琥珀の日々 Ver.2
初めて会ったのは、本当にまだ二人がお互いに子供の頃の事だった。 それから今までの思い出は?と訊かれたら、沢山あるよと答える事が出来るだろう。 じゃあ沢山ある思い出の中で一番は?と訊かれたら。 初めて言葉を交わした日と、その翌日。彼に森に連れて行って貰った日。 そう答えるだろう。 幼い頃の記憶で、今でも鮮明に残っている事柄は、本当に数える事が出来る程に少ないけれど。 それでもあの日の出来事は、今でもしっかりと覚えている。 人見知りの激しい、愛想がいいとはとてもじゃないけれど思えない。そんなオレに臆する事なく笑いかけてくれたあの笑顔は、今でも鮮明に心の中の大切な部分に刻み込まれたままなのだから……。 * * * * * * * 目が覚めた時、目の前に居たその人にアレクは大きな目を数度瞬かせた。 誰だろう……? そう思ったアレクに彼は微笑むと『おはよう』と、そう告げる。 後になって思えば、何故なんの不審も不安も持たずにそう答える事が出来たのか、全くもって不思議なのだが、その時のアレクにとって『おはようございます』と、そう答える事は全く自然な事だった。 自分の事。いる筈の両親の事。そして間の前の彼の事。 何一つ解らない筈なのに、それでもアレクは自然と彼−リューと名乗った−に懐いていた。ある意味、最初の対面が刷り込みに近い状態だったのかもしれない。 『一緒に暮らす?』 そう訊かれた時も、何の躊躇いもなく頷いていた。彼は嬉しそうに微笑んで、それからアレクと手を繋ぐと、村長の家を出た。 見た事のない場所。見た事のない人達。元々人見知りをする性質なのか、道すがら村人達が声をかけてくる度に、アレクはリューの背後に隠れてしまう。 それでも、リューが手を繋いでくれている事が、アレクには何よりも心強かった。 「今日から此処がアレクの家だよ」 そう言われて招き入れられた其処が、それからアレクの『還る家』となった。 「リュー様、いらっしゃいますか?」 その日の夕方。 リューが夕食の準備を始め、それをアレクが椅子に座って眺めていた時、外からそう声がした。 その声にリューが玄関口へと向かって行くのを見て、アレクは手にしていたカップを机に置くと、大慌てで隣りの部屋へと向かう。それからすこーしだけ扉を開けて、玄関を窺う。 「ああ、レイズか。どうしたんだい?」 扉を開けてリューがそう言うのに、アレクは小さく首を傾げた。 だれだろう? 「あ、あの、さっきリュー様が小さい子と一緒だったのを見かけて、それで気になって……」 「ああ、アレクに会いに来てくれたんだね?」 会話の中に自分の名前が出てきて、驚きでトクンと心臓が跳ね上がる。 「アレクって言うんですか?あの子」 「そうだよ。丁度いい、紹介するよ。さあ、入って」 リューがそう言って、レイズと呼ばれた少年を家の中に招き入れるのに、ますますドクドクと鼓動が早くなる。 自分に会いに来てくれたのは解ったけれど、それでもアレクは其処から一歩も動けずにいた。 「アレク、どうしたんだい?ホラ、こっちにおいで」 リューの促しの声に、アレクはそーっと扉の奥から顔を覗かす。 「どうしたんだい?ホラ、おいで。折角アレクに会いに来てくれたんだから、ちゃんと挨拶しないとね?」 アレクに向かってそう言った後、リューはレイズに向き直った。 「すまないね。アレクはちょっと人見知りが激しいらしくってね。ホラ、アレク。いい子だから、こっちにおいで」 数度目のその呼び声に、アレクはやっと部屋の外に出た。けれどやっぱり心細くって。小走りにリューの側まで駆け寄ると、その後ろに隠れるようにして立つ。 「こら、アレク」 苦笑しながらそう言った後、リューはアレクを自分の陰から前方へと押し出し、レイズの正面に立たせた。そしてその傍らにかがみ込んで視線をアレクと合わせると、諭す様に言葉を続けた。 「ホラ、アレク。彼はレイズだよ。わざわざアレクに会いに来てくれたんだ。ちゃんと挨拶をして」 「こんにちわ、アレク。俺、レイズっていうんだ」 傍らのリューにしがみ付く様な格好で俯いてしまっているアレクに、レイズはそう言いながら手を差し出した。 「怖がんなくていいよ。友達になろう?」 「アレク?」 リューに促されて、アレクはおずおずとレイズを見上げた。 「ね?」 笑顔を浮かべてレイズがそう言う。その笑顔とそれから差し伸べられた手とを交互に見比べて。 「………うん」 小さな声で頷いて、それからアレクの小さな手がレイズの手を握った。あったかい、そうアレクは思って、レイズを見上げる。 「よろしくな、アレク」 「うん」 笑顔でその手を握り返したレイズの声に、アレクはやっとその顔に笑顔を浮かべる事が出来たのだった。 「新しい友達が出来て良かったね、アレク」 思いがけない訪問者が帰った後、傍らに立っていたリューがそう言うのに、アレクは彼を見上げた。 「ね?」 「うん!」 アレクはそう言って頷くと、リューにしがみ付く。それからリューを見上げると訊いた。 「森っておおきい?きれい?」 帰り際、明日になったら森に連れて行ってくれる、とレイズが約束してくれたのだ。 「さて、どうだろうね?明日のお楽しみにしておくと良いよ。さあ、お腹が空いただろう?もう少しだから、大人しく待ってるんだよ?」 「うん」 頷くアレクをリューは抱き上げると、さっきまで座っていた椅子に降ろす。 「ああ、ミルクが冷めてしまったね。入れ直そうか」 はちみつ入りの甘いホットミルクは、村長の家で入れて貰ったのを飲んでからアレクのお気に入りの物だった。リューの家に連れて来られてまだ半日も経っていないのに、既にそれで5杯目であるくらいに。 入れ直してくれたホットミルクを飲みながら、アレクは森の事を色々と考えていた。 広いのかな?レイズとはぐれて迷子になったらどうしよう?怖い動物はいないのかな? その思いは食事時も、お風呂に入れて貰っている間も、アレクをうわの空にさせて、その晩中リューを困らせたのは、レイズには勿論内緒の事だった…。 「アレクー、迎えに来たよー」 翌朝。 家の外から聞こえて来たその呼び声に、着替えもそこそこに部屋を飛び出そうとするアレクを、リューは慌てて捕まえる。 「こらアレク、ちゃんと着替えてからだろう?」 「うん」 「レイズは逃げたりしないから、ちゃんと着替えてから出ておいで。いいね?」 「うん」 言い含められた言葉に頷いて、アレクは急いで服を着替え始める。それでも急いでいる所為か、なかなかボタンが留められなくて、それが余計にアレクを慌てさせた。 「おはようございます、リュー様。アレクは?」 「今来るよ。ああホラ、アレク。そんなに慌てなくてもレイズは逃げたりしないから落ち着いて着替えなさい。……すまないね、レイズ。レイズと遊びに行くのが楽しみだったらしくて、昨日からあの調子なんだよ」 そんな事をリューが告げた時、ようやく全てのボタンを留め終えて。アレクは大急ぎで部屋を出る。 「……アレク、そんなに慌ててると」 そう言ってリューが振り向いた瞬間。椅子の足に躓いて、アレクは床に向かって倒れ込んでしまう。 「……ああ、だから言ったのに」 盛大に床とご対面を果たした状態のアレクにリューは急いで駆け寄った。 痛かったし泣きたかったけれど、それでもアレクは一生懸命涙を堪えると、傍らのリューにしがみ付く様にしながら立ち上がった。 「ああ、でも今日は泣くのを我慢できたね。レイズがいるからかな?」 リューの微笑みながらの声に、コクンと頷く。 怪我が無いのを確認すると、リューはアレクの手を引き玄関へと向かう。 「じゃあ、アレクを頼むね、レイズ。お昼頃になったらここに戻っておいで。昼食の用意をしておいてあげるから」 「はい。じゃ、行こう、アレク」 「うん」 レイズの言葉にアレクはそう頷いた。リューと繋いでいた手を今度はレイズと繋ぎ直し、家の外へと出る。 「さっき転んだの痛かった?」 「ううん」 家を出てすぐのレイズの声に、アレクはそう答えてレイズを見上げる。 「泣かなかったもんな、アレク。偉いよな」 レイズの言葉に、アレクは嬉しそうな笑顔を浮かべた。 「どこに行こうか?」 「森にいくんでしょう?」 昨日のレイズの言葉を思い出しながら、アレクはそう訊き返した。 「そうだけど、森の中にもいろんな所があるんだ。ウサギや鳥の巣とか見れる所もあるし、魚がいっぱい泳いでる川もあるしね。どこがいい?」 その言葉に目を輝かせ、アレクはレイズの言葉の中にあった単語を頭の中に思い浮かべる。 ウサギに鳥の巣、魚の泳ぐ川。どれもこれもアレクの好奇心を強烈に惹きつける物ばかりだ。 「……ウサギ、見たい」 暫く考えて、漸くアレクはそう答えた。 「ウサギ?いいよ、じゃあ最初はそこに行こうか」 「うん!」 頷くアレクにレイズも笑顔で頷き返し、そして二人は少しだけ歩調を速めると、森の中へと入って行くのだった。 |
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