■Imitation Blue■
9.再会
暫くの間建物を眺めていた僕は、それからゆっくりと建物に向かって歩き出す。 強行突破をするつもりは、ない。必要以上に事を荒立てるのは得策じゃないので、最大限今の僕の立場を利用するつもりだった。 真っ直ぐに、塀の奥へと進むことが出来る唯一の入口を目指す。門前に立つ守衛二人が、歩み寄る僕を警戒心も露に睨みつけていたが、慌てず騒がずで、近づく。 守衛の男は手にしていたライフルを僕に向け、何かを告げようと思ったのだろう口を開きかけたが、それを遮る様に僕は両手を挙げた。 「怪しい者ではありません。疑うようでしたら、どうぞ、コレ」 言いながら僕は胸元に入れていたカードタイプの身分証明書を手に取り、彼らの目の前にかざす。 一人が手にしたライフルで油断なく僕を狙っている中、もう一人の守衛がこちらもまた油断なく構えた状態で、僕の側まで近づいて来て、そしてカードを覗き込んだ。 次の瞬間。面白い程にその顔が青ざめ、緊張が走る。 「しっ失礼致しましたっ!」 そう声を上げてライフルを降ろすと、僕に向かって深々と頭を下げる。そのただならぬ様子に、もう一人の守衛も慌ててライフルを降ろすと、倣うように頭を下げた。 見事だなー、この変化。そう内心で苦笑しながら、僕はカードを胸元に戻す。 【守護者】の僕には、大抵どんな場所でもノーチェックで出入り出来るよう、特クラスの身分証明が与えられていた。勿論通用しない場所だって多少はあるけれど、それは本当に特別な場所であって、今回の様な場所であれば100%の割合、問答無用で通して貰えたりするのだ。 「緊急の用件で来たんですが、良いですか?」 「ど、どうぞ!直ぐに責任者を呼びますので!」 「あ、いえ、それは結構です。そちらには今頃連絡が入っている筈ですから」 「畏まりました。では、どうぞ中へ。こちらからになります」 「ありがとう」 殊更にこやかにそう返し、僕は防壁の内側へと入り込む。 未だに後方で緊張した面持ちのまま、敬礼状態の彼らに向かって軽く会釈し、建物内部に入り込む。それから、その先にある筈の受付には向かわず、周囲を窺った。 ここの建物の管理体制は、実に不思議というか、ある意味不可解な物なのだけれど、それが今回はかえって有難い。 普通、建物内部に入るには、この第一の扉の前で厳重にチェックをされたりする筈なのだが、ここはそうじゃない。この第一の扉には通常鍵さえ掛けられていないのだ。塀の外で一度チェックを受けたら、一先ずは何ら問題なく建物の内部に入れるのだ。はっきり言って僕には不可解だ。 まあ要はお偉方を二度に渡って炎天下や大雨の中に待たせるわけにはいかない、そういった所なんだろうけど。 入って直ぐの場所は、何もない広い空間になっていた。 更に建物内部へと続く、こちらは厳重に管理された入口が、まずは正面に一つ。けれど、ここもこちら側には見張りの一人もいない。扉の向こう側が、受付にあたる場所になっていて、外の守衛室から連絡を受けた場合のみ、扉のロックが解かれ、内側に入る事が出来る事になっている筈だ。 どんなに凶悪な犯罪者であろうとも身内との面会は許されているらしく、その面会手続きや、更には新たな受刑者の入獄手続きをそこで行う事になっているらしい。 その扉から視線を左にずらしていくと、もう一つの入口があった。こんな場所には不釣合いな、大きくて、やたら豪華で荘厳な扉が鎮座している。 上層部がノーチェックで出入りする為の、特別な扉。何せお偉方というのは、人を待たせるのは全然平気なくせに、いざ逆の立場になると極端な程待つのを嫌う人種だからなあ。その上、意味もなく豪華さを求める。全く、厄介な人種だ。 まあそんなこんなで誂えられた扉の脇の壁には、電子ロックの装置がはめ込まれていた。その前に立ち、僕はそれを睨みつける。 何度か不法侵入を試みた後で、日々二時間おきに変わる暗証番号の規則性は把握済みだったので(勿論、通常の使用者達は事前にその番号の連絡を受けている筈だ。その場で計算して弾き出せるほど簡単な数式じゃあない)、僕は迷わず計算で弾き出した番号を入力する。 ピッ、と軽い音を立てて、ロックが解除された。 ゆっくりと扉を押し開き、僕は扉の内側へと身体を滑り込ませる。 前方に広がる廊下には、上手い具合に人影は無い。 僕は頭の中に、建物の見取り図を思い起こす。ここから目的地までの道順を改めて確認し、そして僕は歩き始めた。 ドクンドクン、と。やたら心臓の鼓動が耳につく。 目的地は決まっていて、そして一つの目的も決まっていて。 でも、その後。一体僕はどうしたいって言うんだろう。どうするつもりなんだろう。 今までに、もう幾度となく繰り返していたその問いが、改めて胸中に沸き起こる。 勿論答えなんて、ありはしない。見つからない。 それを解っていて、それでも動かずにはいられない。 だからこそ、今ここに来ている筈なのに。なのに、今更僕は何を緊張しているんだ。いや、怖がっているのか? 今更だ。 胸中で、自分に言い聞かせるように呟いた。 ここまで来て、もう後には引けない。一度動き出してしまった以上、もう元には戻せない。それも、あんな大事にしてまで此処に来たんだ。今を逃せば、二度とこんな風に此処へ来る事は出来なくなる。 ……そんな風に取り留めのない事を、今更思い悩んでみたって仕方のない事を考えながら歩いている内に、廊下が途切れた。 酷く無意識に、途中にある筈のロックされた扉や、曲がり道なんかも超えて、目の前の扉まで辿り着いていた自分に、ちょっとばかり目を見張る。 扉の向こう側には、中庭が広がっていた。この牢獄の中で、唯一の自然が施された場所。丁度対極に見えるもう一つの扉が、囚人達が中庭に入る時の入口だろう。こちら側の扉とは違いロックは無く、自由に出入りが出来る様になっている筈だ。 だからこそ、僕はこの扉を目指していた。ここからならば簡単に、囚人房に入り込む事が出来るから。 ロックを解除した後、なるべく音を立てないように注意しながら、ゆっくりと僕は扉を開けた。 何気なく周囲を見渡した僕の視線は、けれどある一点で凍りついた様に留まる。 ───居た。 ドクンッと、心臓が大きく跳ねた。 居た。見つけた。ようやく。 ああ、こんな風に簡単に見つかるだなんて、予想外だぞ。いや騒ぎはなるべく少ないに越した事はないけれど、でも囚人房内を隈なく探しまくる覚悟でいたっていうのに、こんなに早く接触出来るなんて、本当に予想外だ。 と、またしてもどうでも良さそうな事を考えてしまった。こんな事考えてる場合じゃない。 行かなきゃ。 そう思って、漸く僕は一歩を踏み出した。 一歩、また一歩。彼の姿が、目前に近づいて来る。 と、不意に彼が振り向いた。 未だ遠目にある彼が、けれど驚愕にその表情を歪めたのが、はっきりと判った。 当たり前、だろう。 自分が確かに殺した筈の人間が、今こうして目の前に現れたのだから。 視線が、かち合った。 その瞬間、周囲から全ての音が消え去った。景色さえも。 勿論それが錯覚である事は承知していたけれど、世界に僕と彼ただ二人だけが取り残された、そんな感覚。 ただ真っ直ぐ、彼の視線だけが僕を貫いている。痛い程に。 それでも。彼にはこれが現実だという事が信じられない思いの方が強いのか、視線は未だに僕を捕らえてはいたけれど、彼自身は一向に動こうとはしない。 「───こんにちは」 彼から数メートルの位置で立ち止まり、僕はゆっくりと、そう告げた。まるで場違いな言葉だとは思ったけれど、他に思い浮かばなかった。 「………どう云う、事だ」 低く。掠れた声が、そう呟く。真っ直ぐに僕を見据えたまま。 当然の疑問符だった。けれど、どう答えればいいのか、僕にはまるで解らない。 「とうとう化けて出てきたか」 軽い苦笑と共に、彼がそう呟く。 「───いいえ。でも、そうだったなら、どれだけ幸せだったでしょうね」 彼の苦笑に誘われる様に僕も苦笑を浮かべ、そう答える。 本当に、そうだったら良かったのに、そう思った。 「………生きて、いたのか」 「現状だけで答えるのなら、Yesになりますね。……より正確に答えるならば、一度僕は確かに死にました。でも、その後に、再び命を得た。狂った存在が、狂った存在達によって、この世界に再び生まれてしまった。そう云う事です」 僕の言葉を無言で聞いていた彼は、暫くの沈黙の後、こう告げた。 「───お前は、本当にあいつなのか?」 「え?」 思ってもいなかった彼の問いに、僕は瞬間目を見開いた。 「───どうして、ですか」 そう返すしか、なかった。 「どうして………確かにな」 彼も自分の言葉に対して、そう呟く。困惑した、表情。視線が瞬間僕から離れる。 「………その面は、確かにあの男と同じだって云うのに」 そう言って再び僕を真っ直ぐに見据えた彼の視線に、僕は大きく息を飲む。 明らかに含まれた、憎悪の色。鋭い、その視線。 向けられて当然だったその視線を真っ向から受けて、解っていた筈の事なのに、僕は一瞬たじろいだ。 と、次の瞬間。 ズキンッと頭に痛みが走る。ドクドクと。脈打つ心臓の音が、やたら大きく身体の内側から響いてくる。 唐突に周囲に重なる、別の景色。紅く染まる、視界。 激しい嘔吐感に襲われて、僕は思わずその場に膝をつく。 ズキズキと脳を抉る様な痛みは、治まらない。頬を脂汗が伝い落ちる。 「おい……?」 僕の突然の変化に、彼が怪訝そうな声でそう呟きを零したのが、遥か遠くから聞こえる。それから、近付いて来る足音。 「どうした」 すぐ側で聞こえたその声に顔を上げた僕は、再び言葉を失う。 僕を見下ろす、その視線───。 表情は、まるで違う。それでも、この構図は………。 次の瞬間、頭の中で何かが弾けた。 一気に押し寄せてくる、何か。 そう、僕は知っている。僕を見下ろす、彼の視線を。含む感情の色合いは違っても、確かに彼はあの時、僕をこうして見下ろしていた───。 |