■Imitation Blue■
10.回想
あの日。僕は、いや崎守創は【守護者】として、ある研究室に向かっていた。 目的は、とある研究施設の破壊。政府にとって厄介な存在と見なされた研究者の妨害を目的としていた。さすがに殺されてしまっては疑いが何処に飛び火するか分かったものじゃないと云う理由で、暗殺目的にはなっていなかった。 勿論、崎守創にとって、遂行任務が破壊だろうと暗殺だろうと、大した問題ではなかったのだけれど。 彼にとって大事なのは、ただ一つ。大切な大切な、小さな命を護る事であって、他の事はその附属に過ぎなかった。 それ以外の事に大して頓着しないが故に、事は僕の思惑通りに進んでいたのだ。 その頃、研究所の僕の独房には、今は置かれていないコンピューター端末が置かれていて。僕はそれから様々な情報を得ていた。 そして、彼の存在を知ったのだ。 僕を、【崎守創】と言う存在を、殺したい程憎み、そしてその計画を進めているらしい、彼の事を。 言うなれば。 僕はその存在に、縋りついたのだ。 ずっと思い描いていた僕の計画を、実行に移す為に。 フリーパスの身分証明書を掲示して研究所の中に潜り込み、予め与えられていた指示に従い、決められていた場所に次々と最新鋭の小型爆破装置を設置して行く。 広大な研究施設。それでも短時間で全てを設置し終える事が出来たのは、全ての作業を始める前に研究所内の換気システムを利用して散布した催眠ガスのお陰だった。 催眠ガスを使う事。爆破装置が、研究所の奥から順に時間差で作動する事。それらは任務を遂行する【守護者】の崎守創と、それを監視する数名の人間、あとは【守護者】を管理する研究所の上層部の、ごく一部の人間のみが知っている極秘事項。 ……その筈だった。 全ての設置を終えた僕は、催眠ガスの効果を消す為の解毒ガスを散布する為に、再び換気システムのある空調室に向かっていた。予め決められていた時刻に、解毒ガスを空調システムを使って研究所内部に撒き散らす。 それから、催眠ガスの効果が薄れ、研究所内部の人達の意識が戻りかけた頃に、爆破装置を起動させる。それが、その日与えられた任務の最終項目だった。 今、この時にも。 解毒ガスの効果が現れ始めるまでの短いその待ち時間の間に、僕はそう考える。 彼はこの施設の中に忍び込んでいる筈だった。 騒ぎに乗じて、崎守創と云う存在を消し去る為に。大事な、娘の敵を、討つ為に。 娘の命を奪った研究者達を恨み、政府を恨み。そして、その最たる象徴である【守護者】崎守創を恨み。幾重にもガードを掛けられている筈の情報を、事実を、執念で手に入れた彼は、今何を思い、ここを訪れているのだろう。 思考の波は、取りとめもなく、たゆたう。 ──馬鹿げた話だ。 今から命を狙われる筈の人間が、その相手の思いを気にかけるだなんて。 ピピピ、と小さな電子音が耳元で響き、僕は思考を納めた。ここからは【守護者】の仕事だ。 ゆっくりと腰掛けていた椅子から立ち上がり、モニターに映る研究所内部を確認する。何人もの研究員達が、軽く頭を振りながら立ち上がっているのが判る。その誰もが、足元の覚束ない状態だった。目論み通りに。 目的は『研究施設の破壊』であって、それに伴っての人命喪失は、はっきり言ってあっては困る事項だった。その為に、一度意識を奪っておきながら、その意識の回復を待つという、やたら手間のかかる事を実行しているのだ。 破壊工作を妨害されるのは困るし、人の命が奪われるのも困る。甚だ自分勝手な上層部の要求に答える為の今回の仕事は、だからこそ僕には好都合だった。 本来なら破壊開始と共にその場を後にする筈の【守護者】が、今回はその特殊性の為に、最後の爆破装置が起動するまで、施設内に留まる必要があったから。監視員達は施設の外、全く目の届かない状況で。 だからこそ、僕はこの機会を逃す訳にはいかなかったのだ。 ドンッと云う派手な音が、施設内部に響き渡った。同時に、鳴り響くアラーム音。一気に研究所内が騒がしくなる。続いて、二箇所目の爆発。 驚き、慌てふためく様子が、モニターの向こう側で展開されていた。そんな彼らを嘲笑うかの様に、三度目の爆発。 場内は大パニックだった。目の前に映し出される無声映画の様なその情景に、けれど感情の薄い【守護者】と評された、そのままに。一切表情の変化は、ない。 四箇所目、五箇所目の爆発が起こる最中、ギイィと後方で扉の押し開かれる音がする。 驚いた様に振り向きながら、それでも確認しなくても僕には訪れたのが誰かは判っていた。 彼、だった。 目の前に居る【守護者】と呼ばれる、忌むべき、そして憎むべき存在を、彼は鋭く睨みつけてくる。怒りと興奮とで、赤く血走った瞳で。 首から下げられた防毒マスクを見て目を張ったのに気付いたのか、彼は笑みを浮かべた。凶暴な、笑み。 「お前を恨んでいるのは、俺だけじゃないって事だ」 暗に協力者が居るのだと仄めかし、彼は笑う。 きっと彼は気付かないだろう。 その協力者が、目の前に居る存在なのだと言う事には。 同様に【守護者】を憎む者だと言って、彼に情報をリークしたのは、僕だ。今、この瞬間の為に。 無防備に自分の前に立つ【守護者】に、彼は躊躇しなかった。嘲笑うかの様な表情のまま、次の瞬間【守護者】に向かって、真っ直ぐに突進してくる。その手の中に光る、サバイバルナイフ。 それを目にして、一瞬【守護者】の動きが止まる。どんな武器を前にされても、滅多な事ではたじろがない【守護者】が、唯一反応を鈍らせるもの。 光を弾く、ナイフ。 幼い頃に記憶に刻み込まれた、トラウマ。 彼にとっては、その一瞬の反応の遅れだけで、十分だった。 深々と、腹部に突き立てられた、ナイフ。我に返って反撃に出ようとしたけれど、その動きは酷く緩慢だった。 「何を……」 低く呟くその声に、けれど彼は答える代わりに小さく笑うだけだった。 「想(そう)……っ」 零した声に、けれど答える声はなく。この場には不釣合いな程、【守護者】の体から柔らかく力が抜けて行く。 不可解な身体の痺れに、漸く答えを見出した頃には、既に遅かった。 腹部に突き刺されたナイフには、毒がそれこそタップリと塗られていたのだ。 飛びぬけて身体能力の発達した身体は、けれど面白いほどに免疫能力が少なかった。普段、無菌室に近い状況の中で生活していた身体は、少しずつ免疫力の強化を行ってはいたが、それでも普通の人間に比べれば極端な程に、免疫力の少ない器だったのだ。 研究者達は無論それを良く知っていた。けれども、その問題をさほど重要視していなかったのだ。低い免疫力を補って余りある身体能力。それがある限り、そして常に監視員が随行している限り、大きな問題にはならないと考えていた。 だからこそ、問題のある身体に頓着せず、政府上層部の早急な促しに対して了承の旨を伝え、プロジェクトが稼動し始めた。 その結果がこれだと知ったら、研究所の面々は一体どうするだろう。顔面蒼白と言った態の彼らを想像すると、滑稽だった。 防毒マスクに、ナイフ。塗り込められた毒。 それが、今回の研究所爆破計画をリークする時に伝えた、キーワード。 実に忠実にそれらを利用して此処を訪れた彼に、拍手を送りたいぐらいだった。 「どうして……想(そう)っ」 呟かれた言葉に、彼は怪訝そうな表情を一瞬浮かべたが、その次の瞬間。 崩れ落ちた体からナイフを抜き取り。 憎しみに彩られた瞳のまま、真っ直ぐにナイフが振り下ろされる。 小さく零れる呻き声。 遠くで未だに鳴り響く、アラーム音。そして、今までの比でない爆発音。 ああ、最後の爆破装置が稼動したんだな、そう思いながら目を閉じる。 【守護者】の意識が遠のいていくのが、解った。小さく、僕は笑う。 苦痛は僕が引き受けよう、最初からそう思っていたから。意識を全て引き受ける。 それが、せめてもの償いだ。 ああ、微かに聞こえる、泣き声。大丈夫だから、そう胸中で、その声に囁きかける。怖い事は、もう何も無いから、と。 ゆっくりと、僕は目を開けた。不思議なほどに、紅く染まった視界。 騒がしいほどの周囲の喧騒は、既に僕には届いていなかった。微かに聞こえていた泣き声も、今はもう、聞こえない。ただ耳につくのは、不規則な呼吸の音。それが自分の物だと気付くのに、暫く時間がかかった。 それから、不意に気付く。 痛い程の、その視線に。 ゆっくりと薄れ行く意識の中、それでも僕はその視線を真っ直ぐに見返していた。 憎しみに満ちた、赤く血走ったその瞳。それでも、其処にはどこか満足感が含まれていた。 僕の意識が完全に途切れた時、彼はきっと胸元のペンダントの内側にある写真に向かって言うのだろう。漸く、敵を取ったぞ、と。幼くして命を奪われた娘に向かって……。 ああ、どうか。 僕を見下ろすその視線に、僕は思う。 どうか、貴方は無事にここを抜け出して……。 僕のエゴに巻き込まれてしまったのは、貴方だから。だから、どうか貴方が捕まる事が、ありません様に。 場違いな祈り、そう思われるだろ。それでも、それは僕の本心だった。 徐々に霞がかって行く意識。その意識に強烈に刷り込まれていく、彼の視線。 それが僕の最後の風景だった。 笑みさえ浮かべたまま。僕は、漸く意識を手放したのだった……。 |