「ああ、来てたんだ」
 不意の声に、健は振り向いた。
「久しぶりー。何? 仕事の打ち合わせ? 健も一緒って事は、日数かかりそうなわけ?」
「そうなるかな。悪いな、暫くの間借りるよ、日向さん」
「もー慣れたよ。で、小次郎は?」
「奥」
「…………げっ。止めろよ健も!」
「いや、俺は辞退したんだけどね」
「もー。小次郎!」
 健の答えに、そう言って。
 キッチンへと向かって行くその後姿を、健はクスクスと笑いながら見送った。
 長年の相棒である日向小次郎の元に、ある日いきなり同居者が現れた時、健は大いに驚嘆したものだった。光と名乗った少年を見る相棒の表情にも。
「……ったく」
 そう小さく零しながら、光と入れ違いに戻ってきた小次郎に、健は笑いながら声をかける。
「だから言ったじゃないですか。戻って来たら怒られるんじゃないですか、って」
「そうは言うけどな。コーヒー淹れるだけだぞ?」
「あんたのはコーヒーって呼べる代物じゃないだろッ! 濃過ぎるんだよッ」
 小次郎の零した声を聞きつけて、キッチンから光の怒鳴り声。
 彼の好む殺人的に濃いコーヒーは、なるべくならば健とて辞退したい代物だったので、健にしてみれば光の帰宅は実に有難い事だった。
「………で。どうしますか?」
 その言葉に、健の前のソファに腰を下ろした小次郎は頷く。
「請ける。いや、正確には依頼じゃあないから、その言い方も間違ってるが」
「そんな事言ったら、依頼云々って言い方自体が日向さんの本職とはかけ離れてるじゃないですか」
「まあな」
 依頼業務を請け負って動く健と違って、小次郎は賞金の掛かった相手をひっ捕まえるのだから、確かに請けるという言い方はそぐわないだろう。
「まあ、今回のは俺からの協力依頼、ではありますが」
「しかし、お前も何処からそんな話拾ってきたんだ?」
「拾ってきた訳じゃありませんよ。向こうが広範囲に、って言うよりも手当たり次第って感じで、方々に話を広げてるんです。まあ、確かに被害額が被害額ですからね。何がなんでも相手をひっ捕まえて、取り戻したいんでしょう」
「旧華族だか貴族だか知らないが、大層な事で」
「依頼主の事はお気に召さない様で?」
「良い噂は聞かないだろう。箕沼家って所に関しては」
「確かにそうですけどね。まあ、賞金額に糸目はつけないだけマシじゃないですか? それに今回の窃盗グループに関して言えば、箕沼以外にも被害を受けた名門家は多いみたいですからね。付属で付いてくる儲けも多いと思いますよ」
「だから請けるんだよ」
 小次郎はそう答え、不意に振り向く。
「って事で、暫く空ける事になるんだが」
「聞いてりゃ解る」
 そう言いながら、光は二人の前にカップを並べる。
「悪いな」
「だから慣れたってば」
 短く告げた健の言葉に、光は言いながら小次郎の隣に腰掛けて、それから小次郎の顔を見上げて尋ねる。
「箕沼って、一昨日派手に盗みに入られたトコ?」
「ああ」
「じゃあ、しっかり捕まえて来て貰わないとな」
「どうして」
「さっき健も言ってただろ。被害を受けた所、多いって。その中に、ウチの孤児院に出資してくれてる所があるんだよね。被害受けた後も出資してくれてるから何も問題はないんだけど、良くして貰ってる所だから。で? 何時から行くの?」
「明日、だろう?」
「ええ。もう少し、情報を揃えてから動きたいんで」
「オレが言うのも何だけど、そんなにノンビリしてて良いのか? 好条件なら、他にも探してる輩、多いんだろ?」
「闇雲に探してても埒があかないからな。これだけ被害に遭った人間が多いのに、今まで捕まってない相手だし、そうそう簡単にはいかないさ」
「…………って事は長丁場?」
「を、覚悟してて貰わないといけないのは、申し訳ないんだけどな」
「ま、仕方ないけど。………それで他に掻っ攫われたなんて結果になったら、怒るけど」
 冗談とも本気ともとれない表情でそう言った光に、小次郎が苦笑する。
「そうならないよう頑張らせて頂きます。じゃあ、俺はこれで。明日、朝一で迎えに来ますから」
「ああ、解った」
「コーヒー、ご馳走様」
「どー致しまして」
 そう言って答える光に、健は小さく手を振り返して、日向邸を後にした。


「じゃあ、お借りします」
「はい、どうぞ。健にめーわく掛けんなよ?」
「あのなあ………;;」
「だってそうだろ。下手うって怪我して帰ってきても、絶対看病なんてしてやらないからな」
「はいはいはい。気をつけます。じゃあな」
「うん。行ってらっしゃい」
 光のその言葉を受け、二人は車に乗り込む。
 車をスタートさせて、数秒。健はとうとう堪えきれずに、笑いを零した。
「………若島津」
「すみません、だって可愛いじゃないですか」
 素直に気をつけてと言えない光の、精一杯の見送りの言葉が、あの憎まれ口にも聞こえる言葉だから。
 健の零した言葉の意味を十分に理解している小次郎も、そう言われてしまえば返す言葉がない。
「日向さんの大事なお姫様が、寂しい思いをする期間が少しでも短いようにしないと、恨まれますね、俺」
「………余計なお喋りはするな」
「了解です」
「で?情報は?」
「可能な限り集めたつもりです。………正直、ここまで色々情報があって、今まで何で捕まらなかったのかって気がするんですけどね、俺は」
「………お前なあ、自分の情報網なめてるな? 他の誰がやったって、ここまでの情報は集められないだろ、普通」
 手元のディスプレイに映し出される、整理された情報に目を通しながら、小次郎は零す。どう考えたって、普通は、警察内部の情報なんざ、手に入れるのは困難だ。
「大所帯だな」
「人数だけで言えば確かにそうですね。でも、腕っ節っていう意味だけで見れば、大して人数はいませんよ。よく訓練された窃盗のプロではありますけど、ね」
「まあ、その方が有難いがな。……雑魚は放っておいて、そっちを重点的に伸すか。リーダーを抑えれば終わりか?」
「でしょうね」
「…………心配しなくてもアッサリ終わりそうじゃねえか」
「実は俺もそう思ってます」
 返ってきたその返事に、小次郎は小さく苦笑して、着いたら起こせよと言い残し、目を閉じる。
 助手席であっと言う間に眠ってしまった小次郎に、健は少しだけ苦笑を零すと、ステアリングを握りなおした。
 朝一の出発で寝不足は彼も同じではあったが、小次郎に寝不足で仕事をされるよりは数倍マシだ。別に腕が落ちるというわけではない。そうではなくて、加減が恐ろしく大雑把になってしまうのだ。つまり、必要以上に物が壊されたり、人が怪我をしたりしてしまうのだ。
 鬼神の如く暴れまわる彼を押さえ込むのは、はっきりいって長年の相棒の健ですら苦労するのだ。必要以上の労力を使いたくは、ない。
 とにもかくにも、と。
 目的地に少しでも早く辿り着く為に。健はアクセルを思い切り踏み込んだ。



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