瞬間、何が起こってるのか分かってないような顔をした、その人に、オレはふふふと笑って、そしてそのままその胸に頬を寄せてみる。
 ひっろい胸〜。こんな状況で、そんな風に悠長に考える自分自身に、ほんの僅か自嘲気味の笑みを零し、けれどそれは瞬時に自分の中におさめ、そっと顔色を伺うと。
 相変わらず目を丸くしたままの、顔。
「………反町?」
「ね? いいでしょ?」
 怪訝そうな声にそう返すと、その眉根に大きなシワ。
「悪い話じゃないでしょ?」
「そういう問題じゃ」
「そういう問題です。だって、オレが良いって言ってるのに」
「反町」
「身代わりにしてくれて全然オッケーです」
 だから、ね? お願い?
 言いながら、指先を彼の着ているシャツのボタンに伸ばす。伸ばしながら、スキンシップの一環として頬に唇を寄せようとしたら、がっつりと拒まれた上に、手も遮られる。
「もうッ何で」
 拗ねたようにそう言ってみたけれど、彼は冷静な表情のまま、いや眉間にシワは寄ってるけど、ともかく全くもって冷静なまま、オレを見つめ返してくる。
「もうずっと会えてないんでしょ? 欲求不満じゃないんですか?」
「あのな」
「だったら、ホラ、こうやっておあつらえむきにソックリなオレちゃんが此処に居て、で、身代わりにしちゃって良いって言ってるんですもん、ここは流されちゃいましょうよ? ね? で」
 オレのことも気持ちよくして下さい。
 拒まれた手をすり抜けて、その耳元で囁く。
 けれど、だ。
「反町」
 効果はてんでなし。
「そんなこと、出来るわけないだろう」
 うん、解ってた、解ってたけど、ね。
「どうして? オレ、ちゃんと黙ってますよ?」
「そういう問題じゃない」
 うん、そうですよね、だって本当に、大事に大事にしてますもんね。大事で、大好きなんですもんね、そんな相手が居て貴方にそんなこと出来るわけないし、端からそんなことしようとも思わないですよね。
「そんなことは、出来ない」
「お願いしてるのに?」
「なおさらだ」
 なおさら?
「何があった?」
「はい?」
「こんな馬鹿なこと、いつものお前なら」
「別に馬鹿なことじゃないです。だってどうせなら気持ちよくしてくれる人に、気持ちよくして貰いたいじゃないですか。その上、オレのこと身代わりにして、気持ち発散出来るって人がいるなら、ね? 迷う必要ないです」
「反町」
 と、思いの外強い口調で、続く言葉が遮られる。
「少なくとも、普段のお前なら、こんな分別のつかない子供みたいな真似はしないハズだ。……何があった」
「えー別になにも? ただ、気持ち良いことしたくなっただけです。ね? だから」
「反町。何があったにせよ、こういうことは止せ」
「こういうこと?」
「誰でも構わない的に、身体を差し出すような真似は止せ。もっとちゃんと自分のことは大事にしろ。身体とかだけの話じゃない、自分の気持ちだとかそう云ったことも含めて、お前はもっと自分のことを」
「あーはいストーップ!」
 尚も続くだろう言葉を、オレは慌てて遮った。
 うん、そうだよね、そうなるよね。そうやって怒るんじゃなくって、オレの心配しちゃうんだよね、日向さんってば。
 うん、そうだよね、知ってた知ってましたごめんなさい。
 だから。
「わっは〜ごめんなさい〜。謝ります、謝りますからお説教だけは勘弁〜」
 ことさら、普段のオレっぽく、あっけらかんと笑ってみせながら、そう言って体を離す。
「反町?」
「ごめんなさい〜。うん、日向さんなら絶対そう言うよね〜って思って、でも違う反応きたらそれはそれで面白いかも〜って思って、試しちゃいました、ごめんなさい、冗談です〜」
「………反町」
「だからごめんなさいって〜。最近、なんていうか波風たたなくって平穏すぎて退屈しちゃったんですってば〜」
「お前はーッ」
 低い唸りでそう言った次の瞬間、日向さんの拳が、ゴツンと脳天に直撃された。
「いったーいッ!」
「痛くしたんだ馬鹿!」
「うえ〜んだからちゃんと謝ったじゃないですか〜」
「それで済むと思うな!」
 無駄に心配させやがって!
 続けられた言葉に、うわーんだからごめんなさいってば〜と泣きついてみたら、今度はグシャグシャと頭を撫ぜられた。
「ったく、冗談にもホドがあるだろう、次同じようなことやらかしたら本気殴るぞ」
「はい〜ごめんなさい〜」
「ったく、どこまで本気で反省してるんだか」
 そう言ってもう一度軽く頭を叩かれた。
「ほら、気が済んだんならさっさと部屋に戻れ。そろそろ就寝時間だ」
「はーい」
 そう言ってようやくオレは立ち上がる。
「お邪魔しました〜。お休みなさい〜」
「お休み」
 そんな返事を聞きながら部屋を出て、ぽてぽてと自室へと向かう。
 うん、そうだよね。
 そう小さく零す。
 うんだって絶対そうだって解ってた。解ってたけど。
 でも、本当は、本気だって言ったら日向さんってばどうしただろう。
 本気…うん、本気だったんだよ、ね。
 身代わりでもなんでもいいから、抱いて欲しかったんだ。
 だって、身代わりでもなんでも、きっと日向さんはすごく大事に抱いてくれるに決まってる。大事に、大事に。
 身代わりでもなんでもいいから、誰かに抱き締めて欲しかった。大事に、大事に、支配して欲しかった。
 だって、それは絶対オレの手には入らないものだから。
 だから……。
 解ってる、こんなの、そんなこと、間違ってるって解ってる。
 解ってるけど、でもだからこそ余計に、心が悲鳴を上げて、縋ってしまえってそう囁いたんだ。
 ちゃんと解ってるよ? 日向さんがちゃんとあそこでノーって言ってくれたことが、どれだけ良かったことなのかって。
 でも、だけど。
 ねえでもだったら、オレは何に縋ればいいのかな。
 一番欲しい人はだって絶対に手に入らない。
 そのことに、押しつぶされそうになる。
 でも、言えない。こんなの誰にも、言える筈がない。 
 助けて、助けて。そう叫ぶ、こんな弱い自分をどうして曝せるだろう。
 
 助けて、助けて。
 叶わないなら、いっそ誰か。

 オレを壊して。