■Imitation Blue■

 1.Who Am I ?



 目が覚めたら、僕はそこに居た。
 薄ぼんやりとした意識のままゆっくりと周囲を見渡しても、目に入ってくるものはただ、しろ・シロ・白。
 白い天井、白い壁。そして何故だか、白衣を身に纏った幾人もの人達。
 ここは何処だろう。そして彼らは一体誰なんだろう。
 と、そこまで考えて。次の瞬間、僕は愕然とする。
ここが何処だとか以前の問題で、そして何よりも大問題なその疑問にブチ当たったからだ。

 僕は一体……誰だろう───。

 その疑問に思い至った次の瞬間、僕は大パニックに陥った。実際、今になって思うとその時の混乱ぶりは実に滑稽で、なのに正直自分が何を喚いたのか、今じゃまるで覚えていない。
 ただひたすら、怖かった。
 何も目印を教えられず、それを探す術すら知らないまま、広大な砂漠へ放り出されたか。ただ一つの明かりも与えられず、ひたすら広がる暗闇にこれまた放り出されたか。そんな心境だったのだ。
 その上次にやってきたのは、まるで言葉の通じない異国の人か、はたまた異星人かというような人達との、訳の解らない会話だったのだから、堪らない。
 実際彼らは異国の人でもなければ異星人でもなんでもない、ちゃんと同じ言葉を話す人達だったのだけれど、でも僕にしてみれば全く話が通じないのだから同じ様なものだ。
 僕を取り囲んでいた人達は、みんな揃いも揃って白衣を着込み、その上話も僕とは一向に噛み合わず、やたら血相を変えて僕を質問攻めにしてくれる。訳の解らない僕の眼には、危ないマッドサイエンティストにしか映りやしない。
 その上、質問するだけするくせに、こっちの質問には一向に答えてくれないのだ。
 どうしてそんなに慌てているんだかは知らないが、一体僕が誰でここが何処なのかという、そんな単純な質問にぐらい答えてくれてもいいだろうに、けれど彼らは僕がその問いを口にするたびに、更に血相を変えるのだ。一体全体何がどうなっているのか、まるで解りやしない。
 傍から見たら、きっと立派なコメディだろう。どこか妙に冷静な僕の一部がそう呟き、そして漸く僕は混乱から抜け出した。
 だからと言って僕の疑問が解消されたわけでは勿論ないけれど。
 僕は一体誰なのか。ここは一体何処なのか。そして、どうして僕はここに居るのか……。
 それは相変わらず頭の中でグルグル廻り続けていたけれど、とりあえず落ち着きを取り戻した僕とは正反対に。どう見ても僕よりもずっといい大人であるだろう彼らは、しかし僕の事など一向にお構いなしで、未だにパニックというか大混乱の只中に居るようで、なんだか笑える光景だった。
 そんな彼らの狂騒ぶりを全く尻目に、僕は改めて周囲を見渡した。
 やたら清潔感漂う白い部屋は、けれど妙に殺風景で却って落ち着かない。それは周囲の狂騒ぶりを差っぴいても感じられる。
 まるで変に綺麗な牢獄だ。実際は病室か何かなのだろうけれど。
 僕が身体を起こしているベッドの脇には、何やら物々しい機器類が所狭しと並んでいた。それに繋がっている幾本ものコード類は、今はベッドの脇に落ちていた。僕がパニックの最中に取り外した、と言うよりは打ち捨てたそれらは、幾重にもとぐろを巻いた蛇のようで、ゾッとしない。
 それだけのコードを繋げられて眠っていたって事は、ここは世に言う集中治療室か何かなのかな。そう思ったけれど、未だにわいわい言い続けている大人達を見ていると、それもどう考えても違いそうだ。
 と、不意に僕は立ち上がった。一つの疑問、と言うか……あまりにもくだらない興味にブチ当たったからだった。なので己の欲求に素直に従っただけなのだが、途端に周囲の狂騒がピタリと止む。そして幾つもの視線が僕を射抜くのだ。
 はっきり言って、かなり怖い。
 けれどそれよりも好奇心の方が強かったから、僕は迷わず壁際へと向かう。そこに今の僕の興味を満たしてくれる物があるからだ。
 目標物、それは何の事はない、普通の鏡、なんだな。
 しかし自分自身の事が分からないのは、その外見にまで及んでいるので、とにかく僕は僕自身を見てみたかった。だいたいにして、その時の僕には、正直自分の性別すら分かっていなかったのだから。
 周りにいる彼らは何を思っているのか全くの無言で、そのくせやたら煩い視線だけが固唾を飲んで僕を射抜く。
 恐る恐る、けれど反面興味津々で、僕は鏡を覗き込んだ。
 そして暫くの間、鏡の中に現れた、見知らぬ自分と無言のまま向かい合う。
「───見た目じゃ判断つかないのって、あり?」
 そして第一声が、何とも間の抜けたその一言。
 だってそれが本音だから、仕方ない。
 自分の事をそんな風に言うのも変な話で、かなりおこがましいと言うか自意識過剰と言うか………ってトコなんだけれど。
 鏡の中に現れたのは、本当に男だか女だか外見だけでは何とも判断のつかない、実に中性的な容貌をした美人さんだったのだから、仕方がない。
 勿論、色々な事情と言うか何と言うか、とりあえず自分を取り巻く環境についてある程度認識をしている今では、自分がれっきとした男であると判っているのだが、その時はもうひたすら落胆したものだった。
 少しでも良いから自分というモノについての情報を得たかったのに、なのに外見はこんな人間だとは判ったものの性別は却って謎になってしまったのだから。
 いや、まあ確かに、性別なんてものは、すっきりさっぱり服を脱いでしまえばいとも簡単に判断できる類のものなんだけど、だからと言ってこんなに人が居る中でそんな事は出来ないし、普通は簡単に見た目で判るものが判らないというのは、それだけで自分という存在の不確かさを見せ付けられている様で。せっかく冷静になっていたというのに、僕は再び混乱してしまったのだった。
 その上、今更ながらに気がついた、自分の発した声ですらもよく判らない代物だったのだから、お手上げだ。女にしては低めだろうし、かといって男にしては高めに思える、そんな声。
 ああもう本当に僕は一体何者なんだ?!
 鏡の中の自分を睨みつけ、僕は胸中でそう叫ぶ。
 と、不意に傍らに人の気配を感じ取り、振り返る。
 やたらお歳を召した、多分白衣の集団の中で一番のお偉いさんなのだろうおじさんが、僕を見上げていた。やたらと小さい人だ。なのに目つきは酷く威圧的で、いい気がしない。
「いい加減にしたまえ」
 ───何だって?
 どうしていきなりそんな風に言われるのか分からず、咄嗟の事に内心のその言葉は声にならないまま、僕はパチクリと眼を瞬かせた。
「勝手な行動を取って貰っては困る」
「───そっちが何も説明してくれないからでしょう。さっきからやたらこっちに質問するだけして、そのくせ僕の質問には何も答えてくれやしない。だったら自分で情報を得るしかないじゃないですか。そう思いません?」
「減らず口だけは健在という事かね」
「知りませんよ、そんな事。さっきから散々言ってるでしょう、何も解らないんだって。あんたのそのご立派な耳は飾り物ですか?」
「とにかく大人しく我々の指示に従いたまえ!」
 僕の言葉に彼は鼻白んで声高にそう言うと、いつの間にやら後方に控えていた男達に矢継ぎ早に指示を出す。
 途端に部屋の中は慌しさを取り戻してしまった。
 そこから後の事は今思い返しても甚だ不愉快で、あまり言葉にしたくない。
 とにかく突然現れた屈強な男達に押さえ込まれ、どこだか別の部屋に連れて行かれ、後は散々検査漬け。おまけに奴等は僕に暴れられちゃ困ると思ったのか、麻酔薬か何かを打ち込んでくれて、お陰で僕は自分の意志じゃあ全く身動きが取れなくなってしまったのだ。
 そして気が付けば、再びベッドの上。一体いつの間に意識を失ってしまったのか、それすら覚えていなかった。
 人権侵害も甚だしい話だ。
 最も、その人権侵害は未だ健在なのだけれど。
 と、まあそれらが、今から二週間前の出来事。
 そして現在。僕─崎守創(さきもり そう)は未だに白い牢獄の中、なのだった。



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