■Imitation Blue■
12.償い
そう。全てが僕の意志の元で起こった『事故』だった。自らの命を、自ら絶つことの叶わなかった僕が、【崎守創】と言う存在を終わらせる為に、あの『事故』を起こした。 だからこそ、目の前で言葉を失い立ち尽くす彼さえもが、被害者の一人なのだ。 あの日、意識を手放した僕は、その後確かに死亡した。 それを確認した彼はその後、僕が事前にリークしていた情報を利用し、一度は無事に逃げていた。それでも、その後の報道で、研究所の爆発に伴い、数名の死亡者と重軽傷者合わせて十数名が出た事を知り、彼は自ら出頭していた。 勿論世間には、実際彼が犯した(正確には僕が犯させた)罪が【守護者】の殺害である事が判る筈もないし、政府・研究所の上層部がそれを表沙汰にしようとする筈もない。必然的に出頭してきた彼の罪は、研究所の爆破と見なされ、そして彼もそれを否定しようとはしなかった。どころか、自らその罪を認め、そして判決が下されてしまった。 けれど本来であれば、表向きの罪である『研究所の爆破』だけであれば、今の様な刑罰を受ける必要など、全くない。それが何故、半永久的な服役を課せられる様な重罪判決になったのか。それは、決して表沙汰には出来ない『守護者殺害』の為だった。 そんな事をして、それで何が変わるわけでもないのに。それでも関係者は彼に対して厳しい判決を望んだ。ある種、逆恨みだ。自分達の犯した罪の重さも自分達が犯した過失も、全てを棚上げして、そして他者を罰することで溜飲を下げた、そういう事だ。 それでも彼は、【守護者】を【崎守創】を殺せたと云うその事実から得られた達成感・満足感、あるいは充足感、それらを胸に、作り上げられた偽りの罪を受け入れた。身体の一部を機械化され、命さえも管理される様な、そんな狂った報いを。 本来、存在する筈もない、受刑者。僕という人間の存在を知らなければ、こんな罪を負わされる事のなかった、一人の父親。たとえ彼がどう思っていようとも、事実関係を並べれば立派な被害者だ。 だからこそ、新たに命を得てしまった僕には、彼ともう一度会う必要があった。こうして生き長らえてしまっているその事実を詫び、そして罪を犯させた事実を詫び、僕のエゴに巻き込んでしまった事を詫びる為に。 それこそが僕のエゴである事も分かっている。そんな事実を突きつけられて、彼が嬉しい筈もない事も勿論分かっているつもりだった。それでも、僕は会わずにはいられなかった。記憶を失ってしまってもなお。 今の僕に出来る事。彼の為に出来る事。僕の出来る、彼への償い。それは一体何だろう……? 考えるまでもない、少なくとも僕はそう思った。 『解放』。その言葉が、浮かんだ。 他に何があるだろう?今の僕に、他に一体何が? 彼は無言のまま、僕を見つめていた。 何をどう考えていいのか解らない、そんな瞳が僕を真正面から見つめている。 恨んでくれていい。憎んでくれていい。それでも、僕は彼に償わずにはいられない。 僕のエゴの犠牲者。そして、唯一真正面から僕の存在を否定してくれた人。 「……僕は何人もの人の犠牲の上に生まれてきました。望む望まざるに関係なく、それは事実です。僕は生まれてきたその時から、多くの罪を背負って生きている。今この時に至るまでにも、更に何人もの命を奪って来た。人の命を喰らって生きている僕が、罰を受けるのは当たり前です。貴方に恨まれて憎まれて、その命を奪われても、それも当然の事だった。必然の事だった。世の理を犯してまで存在した僕に対して、当たり前に存在した罰です。それでも僕は、生きる事を選んでいた。いつか奪われる命だと解っていて、それでも僕は生きる事を選んでいた。……いつか、自由になる為に。この身体を、あの子に……彼に返す為に」 そう、あの小さな存在に。創の護りたかった、そして僕が護りたかった大切な大切な命に、いつか僕を返す為に。その為だけに、あの頃僕は生きていた。創も生きていた。 それなのに。 「僕は被害者なんかじゃない。犠牲者なんかじゃない。全て確信の元に動いていた。……そして、求めた自由が手に入らない、望んだものが決して叶わない願いだと知って、死を選んだ。創の祈りも蒼(あお)の願いも、全てを奪い去って、解放の為に。それなのに、結局は僕だけが此処に居る。何の為に貴方に罪を犯させてまで殺して貰ったんだか、解りゃしない」 僕の独り言にも似たその戯言に、彼が眉を寄せるのが見えた。 当たり前だ。こんな事、彼には何も関係ない。そして、僕が彼に対して出来る償いにも関係ない。 ただ、誰にでもいいから聞いて欲しかった、僕の懺悔だ。誰に告げる事も出来ない、何故って誰にもその悔恨の意の汲み取れない、そんな懺悔だから。 「……貴方はさっき言いましたね。貴方に会って、一体なにがしたかったんだ、と。全てを思い出す為、僕はそう言いました。でも、それだけじゃない。……解放を」 「解放?」 怪訝そうにその一言を彼が繰り返す。 「……そう、僕には可能なんです。貴方を止める事も、貴方に再び人としての生を与える事も。ここから、この場所から。無意味な服役から、貴方を解放する事が、今の僕になら出来る」 僕の言葉に、彼は再び言葉を失った。 僕の言葉に、呆れているのだろうか。それとも、迷っているのだろうか。彼の表情からは、まるで判断できない。 永遠に続くかの様な、沈黙。 実際は一分にも満たない時間だっただろう。その沈黙の後、彼は小さく頭を振った。そして、短く答える。 「……必要ない」 今度は僕が言葉を失う番だった。 何故。でも、その言葉は声にならなかった。 彼が、言葉を続ける。 「どれだけ言葉を並べても、お前の言う事実とやらを並べても、俺のした事に変わりはない。たとえ全てがお前の言う計画なのだとしても、それに乗り全てを実行したのは俺自身だ。お前は計画だというけれど、それでも俺にはそれを回避する道だってあった。それをしなかったのは俺の意志だ。そして、その罪を受け入れたのも、この俺自身だ。誰が負わせた罪でもない。俺が選び、進んだ道だ。誰に償って貰おうとも思わない」 真っ直ぐに見据えられた視線。 逸らせない。 ただ見返す事しか出来ない。 「俺は俺の方法で、決断で、この命を生きていく。人の所為にしたまま命を終えてしまったら、いつか訪れるだろう命の終わりの時に、俺は娘に合わす顔がなくなっちまう」 そう言って、彼は小さく笑った。穏やかな、笑顔。 理解らない、そう思ったのも事実だった。 それでも、彼の判断に異を唱える権利などない事も解っていた。解っていたからこそ、僕はどうしたらいいのかを見失う。 「……今こうやってお前に会って、解った事がある」 言葉を失い立ち尽くすだけの僕に、不意に彼はそう言った。 解った……事? 「確かに俺の娘は犠牲者だった。くだらない政府要員の野望だか何だかに利用され、そして殺された。だからこそ俺は、かつてのお前を恨んでいたし殺しもした。でも……犠牲者は俺の娘だけじゃない、作り上げられたお前も、犠牲者だったんだな」 予想外のその言葉に、僕は目を見開く。 犠牲者?この、僕が? 「誰もが自分の生れ落ちる環境を選べるわけじゃない。俺が俺として生まれたのも、俺の意志の預かり知らぬ所で決められた事、そうだろう?」 直前の彼の言葉からの驚愕から未だ抜け出せないでいる僕に、彼は更にそう問い掛けてくる。 「……そう、ですね」 かろうじて言葉の意味を考えて、僕はそう答える。 訳もなく、口の中が渇いて、掠れてしまったその答えに、彼は更に言い募る。 「でも、少なくとも俺は俺の親に望まれて生まれてきた。親を選べやしないけれど、それでも少なくとも望まれて生まれて、愛されて生きてきた。人は大抵、そうやって生れ落ちて、育っていく。命を繋いでいく。……でも、お前は違った。そうだろう?愛される為に生まれるべき命が、世の中を自分達の思うままにしようとする輩の道具として誕生した。その時点で既にお前は犠牲者だった。そう……俺はもっと早くにそれに気付くべきだった」 真っ直ぐに。彼は僕を見据えたまま言葉を繋ぐ。 その視線に縫い付けられた様に、僕は視線を逸らす事が出来ない。 「お前にも、心がある。俺をエゴの犠牲者だと言い、そして償いすら口にする事の出来る、そんな心が。……俺の憎むべき対象は、怒りの矛先は、お前じゃなかった」 その言葉に、僕は頭を振る。 「いいえ、そうじゃない。そうじゃないんです」 無意識にそう口にして。 違う、そうじゃない。 僕は犠牲者なんかじゃない。犠牲者は、僕じゃない。 「確かに創は、犠牲者です。でも、僕は違う。違うんです。僕は解っていて全てを判断し、そして一番辛い所は全て彼に背負わせた。目を逸らした。だからこそ、全てが僕のエゴの産物なんです。それが事実なんです」 まるで子供の繰り言だ。そう思いながらも、それでも僕にはそう言う事しか出来ない。出来る筈もない。 少なくとも、それが僕にとっての真実だから。 確かに、本来の【崎守創】と言う存在は、犠牲者だ。 彼の言う様に、政府のお偉方のそれこそエゴの為に、その存在を愛してくれる存在も護ってくれる存在も与えられないままに、ただ彼らの都合の良い道具として育てられ、生かされていた。彼の言う様に、本来無条件に与えられる筈の両親の愛情さえ与えられず、ただ困惑と畏怖だけを与えられ、大人達の醜い欲望の只中に放り込まれた、哀れで不憫な生命(いのち)。 欲望の、犠牲者。 だからこそ創り上げた【守護者】としての【崎守創】。 だからこそ、犠牲者である【創】。 護りたかった気持ちに嘘は無い。それは本当。僕は、あの子を護りたかった。創と同様に、ただ護りたかった。 でも、僕は同時に【創】も護りたかったんだ。例え僕が消え去る事になっても、それで構わないと思っていた。 それなのに。 「なのに、どうして今ここに居るのが僕なんでしょう。一番、罰を受けてしかるべき存在が、こうやって生き長らえて。誰よりも自由な命を与えられるべきだった存在が消え去った。……それすらも僕の罪だと云う事は解ってるんです。だからこそ、僕は償う必要がある。だからこそ、僕は貴方に会う必要があった。だって、貴方がただ一人残された、償いの相手だから」 そこまで言って。漸く僕は気がついた。 なんて矛盾。なんて身勝手な想い。酷いエゴイズム。 全てが偽善だ。朗々と、声高に。謳い上げた言葉全てが、酷い欺瞞。 こんなのは、償いじゃない。僕の求めている物は、そんな綺麗な物じゃない。もっと醜く、自分勝手な逃げ道。 ただ僕は許して欲しいだけ。 自分は加害者だと公言し、そして被害者である彼らに許しを請う事で、自分自身を責めさいなみ彼に償いを受け入れて貰う事で、自分の罪を帳消しにする免罪符を手に入れたい、ただそれだけ。 そして彼から許しを得る事で、犠牲者全てからの許しを得ようとしているだけ。 これのどこが償いだと、そう言うんだろう。 あまりの馬鹿馬鹿しさに、僕は笑ってしまう。乾いた笑いが、僕を包み込む。過去(むかし)も現在(いま)も、僕の存在はこんなにも身勝手だ。 「おい……?」 いきなり笑い始めた僕に、彼が怪訝そうにそう声を掛けて来る。もしかしたら気がふれたとでも思われたかもしれない。 でも、それは多分間違いじゃない。 僕は、この世界に生れ落ちたその瞬間から、きっと心の何処が狂っていたのだろう。それでも……。 僕は笑いを納めると、彼を見返した。 「……貴方の指摘は、一部においては正しく、そして一部においては間違っている。それでも、貴方が【崎守創】も犠牲者の一部だとそう認めてくれた事に感謝します。たとえ本質において僕と貴方との見解に差があるのだとしても、それは事実だから。今まで、【崎守創】という存在に、そんな考えを抱く人は誰もいなかった。誰もその人間性を認めてはくれなかった。時には怒り、時には泣き、怯え……。そんな感情を持つ一人の人間だと、誰一人として思ってはくれなかった。もし、そんな人が一人でもいいから存在してくれていたら……きっと結果は違っていたでしょう。でも、それも今更で、現在(いま)を変える事は出来ない。その点においては、残念です。……でも」 僕はそう言って、不意に上空を見上げた。 晴れ渡った青空。彼らの望んだ、景色。あの子達に、二度と見せてやれる事はないけれど。 「でも、今ならまだ、未来を変える事は出来るのかもしれない」 少なくとも、その存在を無意味な物にせずに済むかもしれない。同じ命を作り出される事を、僕になら止める事が出来るのかもしれない。 それで僕の罪が消えるとは思っていない。だけど、それでも構わない。 償いだとか、そんな事今は考えなくていい。 ただ、同じ命を、あんな哀しい存在を二度とこの世界に作りたくない。多分、その想いだけでいい。 免罪符を得ようとも思わない。許されたいだなんて、思うことすら罪だ。それでいい。 「改めて、言わせてください。貴方に感謝、してます。貴方が僕の謝罪を無意味なものだと、そう言ってくれなければ、僕はきっと同じ過ちを繰り返していたでしょう。無自覚のままに、でもきっと自分のエゴで過去と同様に多くの命を犠牲にしていたでしょう。……僕は僕の方法で、僕の決断で、この命を生きます。僕にしか出来ない事が存在しているのなら、それがこうやって今まだ息をしている僕に与えられた役割なんでしょう。それに気付かせてくれた、その事に感謝します」 そう言って。僕はまっすぐに彼を見据えた。 忘れないように。彼の、存在を。そして彼が与えてくれた、答えを。決して忘れないように、この瞳の奥に焼き付けるんだ。 「………なぜ感謝なんぞされるのか、俺には解らんがな」 「別にそれで問題はありません。いえ、多分解らない方が良いんでしょう。貴方の為にも」 僕はそう答え、それから周囲を見渡した。 怪訝そうに、こちらを伺う囚人が増えてきている。その内、恐らく此処の管理者達も気付くだろう。 その前に、此処を出なければ。それも、此処への訪問の意味を気付かれないような方法で。 「………貴方に、もう一度会えて、本当に良かった」 ポツリと呟いた言葉に、彼は眉を寄せる。 「今の僕に、貴方に出来る事は何一つないのでしょうけど。……………必ず、償いを示してみせますから」 「言った筈だ。必要ないと」 「…………そうでしたね」 そう答え、僕は微笑んだ。 それでいい。最後まで、受け入れられない事が、今の状態には好都合だ。 どうか、貴方がこの意図に気付きませんように。これ以上、貴方の人生を狂わせる事になりませんように。 そう祈りながら。 「償いさえ受け入れて貰えないなら、今の僕の出来る事はただ一つ、ですね」 そう口にして。僕は一気に彼との間合いを詰める。驚愕に彼の目が見開かれる。 どうか、創。今だけ、君のその完璧なまでの鉄仮面(ポーカーフェイス)を僕に与えてくれ。そう願いながら。 ザザザッと派手な音を立てながら、僕は彼の体を地面に押さえつける。周囲から、驚愕の声が上がる。直後鳴り響く、警告アラーム。遠巻きに見ていた囚人達の誰かが押したのだろう。数分もしない内に、監視員達が駆けつける筈だ。 押さえつけたその首に、きつく両手を押し付ける。突然の事態に唖然としていたその表情が、苦悶に歪む。もがく体を全身の力で押さえつけ、そしてギリギリのラインで、両手に力を込める。 「何をしている!」 怒鳴り声に、かけた力はそのままに、顔を上げる。駆けつけた数人の監視員の姿に、僕は微笑んだ。その笑みに瞬間怯んだ彼らは、けれどすぐさま己の役割を思い起こし、僕を捕らえる為に走り寄って来る。 組敷いていた彼の体から徐々に力が抜けていくのを確認して、僕はゆっくりと手を離す。せき止められていた酸素が急激に入り込み、彼が激しく咳き込む。 その様に、僕は小さく舌打を零し、周囲を取り囲む監視員達をゆっくりと見渡した。 「もう少しだったのに、無粋な方々ですね」 予想外だったのだろう僕の言葉に、彼らは呆然と立ち尽くす。 「……………もう少しで、あの命を終わらせる事が出来たって言うのに。これじゃあ全部台無しだ」 僕はそう言い放ち、そして倒れ込んでいる彼に目をやる。朦朧とした意識の下、それでも僕を見上げてくる視線とかち合い。僕は薄く微笑んだ。 「人の命を奪っておきながら、のうのうと生き永らえてるなんて許せやしないだろう? 覚えておくといい。絶対に、お前の命を許しはしない。必ず、貰い受けにくるよ。……………その時は、もう少しマシな命乞いの台詞を聞かせて欲しいね。………あんた達も自分の命が惜しいなら、他言無用だ。ああ、安心していい。今は意味が分からなくても、その内分かる。その方が身の為だとね」 僕はそう言い放ち、そして跳躍する。周囲を取り巻いていた監視員たちの頭上を飛び越え、そして中庭に取り付けられていた監視カメラ全てを叩き壊す。実際は稼動していない形だけのそのカメラを、本当は壊す必要なんて全くないが、それ位のパフォーマンスは必要だろう。超人的な跳躍と、破壊力。それを彼らの記憶の中に叩き込む為には。 それから。更に跳躍を一段高くして。頭上に張られていた、強化ガラスを一気に叩き割り、外へと出る。派手な音を立て頭上から落ちてくるガラス片に、一気に地上は大騒ぎになった。 その様を壁の上から威圧的に見下ろして。 そして僕は其処を後にした。 もう本当に。二度とは会わないだろうその人の顔を、言葉を。決して忘れないよう、胸の奥に刻みつけながら。 |