あんただけで、良い。オレを独りにしないで。側に、居て。それだけで良いから。小次郎が側に居てくれさえすれば、他に何も要らないから」 真っ直ぐに小次郎を見据え、光は告げる。精一杯の、告白を。 「居てくれさえすれば、オレ、一生、小次郎のもんだよ」 「………商談成立だな」 小次郎の言葉に、光はようやくその顔に笑みを浮かべる。光が初めて見せた、その笑みに。つられるように小次郎にも笑顔が浮かぶ。 「……大好きだよ、小次郎」 そう言って。近づいてくる小次郎に答える様に、光はそっと目を閉じた……。 「………でっかい家……こんなトコに一人で住んでるのか?」 「今日からお前の家でもあらんだよ」 「……うん」 小次郎の言葉に、何とも言えない心境で光は頷く。 確かに小次郎の言う通り、此処がこれからの自分の『家』になるのだけれど……。 「ホラ、入って」 促され家─と言うよりもはっきり言って『お屋敷』だ─の中に足を踏み入れた光は、軽い眩暈に襲われる。 「………小次郎の仕事って、何…」 うめく様な声での問いに、小次郎は小さく苦笑して、それでも簡潔に答えを与える。 「賞金稼ぎと自営業」 「賞金、稼ぎ……?!」 「ああ」 愕然とした光の声に、小次郎はいともあっさりと頷いた。 どーりで、桁違いに強かった筈だ………。 「………自営業って?」 「この間一緒に入った飲食店(レストラン)」 ……どーりでVIPルームに通された筈だ……。 「アレは昔の恩人の遺言で引き継いだだけで、実質的には名前だけのオーナーなんだがな。あくまでも本業は賞金稼ぎ」 そう言いながら。 後方から抱きしめてくる小次郎の腕の中に、光は喜んで飛び込むのだった。 |