「あーまたかよ反町の奴」 その声に、健は振り返る。 「なんつーか、マメっつーか、余裕あるってーか……」 視界の先には、車に乗り込む反町の姿。迎え入れるのは、派手な外車に、派手な容姿の女性達。 「とか言って羨ましいんだろ、お前」 「そりゃあお前、羨ましいに決まってんだろ」 「しっかし、ついさっき部活終わったばっかだってのになぁ」 そんな声を聞きながら、健は走り去って行く車を彼等同様に視界の先に見送った。 「どこであんなキレーなおねえさん方と知り合ってくるんだかねぇ、ホント」 羨望の言葉を言い合う仲間たちの会話に、意味は違えど健も胸中では同意する。 いつの頃からだろうか。 休日の部活を終えた一樹は、ああやってよく外出をするようになっていた。 今日のように賑やかな女性達であったり、どこで知り合ったのか値の張りそうなスーツ姿の男性であったり。寮の前まで迎えに来る輩だけではないのだろう、一人フラッと寮を出て行って夜遅くに一人戻ってくることもある。 一度友人達に詰問された彼は、へらっと笑って、 「え〜?友達?買い物に付き合わされて〜、ご飯食べに行って〜、カラオケ行って〜って感じ?」 と、事も無げに応えたものだった。 実際、ああやって派手に出かけては行くが、寮の最終の門限までにはキチンと戻って来ているので、特に問題視されているわけではない。 そもそも反町一樹という男の交友関係は多岐に渡り計り知れない、そんな認識は関係者の誰もが持っていることだ。今更、どんな人間と出かけて行こうが驚くに値しない。 けれど、どこかその行動には危うさが伴っている、そんな風に健の目には映る。 それは日向も同様であるらしく、彼は事あるごとに一樹に説教中だ。 けれど一樹自身は何処吹く風、といった有り様で、ああやって出かけていくことは未だに続いているのだった。 「じゃね、一樹ちゃん」 「溜め込んじゃダメよ〜?」 「ちゃんと愚痴ったわね?吐き出したわね?!」 「あはははは〜うん有り難う大丈夫〜」 「も〜ホントに一樹ってば良い子過ぎて逆に心配なのよ〜ッ」 言いながら彼女達は遠慮なしに一樹をハグする。 「い〜い? お姉さん達はいつだって一樹ちゃんの味方なんだからね?!なにかあったらちゃんと相談してね?!」 「あはは、うん解ってるよ、ありがとう〜」 言いながら一樹は車を降りる。 「じゃあまたね〜」 「うん、みんなお仕事行ってらっしゃい〜」 夜の蝶となるべく走り去っていく彼女達の後ろ姿を見送って、さてっと、と一樹は呟く。 待ち合わせ場所はここから歩いて数分、時間もほぼ待ち合わせ通り。 「………バレたら、おねーさま方には激っしくお説教されるよねぇ」 そうポツリと呟く。 それでも、どうしてもこれは自分に必要な事なのだ。 不毛だろうとなんだろうと。 傷の舐めあいだろうーとなんだろーと。 ギブアンドテイク。 それでいい。 ……それが、いい。 「リュージさん」 呼び声に、その人は目を通していた経済誌から顔を上げる。 見るからにイイ男。そんでもって、仕事の出来る男。そんな感じ。 「早かったな」 「そう?時間通りでしょ。むしろリュージさんのが今日は早いじゃん?」 「まあ、そうだな。飯は?」 「食べて来た」 「そうか。じゃあ、行くか」 「ん」 短い返事に彼は立ち上がる。 会計を済ませて、それからいつものような小さな目配せ一つ。心得たかのようにレジの彼はカードを滑らせる。 そのカードを手に、店を出てすぐのエレベーターに無言で乗り込む。 いつきても不思議な流れ、一樹は胸中でそう呟く。不思議で、でも便利、と。 エレベーターの指し示す最上階は八階。そこでエレベーターを降りて、その直ぐ隣にある扉を開くと、更に目の前にドアノブのない扉が一つ。その扉に、リュージがカードをかざすと、ピッと小さな電子音。 開いた先には、既に顔なじみの受付担当者。 取り立てて言葉を交わすことなく、リュージは彼から更に別のカードを受け取って、そして一樹を促すと更に奥にあるエレベーターへと向かう。 「でもさぁ」 「ん?」 「よくこんなトコ知ってたよね、リュージさん」 「あー……まあ色々とな」 「ふーん?なに?オレ以外と実は来たことあったとか?」 「んなわけないだろ」 「だよねー。でもじゃあなんで?」 「……………取引先にそういう人が居て、さ」 「ふえぇ?」 「誘われたことがあった」 「うっわぁ、それはまた。よく断れたねぇ」 「まあ取引的にはウチのが上の立場だったお陰だけどな」 「社会人って大変だねぇ。ま、そうそうある事じゃないんだろうけど」 そんな会話をしているうちに、エレベーターは目的階で停まる。 「まぁお陰で今こうやって、便利な密会場所として使えてるわけだから、その人には感謝しなきゃだねぇ?」 クスクスと小さな笑みを零す一樹に、リュージはまあなと小さく苦笑しながら一樹を部屋の中へと導いた。 パタンと扉が閉じるのを待つか待たないか、というタイミングで。 一樹の腕がリュージを捕らえる。首に回された腕に、小さく笑うと、応えるかのようにリュージはその腰を引き寄せ、そしてどちらからともなく口付けを交わす。 「……んッ」 幾度も角度を変えて舌を絡め取れば、いっそ従順なまでに一樹はそれに応えては、小さく吐息を零す。 「んぅッ……リュージさん………ね、も、早く……ベッド……行こ……?」 性急に口付けを強請ってきたのは自分のほうなくせに、一樹はそうやって甘えるようにリュージに強請る。 「シャワーは?」 「いい、待てない」 早く、リュージさんで愛して。 幼いくせに、どこか艶やかに危うい、そんな笑みを浮かべて強請る一樹に、リュージは小さく苦笑しながらも頷いて、そうして二人してベッドへと雪崩れ込むのだった。 「……で、最近どうなわけ?」 直前までの妖しいまでに熱っぽかった表情はすっかり影を潜め、いっそ面白いぐらいに朗らかに、一樹はシーツにくるまったままそう尋ねてくる。 「進展あったの?」 彼女さんとは、そんな率直なまでに明朗な疑問符に、リュージは苦笑する。 「変わりないよ」 「えー?」 そういうそっちはどーなんだ、そう言いながらシーツの上から覆いかぶさってやれば、一樹はクスクスと笑いながら、ご想像にお任せします、などと嘯く。 「まあ、な」 リュージはそう言いながら身体を起こすと灰皿に手を伸ばし、脱ぎ散らかした上着から煙草を取り出すと火を点ける。 「今ここにいる事を考えれば、答えは自ずとってとこなんだろうけど?」 「お互い様でしょ?」 「まあ、な」 「ねえ、でもさ?」 「ん?」 「ちゃんと上手く進んだなら、遠慮なく言ってよ?そういう約束?契約?なわけだし」 言いながら一樹の指が、リュージの手から煙草を攫う。 コラっと取り戻す前に、一樹は煙草を小さく燻らせて、ご馳走様、そんなことを言いながらリュージの口元へと煙草を戻す。 「ったく」 「なぁに?相変わらず固いねぇリュージさんってば」 酒もセックスもとっくにしてる仲なのに煙草だけはダメって変なの〜、言いながら一樹はシーツの中からごそごそと冷蔵庫へと手を伸ばし、ミネラルウォーターのボトルを取り出した。 「煙草はやっぱりなぁ」 「ん?」 「よくないだろ?」 仮にもスポーツ選手には。そう続いた言葉に、一樹は瞬間キョトンと目を丸くして、それからあはははは〜と笑う。 「うん、まあそうだけどね、よく覚えてたねリュージさん。最初の頃に、ちょこっと話した程度なのに」 「ああ、まあなぁ」 自分より幾つも年下の一樹との関係を、上手く説明することは難しい、リュージはそんなことを思いながら煙草を燻らせる。 コクコクとボトルを傾ける一樹は、すでに普段通りの──年齢相応の少年の顔だ。 初めて会った時の印象も、確かにそうだった。 普通の、いやまあ顔の造作なんかは他から抜けている点は普通とは言えないのかもしれないけれど、それでも他どこにでもいるだろう屈託のない高校生。けれど、どこか、放っておけない危うさがあって、目を離せなかった。それが、始まり。 お互いが抱えた事情と、傷とを埋めあうように、こんな関係になってもうどれくらい経つだろう。 条件付の、期間限定の、情事の相手。 『オレはね、本気じゃなくていいーの。むしろ本気じゃない人のがいいかなぁ』 なにがどうしてそうなったか、グラスを飲み交わしていた時に、一樹はそう言って笑ったのだ。 『本気だと困るでしょ?だってオレの本気は上げられないわけだから』 だからね、リュージさんみたいな人が丁度いいと思うんだよね、身代わりにしてくれて全然オッケー、むしろ好都合?そう言って笑うその顔は、普段の彼からはかけ離れていた。醒めきったような、諦めきったような、似つかわしくない表情は、けれどだからこそ酷く蠱惑的で。 お互いの心の隙間を埋めるために、身体を重ねた。他愛のない会話を交わし、食事を共にし、そして同じように身体を繋げた。それは、多分お互いにとて居心地の良い逃避。 それでも、いやだからこそ、この関係を手放せないでいた。多分それは、一樹も同様なのだろうと、リュージは考えていた。 お互いがお互いに、別の誰かを心の中に大事に抱えながら、それでも埋まらない心の隙間を補うために、そのためだけに繋がる時間。背徳的で、けれどとても心地良い、この関係。 このままでいい筈がない、そう考えながら、それでも互いに、このぬくもりを手放せないで、いるのだった。 |